12・22後楽園ホールにて新日本プロレス・石井智宏とシングルマッチで対戦する飯野雄貴。国士舘大学ラグビー部出身のスーパーアスリートとして将来を嘱望されるも、真逆とも言えるフェロモンズで一世を風靡したが、それに区切りをつけて本来自分が求めていたヘビー級のプロレスをBURNING入りし、体現してきた。今回は石井戦への意気込みとともに、そうした振れ幅が広すぎた7年間の知られざる心中を語ってもらった。(聞き手・鈴木健.txt)
“ひとり関本&岡林”になりたかった
自分にとって石井戦は望んだ闘いになる
――今回の石井智宏戦は、飯野選手の方から希望を出したものなんですか。
飯野 BURNINGとしてプロレスリング・ノアの「LIMIT BREAK」に出て潮崎豪さんと対戦したり、GLEATで田村ハヤト選手とタイトルマッチをおこなったりという闘いをするうちに、ヘビー級の試合としてもっとやれることがあるという感触をつかめたんですけど、具体的に石井智宏さんとやりたいと自分の方から出したわけではなかったんです。だから、決定したと聞いた時は驚いたぐらいで。
――それ、この試合を組んだら面白いものになるという会社の飯野選手に対する評価ということになりますね。
飯野 長い間、ずっと目標にしてきたとか意識するような選手ではなかったんですけど、逆に言うと自分と石井さんが対戦なんて想像さえできない存在だったんです。だからこそ、それが実現するとなった時は、驚きとともにそういう波が自分に来たなと思いました。
――11・4ひがしんアリーナで今林久弥GMから発表され呼び込まれた時、いてもたってもいられないという感じでリングに上がってきたのは、そういう感情によるものだったんですね。
飯野 そうです。ただ、いざやるとなってもその時点での僕の中にはそれほど情報がなかった。もちろん、新日本プロレスでストロングスタイルを実践していて、エルボーやチョップといったシンプルな技だけで相手をなぎ倒してしまうパワーファイターという認識はありましたけど、その歴史をずっと見続けてきたわけではないので。最近でも、AEWに上がっている映像を見るぐらいなんですけど、自分が求めているものに一番近い存在だとは思っています。
――実は石井選手、DDTがclub ATOMや北沢タウンホールでやっていた頃の2000年から2002年に上がっていて、大家健選手との一騎打ちもおこなっているのを知っていますか。
飯野 ああ、それはシングルマッチが決まったあとに誰かからポロッと言われました。20年以上も前なんですね。
――今のDDTの中には、同じようなタイプはいないと思われますが、今はどんなシミュレーションをしていますか。
飯野 シンプルにぶつかり合いとチョップだと僕は思っています。ただ、僕がどう想定しても、こっちがやることに対し絶対にそれで返してくるタイプというイメージなので、その意味では望んだ闘いになるでしょうね。
――GLEAT7・1TDCホールでおこなった田村ハヤト戦のようになるのではと予想しています。
飯野 あの試合に関しては、年齢もキャリアも近い同じヘビー級ということで、そういう相手と今までやったことがなかっただけにすごく楽しみだったんです。体育会でずっとやってきて、身体能力が高いというのも聞いていたけど、じっさいにぶつかり合ってみたらアスリートだなって思いました。技やスピードもそうなんですけど、瞬発力で自分と似ている部分があるなと思って、やりながらやりやすかったです。
――似ている部分がある相手はやりやすい?
飯野 僕はそうです。ぶつかった感覚が自分と同じだと「わかる」っていう感触がつかめるんで。
――あの一戦は飯野選手の持ち味がダイレクトに発揮された内容でした。
飯野 ずっとああいうデカくてスピードとパワーがある選手とやってみたかったので。自分の感覚は「フィットした」だったんですよ。ここ一年の中では一番やりやすかった相手だと思うし。
――もともとDDTに入った時から成長したらそういうスタイルでやりたいとは思っていたんですか。
飯野 そうですね。プロレスラーになる前にあこがれていた選手が関本大介さんだったので、ああいうプロレスラーになりたいなというのはありました。だからトレーニングを日々欠かさずやって、パワーや迫力のあるスタイルをしたいと思って。関本さんと岡林(裕二)さんの合体バージョンを目指していたんです。
――ひとり関本&岡林!
飯野 スピード、パワー、強引さ。あのハチャメチャさが大好きで。常識ではあり得ないことをあのお二人はやっていたじゃないですか。それを一人でできたらなと空想していました。
――では、パワーファイターが好きなプロレスファンだったんですか。
飯野 もともと入り口は大学時代に見たWWEだったんですけど、プロレスラーを目指すにあたってどういうスタイルが自分に合うかを調べるうちに、関本さんが面白い!と思ったんです。
――ということは、普通に選択したら大日本プロレスに入ろうとしますよね。
飯野 正直、プロレスラーになりたいと思った時点でプロレスのことがそんなに詳しくなかったんです。それでYouTubeに上がっていた新日本プロレスの入門テストの動画を見て、これを頑張ってやれば合格するんじゃないかと思うぐらいで、いざテストを受けるとなった時にどう応募したらいいかがわからなくて。僕は、何かスカウトが来てその団体に入るものなのかなと思っていました。
――プロ野球のドラフト会議のように、団体側が指名して誘われるというような。
飯野 そうですそうです。それぐらいプロレス界のことを知らなくて。それで、自分のラグビー部の先輩が髙木さんと知り合いで「プロレスラーになりたいやつがいるんですよ」と話してくれまして、それで入門テストを受けられた。なので、自分からこの団体にいきたいと動く知識がなかったんです。
――その先輩とグレート小鹿さんが知り合いだったら、大日本になっていたでしょうね。
飯野 そうですよねえ。大学でラグビーをやっている時点では、卒業してもこれを続けるんだろうなと思っていたんですけど寮でJ SPORTSがついていて、そこでWWEをやっていたのを見かけてハマっていきました。正直、プロレスに対してはミーハーでした。この世界、いいよなあって。
――プロレスのどういうところに魅力を感じたのでしょう。
飯野 この肉体になりたい!でした。僕はジョン・シナが好きで、そのあとルセフもいいなと思いました。
――ルセフは体型的にも飯野選手に近いですね。
飯野 それぐらいのレベルだったので、鈴木健三(KENSO)さんがプロレスラーになったことを知らなくて。僕にとっては、ラグビーの人なんですよ。明治大学で日本代表になったというのは知っていたんですけど、プロレスに転身したという知識はなかった。大学4年になるぐらいまでは、監督にもこのままラグビーを続けますと言っていました。ただ、社会人になってもラグビーを続けて、いつか現役を退いてもずっとその企業で務めるとなったら面白くないだろうなって思うようになって。違う刺激を求めるようになったんです。
――それがプロレスだったと。
飯野 監督に、プロレスをやりたいんですと言ったら「は?」と言われました。
――でしょうね。
飯野 それまでラグビーを続けると言っていたわけですからね。でも、つながりのある先輩がいてくれたことで入れた。入門してからプロレスを知るわけです。WWEを見るまでは、テレビであまり見ていなくて。小さい頃にTVK(テレビ神奈川)で大日本プロレス中継をやっていたんですけど、見ていると親が消しちゃうんですよ。血が出ているから。会場にもいったことがなかったです。初めて見たのは、プロレスラーになりたいですとお話させていただいたあとに招待か何かでダイナマイト・関西さんの引退試合にいきました。
――OZアカデミーになりますかね。
飯野 そうでした。見事なまでに、今とまったくつながっていないッスよね。
――ということはですよ? DDTを一切見ないまま入ってきたということですか。
飯野 実はそうだったんです。髙木さんと面談した時に見ていきなさいと言われて初めて見たのが年末最後の後楽園ホール大会でした。それが正真正銘DDT初体験です。どんなカードがあったのか、どの選手がよかったなんていうのはまったく記憶に残っていなくて、全試合終了後にクリスマスだといってガンでプレゼントを飛ばしているところしか思い出せません。そういう感じだったので、入った当初はプロレスを知るためのチャレンジという感じでした。ドロップキックで働いていた時も、お客さんから質問されてもわかりません、わかりませんばかりで「珍しいね」と言われました。それで開店前や閉店してから掃除をしつつ、店の中で流れていたサムライTVの映像を見ながら勉強しました。
――他の若い選手たちはほとんどがファン時代からDDTを見て、好きだから入ってきたパターンですよね。共通言語が持てなかったり、知識にハンディがあったりでついていけるだおうかと思わなかったんですか。
飯野 そこは、社会に出たらやめられないというのが自分の中にあったので。ラグビーをやっていた頃もその気持ちで続けられたんです。
――体力的には問題ないとして、それ以外の部分で苦労したのは?
飯野 いや、でもやっぱり練習でした。やったことがない動きばかりだったので、マット運動だけでも苦労しました。ラグビーで体力はつけていましたけど、やることが違うとキツいのは同じなんですよ。体操教室にも通いましたし。
――闘龍門時代の大鷲透選手みたいですね。
飯野 練習生の時、倒立ができなくて代々木にある体操教室で小さい子たちの中に一人だけ大人が混ざりながらやりました。
ALL OUT** **へ入り先輩たちのアドバイスに
よって今の自分が作られ方向性が定まるも…
――よくやりましたね。
飯野 それでも僕は練習生期間が短かったんです。そこはラグビーをやっていたから体はある、あとはプロレスの技術だけだという感じでケガをしないための運動をしっかりやれとなって。2月から少しずつ練習はしていて、卒業した4月から本格的な練習に入って4ヵ月でデビューでしたから、それは自分でも驚きだったんです。
――ラグビー部で本格的に体を鍛えていても、苦労はするものなんですね。
飯野 これはやってみてわかったんですけど、ラグビーって屋外競技じゃないですか。それに慣れていると、室内競技に変わった時に体力の使い方も酸素の吸い方もまったく違ったんです。窓を閉め切った道場で運動すると、息遣いがフィールドでプレイする時とは別モノでした。それが苦しくて。あとはプロレスを知らずに入ってきたから、教えを受ける先輩たちのことをほかの若手以上に怖く感じて、緊張していました。
――プロレスを知っていればある程度どういう人なのか把握できますが、それがないと先輩というだけで恐ろしい存在になるでしょう。
飯野 それでよけいに緊張して。当たり前なんですけど、練習中は一切笑わないんです。その姿がプロレスラーの怖さそのものになる。話もほかのプロレスを知っている若い世代の選手と会わないし。孫くんという東方英雄伝から練習生になった子がいて、仲良くなったんです。彼も日本のプロレスについて詳しくはなかったので会話が合ったんですね。でも、孫くんがケガをしてやめてしまって、練習生は僕一人になっちゃったんです。誰と話せば会話が合うんだと思いましたね。
――一つ上が上野勇希、吉村直巳世代で、一つ下が中村圭吾選手になるんですよね。
飯野 何人かいたんですけどすぐやめちゃって、中村くんまで2年空いたのかな。でも、中村くんもDDTのことを知って入ってきたからそんなに話もできなかったです。
――2017年8月20日にデビューしたあと、DNAのメンバーで演劇にチャレンジしたじゃないですか(2019年7月5~7日、千本桜ホール「櫻農カプリチオ」)。表現力を高めるためということでみんながやっている中、ラグビー仕込みのガタイでやっているのは正直、場違い感がありました。
飯野 最初は舞台だということも知らなかったんです。だから、なんでプロレスラーになったのに、演劇をやるんだろうって思いながらやっていたし、台詞としても二言三言だったので印象に残っていないんです。だから僕の中では、11月に出演させていただいた『ぐらんぶる』が初舞台だと思っています。
――テレビドラマ『ノーサイド・ゲーム』にも出演していますが、あの時の経験は生かされているんですかね。
飯野 いやあ、どうなんでしょう。でも、その後も舞台やテレビに出演させていただくことになるなんて、その時は想像もしていなかったですよね。そういう状況だったので、わからないだらけでまだプロレスラーとしての自分の方向性のようなものは定まっていなかったと思います。それはALL OUTに入るあたりからですね。あそこでラグビー色を前面に出したスタイルを貫こうと定まりました。そこで救われたなと思ったのは、皆さんがアドバイスをくれたことです。今の自分は、そういう先輩方によって作られたんだと思います。ALL OUTでも竹下さん、勝俣さん、彰人さん、ディエゴさんもいて「この技を使ってみたらどう?」「こういうことをやってみなよ」ってアイデアをいただいた。そこからヘビー級としての自分を形作っていったんだと思います。あとは今思うと、七番勝負をやって少しは変わったかもしれないというのがありました。
――「飯野雄貴“ノックオン”七番勝負」ですね(入江茂弘、竹下、樋口、イーサン・ペイジ、葛西純、マッド・ポーリー、関本に全敗)。
飯野 最近のWWEを見ていて、イーサン・ペイジが出てきた時に「俺、この人と試合したんだよなあ…」って思いました。あそこでヘビー級のプロレスがどういうものなのかをつかめた気がします。
――最終戦があこがれの存在だった関本選手との一騎打ちでした。
飯野 それが実現したことによって、ようやく自分でプロレスラーになりたいと思って飛び込んで、求めていたものが形になったんだと思います。関本さんのチョップを食らって「こういうことなのか!」という気づきも得られましたし、間合い、動き、仕草、もちろん技も含めていろんなものが見えました。
――にもかかわらず…フェロモンズになっていくわけですが。
飯野 フェロモンズはフェロモンズで、まったく違う方向性でありながら楽しかったんです。男色さんがすごいと思うのは、自分ではなく僕を前面に出してくれたじゃないですか。「フェロモンズは飯野“セクシー”雄貴のユニットだから」って言ってくださって、一番いろいろ考えているのに、一歩引いていただいていたというか。
――最初は迷いがなかったんですか。
飯野 確か、フェロモンズとしての初っ端がKO-Dタッグのタイトルマッチだったんです(2021年9月12日、福岡・西鉄ホール。竹下&勝俣に挑戦)。でも、その時点ではセクシーと言われてもどうすればいいかわからなくて、一応ポロシャツと短パンで出たんですけど。
――ポロシャツ姿、ありましたねー。
飯野 それでもセクシーを自分のものにすることができなくて、いろいろ参考にしました。リック・ルードやレイザーラモンHGさん。あとそれとは違ったオーラとしてのセクシーさということでスコット・ホールを見たり。それで、自分の中でセクシーのイメージを植えつけていきました。
――その結果、圧倒的支持を得られるようになりました。パワーファイターを目指していたのに、違う方向性で求められるのは気持ちとしてはどうだったのでしょう。
飯野 あの頃は、とにかく恥ずかしがったらダメだと必死でした。その一方で、何をやるにしても引かせたくないというのもあった。
――楽しませるのと引かせてしまうのは紙一重ですよね。
飯野 そうなんです。場所によっては…地方にいくと見たことない男がケツを出して今林さんの顔を突っ込んでいるわけです。最初の頃はコーナーに上った瞬間にパッと客席を見渡して、どんな顔をしているか確認していました。そこで冷めた顔をされていたらメッチャ恥ずかしいんですよ。でも笑っていたら受け入れられたなと解釈して。GCWに出た時、それをやってみたらすごく怒った顔をしている人がいたんです。怖くて見ることができませんでした。そうやって、いいか悪いかの答えにしていましたね。また、そういうことで楽しんでもらえているというのが新鮮でした。あとは、昔のDDTの映像を見て確認作業をしました。こういうことをやっているんだから、ここまではいいだろうみたいな。だから、リアルタイムでは見ていないけれど僕の中にもあの頃のDDTは刷り込まれていると思っています。フェロモンズもDDTの象徴というつもりでやっていましたね。
――じっさい、ラグビーをやっていた人間が人前でお尻を出すというのは抵抗なかったんですか。
飯野 一回やっちゃえばという感じでした。ラグビー時代の仲間や先輩たちには面白がられました。ただ、先生には伝わっていないと思うので、顔を合わせづらいです。GLEATに出た時、リングサイド最前列に鈴木桂治先輩(国士舘大学出身の柔道家)がいらっしゃっていたんです。おそらくカズ・ハヤシさんの引退興行ということで、そのつながりだったと思うんですけど、フェロモンズとしての試合じゃなくてよかったと思いました。飯野“セクシー”雄貴だったら、即座に写真を撮られて監督に送られていたでしょう。
――フェロモンズに関しては一連の合体技とか、本当によく考えつくなと思いながら見ていました。ネーミングもいちいち秀逸で、物書きの立場からは嫉妬するぐらいでした。
飯野 常に考えるというのは、フェロモンズで培いましたよね。合体技にしてもああでもない、こうでもない。こういうのはどうだろうって出し合ってちゃんと試合前に練習もして。
BURNING** **の角を取りたいという思い。
DDT** **のヘビー級=飯野雄貴になる
――フェロモンズ殺法が練習の賜物だったとは…。フェロモンズとして最高峰のベルトにも挑戦しました(2023年5月3日、横浜武道館。火野裕士のKO-D無差別級王座)。
飯野 今思うと、難しい試合でした。当日前にフェロモン抜きをして、ストロングスタイルでやっていたのが途中でフェロモンズになって…と、一つの試合の中で切り替えて切り替えてという展開になった。それでも最終的にはバチバチの試合をやったんですけど。
――小橋建太さんが試合中に語らなくなるという。
飯野 今でも目を合わせられません。
――にもかかわらず、BURNINGに入っているという。小橋さんは認めているんですかね。
飯野 確認はしていないですけど、秋山さんが今はオリジナルのBURNINGだと言っているので、僕も別のものというつもりでやっているんですけど。小橋さんと秋山さんがやっていた当時のBURNINGは見ていないですし、あとで調べるうちに潮崎さんもいたんだということを知ったぐらいなので。だからBURNINGはこういうものだというイメージもまったく持たずにやっていて、僕はBURNINGの角(かど)を取りたいんですよ。
――角?
飯野 The37KAMIINAやDAMNATIONはもともとユニットとしての濃さがあったじゃないですか。でもBURNINGは秋山さんのユニットという認識で見られて、恐れられているなとフェロモンズの時に感じていたんです。そもそもあまりフェロモンズとBURNINGは組まれなかったので絡みようがなかったし。そこに対して、自分が入ってどういう立場なのかを考えた時に、怖さというイメージを外したいというのがありました。遠藤さんも高鹿くんもすごく明るくやるタイプとは違うので、そこにフェロモン抜きした僕が入って明るいユニットにしたいと思って、もともとBURNING系とされるものがなかった人間だから、掛け声的なものもほしいって思ったんです。フェロモンズが「セクシー」であれほど盛り上がったという体験が自分の中にあったし、サウナには「熱波WER! !」があってハリマオには「どすこい!」がある。そういうのがBURNINGにもあればいいなと考えていた時に、WWEのLAナイトを見たんですよ。“YEAH”っていいよな、考えてみればジェイ・ウーソも“YEET”というシンプルな言葉だよな。やっぱりそういうのがいいんだとなって、それで「I am BURNING,YEAH!」とさりげなく入れるようにしたんです。
――BURNINGのYEAHがLAナイトから来ていたとは意外でした。
飯野 フェロモンズの時もコール&レスポンスをできることでお客さんが楽しんでいたじゃないですか。あれはコロナ明けだったこともあると思うんです。声出しOKになったことで思いっきり出せるようになった。あれが声出しNGの中でやっていたら、こっちの心が折れていました。それぐらい、掛け声って重要なものだと思っていて。
――かわされる確率が極めて高いとわかっていながら、必ずエルボーへいく時にあれを言っているのは、そういうこだわりがあったからだったんですね。
飯野 そうです。僕の中であの場面が一番声を出してほしいところであり、一番お客さんと一体になれる瞬間だと思っているので。YEAHと叫ぶことによって、見ている方々に入り(はいり)込んでほしいんです。
――ということは…石井戦でもやるんですか。
飯野 やります。絶対にやります!
――たとえそこでかわされて不利になったり勝利が遠のいたりしても?
飯野 はい。潮崎さんと対戦した時もやりましたから、そこは譲れないです。
――そこまで思い入れを持ってやるのであれば、決まったら胸アツですよ。ヘビー級としての自身を確立するための経験を積んだ今年を経て、2025年はどうしていきたいというのは描かれていますか。
飯野 一番は、DDTのヘビー級と言えば飯野雄貴というイメージをつけたいと思っています。樋口さんが欠場している中、今は納谷がヘビー級としてどんどん上がっている状態ですけど、ダントツに目立っているヘビー級はいないと思うんですよ。
――誰かが一強という形にはなっていないですね。
飯野 樋口さんが無差別級を獲った時に、DDTのヘビー級と言えば樋口和貞というイメージが確立されたところはあったんですけど、それを超える人間になりたい。そして自分がKO-D無差別級を獲ることでBURNINGの認知度をより高めたいです。今、BURNINGのメンバー全員がパーソナルトレーナーなんですよ。高鹿くんも最近、始めたようで。
――パーソナルトレーナーユニット・BURNING。要はスペシャルスト集団ということですね。
飯野 そうなんです。その僕らでやめた岡田(佑介)選手の分も頑張っていかなきゃなと思います。
――岡田さんの無念さを間近で見てきただけに…。引退セレモニーの時、階段を上がるさいどかされていましたが。
飯野 ハハハッ、あれは同期としての岡田選手なりのイジリです。岡田選手がDDTに入ってきた時に同期ですよねって言われて、そのあと納谷も入ってきて3人同期だということに気づいて。神野聖人、中野貴人選手もそうなので、2025年はその世代でもっと上にいきたいです。
――岡田さんの気持ちを思うと、プロレスを続けられることの意味を噛み締めるのではと思います。
飯野 本当にそう思います。もう7年もやることができましたからね。その7年は、まあ濃かったです。今は、僕のことを「へぇー、フェロモンズの人だったんだ」という認識で見られている人が多くなったと思います。それぐらい流れが速く感じる。
――考えてみれば、1年前の今より少し前までやっていたんですよ。そう思うと、確かに遠い過去のような気がします。
飯野 11月24日にゴージャスナイトがあったじゃないですか。1年前は、まだフェロモンズだったんです。福島の皆さんは、1年前にケツを出していた男が全然違うスタイルでやっているのを見てビックリしたでしょうね。
――話をお聞かせいただいてわかったのは、どんな立ち位置になっても物事をポジティブにとらえて向き合ってきているんですね。
飯野 プロレスもパーソナルトレーナーの仕事も全部、楽しんでやるようにしています。どんな形であろうとも、プラスにすればそれが正解。だから石井戦に関しても本音を言ったら不安もありますけど、試合をやってみたらポジティブなものになっていると思っています。関本さんの時と同じように、触れることで得られる気づきもあるでしょうし、LIMIT BREAKでの経験も、藤田和之さんとの対戦も得たものが大きかったんで。試合を終えたあと、藤田さんに言われました。「フェロモンズだったんだよね。あれってどうだったの?」って。
――藤田和之がフェロモンズを知っていた!
飯野 たぶんですけど、ケンドー・カシンさんから聞いていたんだと思います。今年経験することのすべてを来年につなげていけるという手応えはつかんでいるので…ただ、男色さんは言うんですよね。「まだフェロモンズは諦めてないわよ」って。



