DDTロゴ
DDT

【退団を前にしてのロングインタビュー】“他者実現”のために動くのが性に合っていた13年間――大石真翔にとって「放っておけなかった」DDT

この記事をシェアする

  • 10・3新宿FACE大会を最後に13年間所属したDDTを退団し、拠点を宮城に移す大石真翔。現役としては今後も続いていくが、KAIENTAI DOJOを離れてまで入りたかった団体を去ることになるのは、人生における大きな転機と言える。バイプレイヤーとしての立ち位置を全うし、表舞台と見えないところの両方で組織に貢献してきた。男色ディーノや秋山準との関係性も含め、それらの足跡を本人に語ってもらった。途中、涙をこぼしながら――。(聞き手・鈴木健.txt)

    毎試合出場するのが所属という考え
    東京で子育てするイメージが湧かず

    ――7月24日の退団発表会見後の周囲のリアクションはどんなものですか。
    大石 最初はそうでもなかったんですけど、ここ1ヵ月の間にチャンピオンクラスや僕と昔から縁(えにし)の深い人たちとのシングルマッチが組まれて、どれもけっこう気持ちこめてやったらみんなから引退みたいだねって言われたり、普通に言い間違いで引退って言われたりするうちに、自分も「10月3日の引退の日にさ…」って言っちゃうぐらいになってしまいまして。いやいや、れっきとした退団なのでアレなんですけど。
    ――髙木三四郎選手の休業ロードのような“引退感”ですよね。
    大石 本当ですよ、あの休業ロードの続きのようにみんなで人を引退させようとしている。この前も、ファンの方にまで「引退するなんて寂しいですね」って言われました。
    ――まあ、縁のある人たちとの試合が続けば流れとしてそうなりますよ。そうしたカードは、自分が望んだものではなかったんですか。
    大石 やりたいとは言いましたけど、ここまで凝縮したものになるとは考えていなかったんで。ひとりチャンピオン・カーニバルのようなものですよね。
    ――何も残さずに終えるよりは、そのつど試合の中で意思確認もできるわけですから。
    大石 でも…たぶん(退団後もDDTに)上がるんで。本当に、会見で言ったように今林詐欺って言われかねない。
    ――そもそも、退団という形にすることなく宮城に移りスポットで出ることも、やろうと思えばできたはずです。それこそゴージャス松野さんが福島在住のまま所属であるように。
    大石 そうなんです。ただ、髙木さんから「13年間、ウチで頑張ってくれたんだから盛大に見送りたい」と言っていただいたのもあったし。確かに、松野さんのような形も考えました。でも、これは松野さんのやり方を否定するのではなく、僕の考える所属というのは毎試合必ず出場するべきだと思っていて。もし仮に他団体からオファーがあった時に、同じ日にDDTの大会があるから断らざるを得ないってなるのも嫌だし、だったらケジメとしていったん離れて、逆にDDTからオファーをいただいて出る形が健全だと思ったんです。
    ――ここ数年は選手以外に社長業を兼ねていることから、レギュラーで出場しない髙木選手の例もありました。
    大石 僕の会社業務って、宮城にいたらやりづらい仕事なんですよ。事務所にいるから「大石にやってもらおう」となる。だから東京から離れたらそこが難しくなってくるというのもありました。僕って、いたら便利な人間なんでしょうけどいなくなっても使うのか。そこは自分でも不安だし、試合も大石がいるからやってもらおうとなっていたのをわざわざ交通費かけてまで呼んでさせる仕事かといったら、たぶんそうはならないのではと思って。それで今はとりあえずDDTを離れて、これからのことを考えようというところに至った感じです。
    ――KAIENTAI DOJOを退団し、フリー期間を経て2011年に自身の希望でDDTに入団したわけですが、それほど愛着のある場所を離れるというのは大きな決断です。
    大石 葛藤はありましたね。若い子たちはかわいいし、なんなら先輩たちもかわいい。なんていうか、いまだ放っておけないんですよ。一番、大石がいないと不便だと思っているのは秋山さんと男色だと思うんですけど。
    ――秋山さんが一番ごねたとか。
    大石 「やめるのやめなよー!」って言われました。
    ――あの秋山準にそこまで言われるのも冥利ですね。
    大石 いやー、本当です。よくしていただいたし、あの人も特別かわいい人なんで申し訳ないなと思います。でも「やっぱり家族と一緒にいるべきだよな」と言ってくれました。
    ――秋山さんについても、DDTについても“放っておけない”という思いで関わっていたのですか。
    大石 この何年間はすべてにおいてそうでしたね。男色がフェロモンズをやめて戻ってきて、一緒にいたいっていうのもありましたし、若い子たちが悩んでいるのを見ると俺だったらこうするよと伝えていたし、あとは遠藤もしかり。同じユニットになったことはないですけどデビューからずっと放っておけないと思っていたし、CyberFight Festivalのこともあって、手を離したらどこかに飛んでいっちゃうんじゃないかって思うぐらいだったのが、最近やっと吹っ切れたみたいで。そこはひとつ安心しました。
    ――決断の大きな理由として家族の存在があげられるわけですが、いつぐらいから単身赴任の形になったんですか。
    大石 去年のゴールデンウィーク前後だったと思います。宮城県に家を買うことを前提に引っ越して、そこから家を探して今はそこに移り住んでいるんですけど。
    ――家が宮城になったのは、奥様(大畠美咲)が実家の近いところに住みたいという希望があったからですか。
    大石 奥さんもそうだったんでしょうけど、むしろ僕がそれを望んだんです。というのも、子どもが生まれてから東京で子育てをずっと続けるイメージが湧かなくて。地方で…言ったら田舎で育てたいなって。東京は車もいっぱい走っているし、人もたくさんいるし。昔から住むところにはまったくこだわりがない人間なんで、東京に固執するつもりはなかったんです。
    ――出身は静岡、大学は青森、プロレスラーとしてはプエルトリコから千葉とひとつに落ち着かない人生です。
    大石 家族ができたから東京にいましたけど、そこで子育てをするのはなんか違うなと思って。もちろん奥さんの実家が近いっていうのもあるけど、奥さんはすごく気遣うタイプで自分の親ですら頼むことを躊躇する人なんです。だから、こっちの地元の静岡に引っ越すことは考えなかったし、そもそも僕が東北好きなんですよ。
    ――そうだったんですか。
    大石 まだ戊辰戦争を引きずっているんです(笑)。会津、宮城、盛岡、八戸…奥羽越列藩同盟が好きで。
    ――それで八戸工大を選んだんですか。
    大石 いや、それは偶然なんですけど八戸にいた頃、南部藩のことを勉強するうちに政府軍が許せなくなったんですね。それで会津と宮城が最後まで戦ったわけじゃないですか。それが理由ではないですけど、根底にはあったんだと思います。もしも奥さんの実家が山形や秋田だったら、いかなかったかもしれないです。まあ、口には出さなかったですけど、奥さんも同じぐらいの段階で思っていた気がします。僕はいつか宮城に住みたいと思っていたから、息子にも「あおば」ってつけたんですけど。
    ――いや、元・女子プロレスラーとして選手が団体を離れることの重要性は理解しているわけじゃないですか。その上で東京を離れることに同意したのかと思ったんです。考え方によっては、東京で所属のままやった方がいいと思う人もいるかもしれない。
    大石 そこは話していないんで、いまだにわからないですね。家にいることで喜んでくれてはいる。ただ、プロレスを続けることについて実際のところどう思っているのかは、わからないです。
    ――続けろともやめても言われていない。
    大石 はい。いろんな選択肢はくれますけど。こんな仕事があるよとか。でも、家族と一緒に一番いられるのって、実はプロレスラーなんじゃないかなって思います。基本、平日はツアーがなければ出っ放しってならないじゃないですか。
    ――ちょっと突っ込んだ話になりますけど、大石選手にとっての家族に対するモチベーションの高さは、バツイチを経験した中で今度こそは家族の形をちゃんとしなければという意識によるものなんでしょうか。
    大石 いや、過去のことはまったく考えていなかったです。ただただ、子どもと一緒にいたいっていうだけで。今、下の子が2週間会わないだけでこんな喋るようになっているんだ、こんなにいろいろできるようになるんだって驚かされるんです。その中で、奥さんが一人で面倒を見ている。お義母さんの支えもあるんですけど、奥さんは性格的に頼らず一人で見ようとする。それも申し訳ないというか、僕が一緒にいられたら子どもたちは喜ぶし奥さんも喜ぶ。今、住んでいるところの環境が申し分なくて、緑もいっぱいあるし園へ送りにいくと中学生や小学生が「おはようございます!」って言ってくれるんです。家の周りも、子どもが2人いることを知っていて「旦那さん、帰ってきたんだ!」ってコミュニケーションをとってくれるし、町内会の皆さんもよくしてくれてたぶん、僕がいない時も遠くからですけど見てくれているんですよ。
    ――東京では失われたようなコミュニティがあると。
    大石 子どもが挨拶するところって、犯罪率が少ないそうなんです。今のところ見ないけど、たまに熊が出る情報が流れるぐらいで。
    ――唯一気をつけなければならないのが熊出没! 話をお聞きすると、家族を第一にした行動というのは至極真っ当なことであり、それを手に入れたプロレスラーになれたんだなと思います。
    大石 ありがとうございます。先輩親の人たちもみんな言ってくれましたね。髙木さんも秋山さんも、松井さんも家族と一緒にいることに対する理解があった。髙木さんのお子さんが、小さい頃に忙しくてバタバタしていたら髙木さんに対して「パパに会いたい。パパ、どこにいるの?」って言ったそうなんですよ。
    ――誰だと思われたのか。
    大石 それを聞いて、より一層早く帰らなきゃ!と思いました。

    ディーノと一緒にいることで
    外から来た者の壁が生じなかった

    ――家族の存在が人生の節目になります。ただ、これほど愛しているDDTを離れるという現実は、スムーズに受け入れられているんですか。
    大石 そうはいってもこのご時世、宮城から新幹線で1時間ちょっとですから、距離なんてあるようでない。それこそ、朝イチで来てくれと言われたら午前中には東京へ着くんだから、誰かが急きょ欠場となってもその代役で来いと言われたらすぐいける。この前、和田京平さんにお会いした時、僕が宮城に住むことを知っていて「俺もね、昔からプロレスラーだからって東京に住む意味はないと思っていたんだよ。家族が嫌だって言うから地方に住めなかったけれど、その方が絶対にいいから! 大石君は間違っていないよ!!」って熱く言っていただいたんです。
    ――京平さんからお墨つきを!
    大石 京平さんに言われたら俺は間違っていないって思えますよ。あれは後押しになりました。
    ――京平さんがかなえられなかった夢を一方的に背負わされたようなものですよ。プロレスラー・大石真翔として、DDTでの13年間はどんなものでしたか。
    大石 楽しかった、それしかないです。最初の頃は中堅とまではいかずともベテランに片足突っ込んでいるぐらいだったのが、今や押しも押されもせぬベテランになって、若い子もどんどん増えて、外に出た人もいましたけど本当に楽しかった。KAIENTAIをやめる時に、残り少ないプロレス人生を自由に楽しむとか言っていたのが、気づいたらKAIENTAI DOJOよりも長くやっていたし、なんならまだいたいと思っているぐらい楽しい場でした。髙木さんっていうのがやっぱり一番デカかったです。僕らと一緒にハメを外してもらって一緒に笑って、率先して髙木さんがはしゃいでそれを見て我々もはしゃぐ。いろいろ無茶振りをしてくるんですけど、やってやろうっていう気にさせられるような無茶振りばかりで、それすらも楽しかった。あとはアイドル好きだった自分がアイドル(ほもいろクロバーZ、NωA)にもなっちゃった。アイドル好きになったのもDDTに入ってからだったし。
    ――そうだったんですか。
    大石 昔はそんなにアイドル、アイドル言っていなかったですけど、髙木さんがはしゃいでいたのを見て楽しそうだなと思ったのがきっかけでした。そこからももクロにハマって、ディーノに話したらほもクロをやろうぜってなって。あれもディーノと楽しくやれたし。まあ、ディーノの横にずっといたのが面白かったですよね。
    ――一番上にいる人間が一緒になってワイワイやるって、組織が円滑に機能する上で意外と重要ですよね。
    大石 巡業中、サービスエリアについて気がつくと選手やスタッフがみんな髙木さんの座るテーブルに集まっていて、中澤マイケルをいじって笑いながら食べているんですよ。こんな団体なのか!って、それが最初に驚いたことでした。前の団体は、そういう文化がなかったから。僕のスキルって、誰かと一緒にいてその人がやりたいことを実現させようとするのが好きというところだと思うんです。旭(志織)の時もそうだったし。こんな動きをやりたいんだけどできませんかね?って言われたら、100%は無理だけど近いものとしてこんなのはどう?ってプレゼンして、これでいきましょうってなった。ディーノも髙木さんともそうですけど、そういった一番好きなことを思う存分できた13年間でした。
    ――いわば自己実現ではなく他者実現のために動くのが性に合っていると。そこは“自分”ではないんですね。プロレスラーとしてトップに立ちたいというような欲は…。
    大石 ああ、もちろんそういうのもありましたよ。本当はシングルマッチが好きなんで、シングルになったら自分のやりたいことを形にしたいとは思いますけど、それよりも身近な人がこれをやりたいんだよねって言ったら一緒になって考えて、実現させることで達成感が得られるタイプなんでしょうね。
    ――他者が実現させることで自分もちゃんと喜べる。
    大石 そうなんですよね。それが嬉しいんです。僕はゼロから一を創り出す能力はそんなにないんです。周りには男色や旭、髙木さんといったゼロから一を創る天才がいたんで、その人たちのためになりたいと思わせてくれたんですよね。
    ――先ほどご自身のことを「いると便利な人間」と言っていましたが、いわゆる便利屋のポジションを本意でやっているのかどうかというのを、以前から思っていたんです。それこそKO-D無差別級戦線にもっと絡みたいと思わなかったのか。
    大石 そこは好きで、本心で、楽しんでやっていましたよ。その上で、団体最高峰のベルトってKAIENTAI時代も含め獲ったことがなかったんで、それはほしかったし、なんなら外に出てからもいつでもいけると思っています。
    ――13年間で無差別級挑戦は2度なんですよね。遠藤哲哉と入江茂弘に1度ずつ。もっとチャンスを得てもいいのではと思うファンも多かったと思われます。
    大石 単純に僕の実力不足です。DDTはいろんな表現がありますけど、やっぱり勝てなかったら絡めない。挑戦というチケットを得るに値しなかったんですよ。大きなケガもしたし、つかみ損ねたところもあったかもしれない。そこは残念だと思いますけど、実力なんで仕方がない。
    ――あと髙木選手が会見で言っていましたが、アイドルや芸能人絡みの試合の貢献度が評価されていました。
    大石 僕はDDTに上がる芸能の人にケガすることなく、かつ楽しいと思ってもらいたかったんです。リングへ上がったことで嫌な思いをしてほしくなかった。練習の段階で技を受けたら、プロレスなんですからそれは痛い思いもします。でも、それも結果的には楽しいって思ってもらえるようにしたかったし、タレントの人に限らず外からDDTに入ってきた選手にも溶け込めずに寂しい思いをしてほしくなかった。それは、僕がしてもらったことですから。
    ――技量的に、タッグパートナーになるにも対戦相手を務めるにも誰でもできることではありません。
    大石 そうなんです。ヘンな言い方になるかもしれないけど、プロレス教室をやっていたせいか未経験な人の技を受けるのが得意になりました。その技術がありましたから。そこは髙木さんがうまかったんですよ。適材適所の名人というか、そこに僕を持っていった手腕なんだと思います。「なんで俺がこんなことをやらなきゃいけないんだ」っていう人間だったらとっくにやめていると思うし。作品を創り上げるのが僕にとっての大事なことだったんでしょうね。今、企業の研修としてプロレスを教えているんですけど、30分ぐらいで一人ひとりの技量を見抜いてその人たちが目標とするレベルに近づけるスキルを身につけることもできたんで、それも感謝ですよね。
    ――13年間の中で一番よい関係を築けたのはディーノ選手だと思うのですが、DDTに来るまでそれほど交流はなかったんですよね。
    大石 大鷲さんの興行でちょいちょい会ったりはしていました。向こうがKAIENTAIに上がったこともあったし、僕もBOYZに出ていたんで。あとはMEN’Sテイオーさんつながりですね。ほぼ同じキャリアで同い年だし…DDTに上がるまでは天才レスラーだと思っていたんですよ。それが入ってみたら意外とポンコツなところもあって、そういうところをサポートする人間が必要なんだっていうのを感じました。それまではおそらく高梨さんが担っていたんでしょうね。ただ、そう思うだけであって、だからこうなったっていう感じではなかったです。そこは自然でしたね。ひとつ言えるのは、ディーノがすごくよくしてくれたんです。あいつが一緒にいてくれたことによって、周りが「ディーノが連れてきたんだったら」と受け入れてくれた部分はあったと思います。
    ――ああ、わかります。
    大石 ディーノが一緒にいるんだから悪い人間ではないだろう、仕事も大丈夫だろう。そうやって外から入ってきた人間との壁のようなものが生じなかった。それで僕もコミュ力を駆使して、もとからいたかのように最初からキャッキャしていました。今でも憶えているんですけど、最初の大阪巡業でバスに乗る時、けっこう気を遣うわけですよ。それでどの席に乗ったらいいかとか思いながら外にいたんですけど、それだとナメられるというか、客人のように思われると思って、ディーノやHARASHIMAさんと一緒にしれっと乗り込んだんです。偶然、ディーノの隣は誰もいなくて、けっこう喋り続けることができたという。控室も決まった位置があるものだから、大阪に着いてからもディーノの隣にいたら…松永だけが気づいたんです。「あれ、大石さん、今日初めてですよね?」って。1年ぐらいいるかのような顔で振る舞っていたら、松永にだけバレるという。そんなこともあって、隣に男色ディーノがいるのは好都合だったんですよ。それはお客さんに対してもそうですよね。ディーノと組む選手だったら…という信用というか。そうそう、澤田さん(ポイズン澤田JULIE)と仲よくできたのも嬉しかったですね。DDT総選挙で所属になりたいと言って入団した時も、一番目に握手してくれて「ようこそ、DDTへ。頑張ろうな!」って言ってくれたのが本当に嬉しかった。
    ――いい話ですねえ。ディーノ選手は必ず「大石さん」と呼んでいたじゃないですか。あの距離感が印象深いんです。
    大石 僕は最初「男色さん」と呼んでいましたけど、だんだん面倒臭くなって、だんだんあいつのポンコツなところが見えるようになって「男色」もしくは「ディーノ」になりました。それを許してくれるあいつの懐の深さもありますよね。あえてなんですけど邪険に扱っても、それを受け入れてくれていたと思います。
    ――ほもクロと現在のDEAD OR ALIVE以外でも同じユニットになったのは…。
    大石 古くは男方神起(もーほーしんき)っていうのがありました。そもそもの最初は男ズクラブ(ダンズクラブ)で、全日本プロレスのアジアタッグ王座挑戦をブチあげた時はガンナメ・エクスプレス。2人だけのタッグチームとしての正式名は今もガンナメ・エクスプレスです。だからDDT所属最後の試合(10・3新宿FACE、勝俣瞬馬&MAOvsディーノ&大石のKO-Dタッグ戦)はガンナメとして臨みます。
    ――元アジアタッグ王者組のカンナム・エクスプレス(ダニー・クロファット&ダグ・ファーナス)から採ったという。
    大石 秋山さんが来て準烈を始めてからは、自分のケガもあったしディーノもフェロモンズを始めてあまり組まなくなったけど、フェロモンズを終わらせたらなし崩し的じゃないけど気づいたらまた隣にいたので、DEAD OR ALIVEが始まるという。プロレスと関係なく、飯食いにいくのって秋山さんかディーノぐらいですね。
    ――つまりは“友達”なんですね。
    大石 友達です。
    ――友達って、重要ですよね。「マッスル」も友達の関係性で成り立っていた空間じゃないですか。
    大石 男色とのそういう関係性って徐々になっていったのではなく、最初からずっとなんですよね。それがあるからか、やめる直前になっても外様根性がちょっと残っているんです。たぶん自分以外は誰も感じていないんでしょうけど。
    ――13年もやっているのに。
    大石 それが男色とずっと友達でいることの弊害なんでしょう。ほかとの関わりがあまりない。何かのマイナスになることはないんですけど、外様根性の延長線上にあるのが他団体や外から来た選手に対する、なんとかしなきゃっていう気持ちを生じさせていたと思うんです。DDTは意外とみんながみんな、コミュニケーション能力が高いわけではないから。坂口(征夫)さんも最初の頃は「俺、外様ッスから」ってボソッと言っていたんです。そこで、さっき言ったDDTに関わった人に嫌な思いをしてほしくないという気持ちになった。納谷もそうだし、秋山さんや岡田佑介もそうでしたけど、その裏には僕自身がずっと外様だからという思いがあったんですよね。
    ――組織としては、そう姿勢でいてくれたのがよかったんだと思います。
    大石 それを見ているのも楽しかった。最初は入り込めなかったのが仲よくなって、そのうちみんなとタメ口で喋っているのを見ると、よかったよかったって本気で思えて。
    ――全体を見ていたんですね。
    大石 いやー、そんな別に自分がやりたいからっていうのが一番デカいです。やりたいことが偶然、全体のためになるだけで。本当に、DDTのためにとか髙木さんのために尽くそうみたいなものは正直、なかったんですよ。髙木さんがそこに配置したってことは、たぶん俺はそこに向いているんだと思ってやったことが楽しいと思えただけです。

    腰を骨折した時に秋山さんが
    言ってくれたことで頑張れた

    ――配置する側と、自分の性分が合っていたんでしょうね。あとは、なんといっても秋山さんとの出逢いが大きかったですよね。最初に秋山さんが入ってきた時、やはりメジャー・四天王時代の方ですから壁のようなものを感じていたと思われますが、それをどうやって取っ払っていったんですか。
    大石 コロナ禍の配信で試合をやっていた頃、その日は試合こそ組まれていなかったけど奥さんも仕事で面倒見られなかったこともあって、生まれたばかりの娘を連れていったんです。その時が秋山さんと初めてで、赤ん坊を抱っこしたまま「はじめまして、大石真翔です!」って挨拶するという。
    ――初対面だったんですか。
    大石 正確にはどこかでご挨拶はしていたんですけど、おそらく秋山さんは憶えていないだろうと。そこで帰ってきたのが「女の子か! かわいいねえー。俺もさ、娘いるから女の子には目がないんだよ」って言ってくれて。
    ――お父さん丸出しですね。
    大石 それを聞いて「いける!」と思いました。秋山さんも「大石君は娘さんがいるお父さん」という印象を持ってくれたんだと思います。会うたびに「赤ちゃん元気?」って言ってくださって。そのあと、早々と秋山さんとの一騎打ちを組んでいただいたんですけど、当初は若手を育成するコーチとしてDDTに来たじゃないですか。それを聞いてズルいと思って。秋山さんの全日本スタイルにはとても興味があったし、僕の師匠のMEN’Sテイオーは学プロ時代にジャイアント馬場さんから教わっている。その大塚さん(テイオー)から教わったものの答え合わせをしたいのに、若手しか教えないなんて。それでシングルをお願いして、レスラーとしての自分を見てもらった上で準烈になるんですけど結局、手取り足取り教えてもらったことはないんですよ。練習の時に俺も教えてもらおうと思ってほかの選手と一緒にいたら「大石君はこっち」って隣に立たされるんです。「いや、そうじゃなくて…」とも言えず。でも、逆に秋山さんの教え方を隣で見させてもらうことで、なんとか答え合わせができたり、そういうことだったのか!って気づかせてもらったりすることもいっぱいあって、ましてやタッグを組んで近くから見させてもらうと、それはもう勉強できましたよね。
    ――準烈あたりから、従来の秋山準のイメージを崩すようなことを仕掛けていったじゃないですか。よくできたなと思いながら見ていました。
    大石 いや、それは僕が切り崩したのではなく、秋山さんが歩み寄ってくれたんです。僕は別に切り崩そうとは思わず、ただただ秋山準のスタイルを近くで見て勉強しようと思っただけであって。たぶん、それまで秋山さんの近くに僕みたいなやつはいなかったと思うんですよ。DDTの文化としてこれはどういうことなのか、なんでこれをやるんだってよく聞いてきて、それまでの秋山さんの常識にはないことも噛み砕いて説明すると、ちゃんと飲み込んでくれるんです。一方で納得できないこと、自分の中で正義ではないことはちゃんと否定する。でも、NOとハッキリ言ってくれた方がこちらとしてもいいんです。
    ――大石選手が秋山さんと築いた距離感が、そのまま秋山さんとDDTの距離感になっていたと思うんです。
    大石 ちょっとずつ、なんか…本当に僕みたいな、ちっちゃくて弱いレスラーはそれまでの秋山さんの周りにはいなかったはずです。でも、僕を通じて飲み込むことによって、いろんなスタイルがあるDDTの中で秋山準スタイルを伝えていたと思うんです。僕が何をどうこうしたのではなく、秋山さんが歩み寄ってくれた。
    ――あれほどのプロレスラーですから、DDTに来るとなるとやっぱり周りも身構えるじゃないですか。それを秋山さんが取っ払う上で大石真翔がいたっていうのは本当に大きかったはずです。そこは大石選手がディーノ選手の隣にいるようにしたのと同じ直感が秋山さんの中で働いた気がします。
    大石 そうかもしれないですね。この5年ほど、秋山さんと一緒にいられて…いやー、本当に幸せでしたね。腰のケガで入院した時に、秋山さんへ「腰の骨が折れていました」って報告したんです。「ええっ! どれぐらいかかるの?」「医者が言うには完治するまで1年はかかるそうです」……あの、これいまだに思い出すと泣きそうになるんですけど……(涙)すいません。「大石君がいない間、俺が頑張るから」って、言ってくれたんです(絞り出すような声で)。ケガをした時点で、ちょっと引退することまで考えてしまっていて。でも、秋山準という人にそこまで言ってもらえたのであれば頑張って治さなきゃ、復帰してまた秋山さんの隣に戻らなきゃって思ったんです。今でもあの言葉は(LINEの)スクショに残していて。そういうことをナチュラルに言えて、人を頑張らせる方なんだろうと思ったら、秋山さんのためになんていうおこがましいものではなく、家族のため、ファンのために戻らないととなりました。
    ――腰のケガは引退も考えるほどだったんですね。
    大石 普段だったら普通に受け身をとれる技…デッドリードライブのような感じで投げられたんですけど、タイミングが合わなかったんでしょうね、グシャ!ってなっちゃったんです。ラッキーなことに後遺症はなかったですけど、いつ頃退院できるか会社に報告したら「いつから来られる? じゃあ、年末ぐらいからバス運転できるよね」ですよ。まあ、半分はネタだったんでしょうけど。でも、それでよけいにやらなきゃなって思えたし試合ができない分、ほかの仕事を増やしてくれて。必要とされたのが嬉しかったんですよね。1年間休んで、何もやれなかったら心が折れていたかもしれない。下の子が生まれる直前だったんで、この子のためにも!ってなれましたね。
    ――本当に多くのものを与えてくれた場から離れることで、別の自分を支えたり奮い立たせたりするものを見つけなくてはなりません。

この記事をシェアする