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【2・23D GENERATIONS CUP優勝戦インタビュー】言葉で追い込まれて、言葉でうまく返せなかった「恥」が自分を変えた――高鹿佑也がつかんだ自分の“芯”

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  • 2・23後楽園ホールのメインイベントでおこなわれる今年の若手リーグ戦「D GENERATIONS CUP」優勝決定戦。2年前、後輩の正田壮史に敗れ優勝を逃した高鹿佑也は、その後に訪れた数々の苦悩を乗り越えて再びその目の前に立つ。11・23後楽園におけるTo-yとの生身のマイクから3ヵ月。その間、自身を劇的に変えたのはなんだったのか――。(聞き手・鈴木健.txt)

    秋山さんに「おまえは大丈夫だよ」と
    言われたことで自分の軸ができた

    ――昨日、D GENERATIONS CUP優勝戦に向けての記者会見がおこなわれ、これまでとは違い自身が主役の場でした。伝えたいと思うことは言えましたか。
    高鹿 そうですね、ユニット(BURNING)もなくなって自分一人の闘いをリーグ戦で続けてきた結果、2年前と同じ優勝戦のカードになったことで本当にいろいろな思いがあったんですけど、一番は先輩としてこれ以上ナメられたくないっていうのがあったので。正田とのシングルマッチって今のところあの一回だけなんですけど、そこで負けてしまったことに対しての思いですよね。それを会見で言葉にすることによって、自分の意思を確認できたというか。気が引き締まりました。
    ――今、ナメられたくないと言ったじゃないですか。ナメられていると感じたことがあったんですか。
    高鹿 それは僕の一方的な受け取り方としてですね。普段の正田は飄々としてフランクな感じだし、僕も厳しくするようなことはなかったんですけど、シンプルに先輩として負けることで「この人、俺より弱い」って思われるのは嫌じゃないですか。先輩後輩って、この世界にどっちが先に入ったかだけの話だって言うかもしれないけど、それによって負けたくないっていう意識は生まれるものだし、ナメられないっていうのは正田に限らずプロレスラーだったら誰に対しても持たなければいけない姿勢だと思うんです。
    ――プロになって初めて後輩に負けたという事実がグサリと刺さったのが、2年前の優勝戦だったと思われます。
    高鹿 さかのぼると、高校のレスリング部でもそういう思いをしたことがあったんです。僕は高校から始めたんですけど、1つ後輩で小学校の時にレスリングをやっていたのが中学ではやらなくて、それで高校に入ったらまたやってみたいっていうのが入ってきたんです。そこでも先輩としてはナメんなよってなるじゃないですか。でも、自分がボコボコにされるぐらい強くて、その後輩は東日本のチャンピオンにまでなったやつなんですけど、その時にすっげえ悔しい思いをして結局、卒業するまで一度も勝てなかったどころか、もうとてもじゃないけど手が届くような相手ではなくなってしまったということがあったんです。だから、あの時のような思いはしたくないっていうのがあって。
    ――後輩に負けるということが原体験のように残っているんですね。
    高鹿 1回目のD GENERATIONS CUPで正田に負けて優勝を逃したところから差が開いちゃったというのを実感していて。たとえば他団体との対抗戦となった時、正田はカードに入れられているけど僕は組まれないとか、あとは正田の方が何度もチャンスをもらって先輩たちと試合をして経験を積んでいるのに、自分はダークマッチや第1試合だとか。その違いが目に見える形で現れていた。そういうことも含めて、この優勝戦に勝つことで変えたいんです。
    ――その意味では、2年前と同じ正田壮史が優勝戦の相手というのは都合がよかったんでしょうね。
    高鹿 それを望んではいましたよね。もちろん同じブロックのTo-yさんのことも意識していましたし、反対ブロックに一度優勝している正田の名前があったのを見た時はリベンジというのは浮かんだので、正田の存在がエネルギーになったのは確かです。
    ――キャリア4年弱で後楽園のメインをシングルマッチで務めることに関しては?
    高鹿 一人なんですよね。今までは遠藤さんや飯野さん、岡田(佑介)さんがいてというのはありましたけど…会見で、メインと聞いた時は、マジでマジか!?って思いました。正直、先に来たのは不安でした。おそらく、今までの自分だったら「俺にできるだろうか?」と思った時点でそれをずっと引きずっていたと思うんです。高鹿佑也というプロレスラーに自信を持てないままやってきて、1年前にケガから復帰した時も自信が持てなかった。でも、今はあの時と違っていて。BURNINGがなくなったことによって自分でやるしかないと思い続けてきた中で、秋山さんとシングルマッチでやった時(1・19品川。10分ドロー)にいただいた「おまえは大丈夫だよ」の言葉によって、自分が信じてやってきたことを続ければいいんだって思えたんです。それで自分の軸のようなものができたから、メインイベントと聞いても不安を取り払えた。もちろん、DDTという素晴らしい団体の後楽園ホール大会のメインは緊張もするだろうし、プレッシャーも今の時点で感じますけどそれ以上に楽しみだし、正田に対してやってやるっていう気持ちがワクワクにつながっていますね。
    ――それこそファン時代に見ていた晴れ舞台です。
    高鹿 大阪大会でTo-yさんとのシングルでメインをやったことがあって、それはもちろん一つの興行の締めということで緊張したんすけど、後楽園は聖地と言われるだけあって特別なんでしょうね。確か、1年前の復帰戦(3・17後楽園)は第2試合でしたからね。1年後にメインでシングルをやっているなんて、まったく想像できなかったです。でも、D GENERATIONS CUPの公式戦を見て会社がこいつらに任せてみようって期待をこめて決めたことだと思うんで、それも燃える材料になっています。
    ――メインを任せるというのは抜てきの意味もあるでしょうけど、プロレスラーとして団体に信用されているかどうかです。
    高鹿 そうですよね…直接、何かを言われるわけではないんですけど「やってみろ」「おまえらならできるはずだ」っていうものを示してくれたんだなというのは今まで以上のものを感じます。だからこそれに応えたい。自分自身に、今の俺ならいけるという感触があるのと、正田は正田で2年前より遙かに強くなっているから、お互いにレベルが何段階も上がっているはずです。
    ――DDTは長い歴史の中でその時代ごとのカラーがありましたが、今のDDTではどういうプロレスを表現したいと思ってやっていますか。
    高鹿 表現したいとは違うのかもしれないですけど最近、本当に感じるのはDDTの若手はヨソのどの団体にも負けていないっていうのを見せたい思いが強くて。もしかするとそれは正田と被っているのかもしれないんですけど。僕はアニマル浜口ジム出身で、一緒に練習していた選手が各団体にいるんです。この前、大日本プロレスでデビューした浅倉幸史郎もそうで。浜口ジムではあの人の方が先輩で、プロレス界に入ったのは僕が先という。そういうところからも刺激を受けるし、それこそD GENERATIONS CUPはDDTの若手という括りの中で闘いを繰り広げて、DDTの若手ってすごいだろと胸を張って言いたかったし。もちろん、文化系プロレスというのはDDTにしかないよさですからそれもあるべきだし、その上で他団体と勝負しても全然ひけを取っていないんだっていうのは見せていきたいですよね。
    ――ということは他団体の同世代選手に対する意識は常にある?
    高鹿 そうですね。もちろん、DDTの若手の中で負けたくないっていうのはあるけど、DDTって若手の闘いがすげえなって言わせたいっていうのもあります。DDTの若手だけでリーグ戦ができるぐらい選手がいるのは他団体と比べていい環境だと思いますけど、自分というものを出して実績を見せなければ“その中の一人”になってしまうんで。

    先輩に言われたことを全部聞こうとして
    何が正解かわからなくなった経験

    ――高鹿選手はデビュー時から関節技を主体としたスタイルを自分のカラーにしています。それは意図的なものなんですか。
    高鹿 はい。やっぱり岡谷さんや中村さんのようなスタイルもあればTo-yさん、須見、夢虹のような早く動いて、飛んで跳ねてというプロレスもあって、どれも本当にすごいし自分にはできないと思った時に、誰もやっていない腕攻めで一本を獲れるスタイルをやっていきたいってデビューする前から思っていました。もともとクラシカルなプロレス、一般的には地味とされるプロレスが好きだったのもあったし、水車落としのようなレスリングをベースにしたものも持ちつつという考えで始めて、デビューしていろいろ試す中で先輩の皆さんからアドバイスもらったんですけど、そういうのって自分に自信がないと言われたいろいろいなことを全部聞こうとしてしまって、何が正解なのかわからなくなっちゃったんです。
    ――ああ、若手あるあるですね。先輩によっては真逆のことを言う場合もあるから、どっちをやったらいいのかとなる。
    高鹿 まさにそれでした。結果、中途半端な感じなってしまった。それを経験して、自分の芯を持たなければってなりました。そこで今年の目標をそれにしたんです。じゃあ、自分の芯ってなんだろうとなった時に、それは秋山さんの教えだと思いました。僕のプロレスは秋山さんと岡田さんが教えてくれたものでできているので、それを軸にして考えていこうと。秋山さんからお聞きした言葉ですごく印象に残っているのがあって。「俺は(全日本プロレス時代)ベビーフェイスだったから、馬場さんから人の頭を蹴っちゃいけないよって教わったんだ。でも俺は、このままだと三沢(光晴)さんや小橋(建太)さんに勝てないと思ったから、じゃあどうしようと考えた時に人の頭を蹴っ飛ばすことを選んだ」って。それって人によっては非となることも、こっちの人にとっては是になる場合もあるということだと思ったんです。自分の信じること、やりたいものをしっかりやり抜く、貫くってすごく大事だと、その言葉を聞いて思いました。それはディーノさんを見ていても思いますし。秋山さんから教わったものと腕攻めを軸に自分のプロレスを組み立てようとやってみたら、自信が持てるようになったんですね。実際、前と違って顔が堂々としているとお客さんに言われるようになったし、今は自分でも迷わずプロレスをやれている、楽しめているなってすごく実感します。後楽園のメインを楽しもうと思えるのも、それがあるからなんでしょうね。
    ――12・28両国国技館のセミファイナルで終盤、高鹿選手が腕関節でTo-y選手を追い込んだ時に、場内が沸いて「高鹿が勝つか!?」という一体感が発生したんです。あれを見た時、積み重ねてきたものがちゃんと見る側に伝わっている成果だと思いました。
    高鹿 最初は地味すぎるかなと不安になることもありました。でも、続けるうちにあの腕攻めが好きだと言ってくれるファンの方も出てきて、そういうのが自信につながります。自分の選んだ道が間違っていなかったんだという意味で、嬉しいですよね。
    ――腕攻めというのは誰かにインスパイアされたものなんですか。
    高鹿 先ほども言ったように、クラスカルなスタイルが好きで一点攻めを自分のスタイルにしようと思う中で、デビュー前に吉村さんとそういう話をしていたんです。最初は脚攻めを磨こうと思っていたんですけど、吉村さんから「脚攻めは彰人さんも大石さんもいるけど、腕攻めはいないからそっちをやってみたら?」とアドバイスをいただいて。最初は全然ヘタっぴで、今もまだまだなんですけど、ようやく見えてきた感じです。
    ――ザック・セイバーJr.のような選手から影響を受けたのかと思っていました。
    高鹿 ああ、ザック選手はめっちゃカッコいいな!と思って見ていました。ストレッチホールドでプロレスを組み立てられるところとか…あとは青木篤志さんですね。一発でギブアップを獲れて試合を終わらせるのが、すごいくカッコいいなと。
    ――そういうスタイルに価値を見いだせたんですね。
    高鹿 僕のプロレスの入り口は、親父と一緒に見る日テレG+のプロレスリング・ノア中継だったので。もちろん、その時に秋山さんを見ていますし。当時、青木さんとザック選手が第3試合の15分一本勝負でやった試合がすごく好きで、今でもたまに見たくなるんです。
    ――NOAHに上がっていた頃のザック選手を見ているんですね。
    高鹿 あのチェーンレスリングの攻防が好きで、それに対するあこがれは言われてみればあったと思います。それを、秋山さんからアドバイスをいただきながら形にしてきたという感じです。自分が見てきたものを自分がやれて、そして見てきた人からプロレスを教わることでここまで来られたんだと思うと…うん。品川で秋山さんと10分間やったあとに、秋山さんがこう(サムアップポーズ)をしてくれて、なんだか「わーっ」ってなっちゃって、泣く直前までになって。結局、泣いちゃったんですけど。あの言葉をいただいた瞬間、デビュー前のこととかいろいろ思い出しちゃって、気づいたら涙が出ていました。僕は練習生の時、本当にダメダメで、何を教えられてもうまくできない子で、やめますと言ったこともあったんです。
    ――できないというのは体力的に? それとも体の理解が追いつかなかった?
    高鹿 レスリングをやっていたから、ちょっとは自分もできるだろうと思っていたのが、やれと言われたことを実技としてできなかった。なまじできると思っていた分、よけいに心が折れてしまって無理だなと思ってしまったんです。でも、その時に続けてみなと言われたことでなんとか頑張れて、そのあとに秋山さんがDDTにいらっしゃった。だからデビューできたのは、本当に秋山さんと出逢えたからだったんです。そういうことがあったから、品川ではいろんな感情がバーッとあふれ出て。

    “変形”トライアングルランサーの技名に
    こだわる理由…井上亘からアドバイスも

    ――腕関節の一つとしてトライアングルランサーを使っています。元新日本プロレスの井上亘さんの技ですが、あまり使い手がいない中でこの技を選んだのは?
    高鹿 NOAHが入り口だったんですけど、そこから新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアや井上さんのIWGPジュニアヘビー級タイトルマッチも見るようになった中で「この技、腕攻めだけど首も攻めている。いい技だな」って当時から思っていました。それでDDTに入ってから改めて見直しては研究を重ねて。最初は井上さんに許可をもらわず勝手に使っていたんですけど、両国で佐々木大輔さんとエル・デスペラードさんが対戦する時に、新日本プロレスのスタッフとして井上さんが来られていたんです。いや、控室でも隅っこに立っていらっしゃったので、最初は気づかなかったぐらいだったんですけど。
    ――亘さんらしいというか。
    高鹿 それで自分からご挨拶にいって「DDTの高鹿と申します。トライアングルランサーを使わせていただいているんですけど…」と報告したんです。そうしたら「そうなんだ! もう、全然使って、使って!」と言ってくださって。むしろ「(オリジナルの)技名、変えて使っていいから」とまで言われて、いやいや!ってなったんですけど。そこで30分ぐらい話して「こういう入り方もあって、こういうふうに獲れるんだよ」と教えていただいて、その後もお会いするたびに「こういう入り方を考えたんだけど!」ってアドバイスをくださるんです。
    ――自分は現役を引退したから使わないにもかかわらず、他団体の選手のために入り方を考えてくれている!
    高鹿 今年に入ってからもお会いすることがあって「両国の時よりもよくなっているよ」って…僕の試合をちゃんと見てくださっているんですよ。浜口ジムの先輩でもあるので嬉しくて。これはもう、公認トライアングルランサーということでどんどん磨いていって、高鹿佑也の技にしていきたいです。
    ――正調の形だけでなく、変形としても出しています。
    高鹿 井上さんにいただいたアイデアであったり、自分で考えた入り方をやってみたりで。ただ、そこは「変形トライアングルランサー」であってほかの技名ではないんですよ。トライアングルランサーの名前はちゃんと残さないと。だって、トライアングルランサー自体がカッコいい技名じゃないですか。僕にはそれ以上のネーミングセンスなんてないし、井上亘さんから継承するにはその名前を残したいんで。
    ――そうした関節技だけでなく、ムーンサルト・プレスのような飛び技も使います。
    高鹿 スワンダイブ式のフォアアームのような技もやってはいますけど、ムーンサルトもやったらできたんで。もともと後転もできないような子だったんですけどね。初めて出したのは確か新宿FACEの6人タッグでTo-yさんだったと思うんですけど、その時はムーンサルトからアームロックに移行しました。そういう隠しナイフのようなものは持っていた方がいいんじゃないかなと。僕はドロップキックもやらないので、飛び技が出たらアッとなるから。
    ――今日の取材ではスラスラと話していますけど、両国前の11・23後楽園で見せたTo-y選手とのマイクのやり取りが、二人で自分の思いをうまく言葉に変換できず、それでも感情が発露していて逆に印象強く残ったんです。
    高鹿 あの日は自分のタイトルマッチが流れて(勝俣瞬馬の欠場によりKO-Dタッグ挑戦からカード変更)、王座決定戦にもならなかった。もちろんそれはケガをした人が悪いとかじゃないんですけど、代わりのものが何もない上に試合にも負けて、俺がやってきたことって、なんで報われないんだ!ってなっちゃって。そこでTo-yさんとやり取りする中で、リングの上は結果を出したものがすべてだっていうの突きつけられた。いろいろ言われる間も「俺もプロレスを楽しんでいるよ。てめえの物差しで言うんじゃねえよ!」っていう感情があったんですけど、努力してきたもの全部が全部、実るわけじゃないし、実際にTo-yさんに負け続けていい結果を残せていないのであれば何も意味がないんだと気づかされて。それこそ自分に自信がないままやってきた中で、あの闘いで自分の信じるものを一個持って、貫いて闘わなきゃいけないんだってなったんです。それぐらいグサッと刺さるものがあったので、うまく言い返せなかった。To-yさんに対してよりも自分に対して悔しかったですね。それまでのうまくいっていない自分…復帰しても後輩の瑠希也に負けてD GENERATIONS CUPも1回戦で終わって、対抗戦のカードに後輩の名前はあるのに自分はない…そういうのが全部、あの時にグワーッと来て、感情は動いているのに言葉として出なかったんですよ。
    ――ああ、確かにそういう感じでした。
    高鹿 結局、全部が“つもり”だったんだなって。自分と向き合っているつもり、強くなったつもり、成長したつもり…そこに気づかされた場でした。自信を持って俺はこれだって言えるものがなかったから、うまく言葉として出なかったんだと思います。だから、あのTo-yさんとのやりとりは本当に大きなことでした。
    ――観客にアピールするためのものではなく、二人だけの感情のぶつけ合いでした。
    高鹿 たぶん、今後も続くプロレスラー人生の中でのけっこうなターニングポイントだったと思います。なぜなら明確にお客さんの前で、あのマイクは負けたんで。おまえ、負けてんじゃんっていうのが見えちゃったと思った時、すごく恥ずかしくなったんですよ。見られているお客さんの視線に対し恥ずかしかった。悔しいとか、フザケんじゃねよ、おまえになんかに負けてねえよって確かに思っているのに、お客さんの前でそれがオープンになった時に「おまえに何があるんだ?」って言われたらそれを言うことができないという現状を突きつけられて、お客さんにも「おまえは何もねえじゃん」って言われた気がして、悔しさ以上に恥ずかしさでした。リング下に隠れたいと思ったぐらいでしたから。To-yという一人の人間に言葉で追い込まれて、何も勝てていない俺は弱いと思ったら、もう…。
    ――恥を、ちゃんと恥と認識できるのはいいことだと思います。恥ずかしいと思わなければ人間は変われないですから。
    高鹿 そうなんですよね。両国のタッグ王座決定戦でも負けてしまったからこそなのかもしれないですけど、逆に落ちるところまで落ちたんだから改めて生まれ変わってみようとなれたんだと思います。いろいろなものにトライしてみるって、すごく怖くて。僕、気にしいなので。先輩たちに言われたことを全部聞こうとしたのもそれなんですよ。先輩の言葉に対しこれは違うとか、取捨選択するのが怖いから全部聞こうと思ったんだなと。だから、あの日のTo-yさんとのやりとりに関しては、今となってはTo-yさんに感謝しています。あそこからの3ヵ月間で自信を持てるようになったのは、あれがあったからだし。時間はかかってしまったけど、あの日にやる予定だったKO-Dタッグ挑戦も、勝俣さんに一回勝っただけでチャンスをつかんだ男とは違うんだぞというのを優勝戦で見せたい。
    ――11・23後楽園をあの場で見たファンの方々に、優勝戦にも来てほしいですよね。
    高鹿 本当にそう思います。あの時、自分と思ったことをうまく言葉にすることもできなかった人間が、たった3ヵ月でここまで変わるんだというのをその目で見ていただきたいです。あと、今回は優勝したらトロフィーがもらえるそうなので、それを掲げたい。その方があの日の自分との違いが明確に伝わるじゃないですか。確実に、この4年の中で一番自分の頭を使った3ヵ月間でした。あとはそれを実績として示すだけなんで、もう今までの高鹿佑也に別れを告げて、ステップアップします。この優勝戦に負けてしまったら、また前の自分に戻ってしまう。もう“あれ”は味わいたくないですから。

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