これまでDDTの取材を続けてきた中で、初めて個人の思いから「インタビューさせてほしい」と願い出た。リングを去る前に、聞きたかったことのすべてを本人に伝えたかった。この11年間、何もかもが鮮明に刻まれている。私にとって、坂口征夫とはそういう存在のプロレスラーだった。2月7日の引退試合を前に、今回の決断にいたった胸中を噛み締めた上でともにその日を迎えていただきたい。(取材・鈴木健.txt)
引退を考えたのは1年前。この団体に
愛がなければもっとバン!といけた
――1月15日の記者会見で発表するまでは、周辺の人たちもほとんど引退することを知らなかったと思われます。
坂口 そうッスね、もともとはその日(引退試合)までは言いたくないっていうのが自分の考えであって。会社とは何度も話をしていく中で事前に明かすことになったんですけど、引退までの期間を長くは持たせたくなかったんで、結果的に突然っていう形でとらえられたとしたらそれはしょうがないと思います。SNS上ではいろんな選手がいろいろと言ってきてくれて。
――多くの選手がX(旧ツイッター)へ征夫さんに対する思いをポストしています。
坂口 LINEも含めて翌日も仕事にならなかったぐらいで。驚きました。DDTの選手たちには前日の鶴見(青果市場)での試合が終わったあとに発表させてもらったんですけど、ほとんどが知らなかった中、自分の中でイメージしていた通りの反応をしてくれた人もいれば「君、俺にそんなに興味持ってくれていたのね」って思う人もいたりで、それは新しい発見というか、ありがたいなって思って。SNSもああやって、何かの思いを打ち込んでくれて、それを見て自分がどのように思われていたのかを知るという感じで。
――近くにいる人ほど、こういう大きなことでもない限りは心の内を言葉にして伝えることはないですから、みんな本当の気持ちを伝えてくれているんだと思います。
坂口 そう、まだ何も言ってこなくて、やめたあとに言ってくる人もいるかもしれない。ただ、そういう声をもらって改めていろいろ気づかされましたよね。前日に報告したのも、本当なら会見で明かす形で自分はいいと思ったんですけど、会社からもみんなに話してくれと言われて。試合前にそんなことを話したらみんな集中できなくなるかもしれないんで、せめて試合が終わってからって言って。でも、俺のことでみんなにわざわざ残ってもらうのも申し訳なくて気が引けたんですよね。個別に引き留めて言うのも嫌だったし、結果的にはみんなを集めてっていう形になりました。
――事前に聞いていたのは…。
坂口 ボス(高木三四郎)と松井さんの2人だけです。あとは、別の形で事前に話したのは樋口と吉村。年末か年明けに飯を食った時、悪いけど俺は先に抜けるぞって。あの2人を一番かわいがったし、俺についてきてくれたやつらだったんで。吉村も今、ああいう状況(負傷欠場中)だから、本来ならあいつが復帰した時に、目の前に立って闘っているかなとかたまに話していたんですけど、それもかなえてあげることができなかったんで、筋としてあの2人には事前にキチンと伝えておこうと思いました。
――驚いたでしょうね、2人とも。
坂口 「えっ!?」っていう顔をしていたけど「でも決めたことだし、自分らに言ってくれて嬉しかったです」って言ってくれました。
――KUDO選手、高梨選手には?
坂口 言わなかったです。岡谷には…(全日本プロレスの)世界最強タッグ決定リーグ戦中、ずっと2人で行動していて、やめるとは言わなかったんですけど「Eruptionはいずれなくなっていくものだけど、Eruptionでいる限りはおまえに(アドバイスを)言うよ。それが『うるさい先輩だな』なのか、ためになるのかはおまえが判断してくれ。ただ、離れたら俺は一切言わないからな」という言い方で匂わせてはいたんです。それで鶴見の前の週に大阪があったじゃないですか。初日が終わってから飯に誘って、その時に話したらえっ!って感じで、あとは無言でした。
――人の意見や考えを聞くことなく、自分の中で出した決断だったんですね。
坂口 俺、心が弱いんで。会見でも言ったように55歳までできるっていうイメージがずっとあったんです。40後半の頃にこの先どうしようかと思った時があったんですけど、そのまま50になったら、まだ5年ぐらいやっているイメージが全然できた。やめることを告げた時も当然、慰留してくれた人たちが多くて、先輩の人たちも「まだできるよ」って言ってくれるわけです。事前に話したら、それを聞いて自分の心が揺らぐのはもうわかったんで、それでなるべく伝えたくなかった。みんなの声によって自分の心に迷いを生じさせたくなかったのが、すごくあったんです。
――やめるべきか続けるべきかと相談したら、やめるなって言ってくれる人たちばかりなのは目に見えていますよね。
坂口 本当にね、ありがたい話なんですよ。すごくありがたい話なんすけど…やめるのをやめたなんて言いたくないし、自分の中では固まっていたとはいえ、これほどの仲間…ただの仲間じゃないんで。本当に、苦楽をともにしてきた仲間なんで。だからこそ、言葉の一つひとつが自分の中に重くかかってくる…そうッスね、言われて自分の中で1ミリでも迷いを作りたくなった。その部分では本当に申し訳ないって思います。それもあって赤井さんにも伝えなかった。赤井さんも会見で知ったぐらいですから。
――そうだったんですね。驚いたなんていうもんじゃなかったでしょう。
坂口 鶴見にいたらその場で伝えられたんですけど、こういうのってLINEで伝えるようなことじゃないし、あの人も引退された中で今また新しいことを頑張っている、みんなも新しいことを頑張ってる中で、すべての人に余計なことを考えさせたくなった。話さなかったじゃなく、話せなかったんですよね。
――赤井沙希さんが引退する過程を間近から見ている中で、自分の去就に影響は…。
坂口 特にはなかったです。ただ、共通する部分としてはちょっと話がそれちゃうけど、長州さんとよく飲んだり食事をしたりする機会があって、そこで「元気なうちにリングを降りれることが幸せなんだよ」ってずっと言われていたんです。その時は、何言ってんスすか!みたいな感じでしか受け取っていなかったんですけど、それがずっとずっとずっと残っていたんです。その言葉を自分自身ではなく赤井さんに重ねましたね。あれほどのハードな連戦(引退ロード)をずっとやっていて、長州さんが言っていた五体満足でリングを降りることが幸せだっていうのを、自分ではなくまず赤井さんにしてあげなきゃいけないんだと思って、そこはずっとそのことに集中していました。その気持ちぐらいですか。
――赤井さんの引退よりも前に芽生えていたことになるんでしょうか。
坂口 それを言うと、1年前ぐらいからどこかで(引退と)なるんだろうなと思っていました。プロレスやっている以上、そのタイミングって難しいじゃないですか。特にDDTは歩みをとめた時点で埋もれていっちゃうんで、ずっと走り続けなきゃいけない中、スパンと自分で切るっていうことができなくて。どのタイミングなんだろうと思う中で赤井さんの引退の前の時点で、ここだなと思ってボスに話をさせてもらって。やっぱり伝える一歩を踏み出せないんですよ。みんなの顔も浮かんでくるし、自分自身もまだファイターとしてやっていきたい。ただ、どこかで決断を下さなきゃいけないっていう自分もいて。
――思ったら即行動できるタイプの征夫さんでも1年かかったんですね。
坂口 もっと愛のないやり方だったら、この団体に対して愛も何もがなかったらバン!っていけたかもしれない。それほどこの団体を大事に思っているし、いろいろと学んだことがあった場所だったんで、自分的には1年でも短かったと思います。
どうやったら近づけるかとずっと
思わせてくれたHARASHIMAさん
――引退試合の相手にHARASHIMA選手を指名したのを聞いてすごく腑に落ちたんです。そうだよなあって思ったファンは多かったでしょう。
坂口 引退ロードとか一切しなくていいですよ、誰とやりたいなんて別にどうでもいいから、普通に組んでいただければいいですからぐらいに話したんですけど唯一、お願いしたことです。やっぱり自分の中でKO-D(無差別級王座)っていうのはすごく大きくて、初めて挑戦した時のチャンピオンが入江(茂弘)で、そのあとに初めて後楽園でメインを張ったのがHARASHIMAさんのKO-Dに挑戦した時だったんです。そこからHARASHIMAさんとの物語が10年以上続いていて、なんだかんだ言って俺、1回しか勝ってねえなっていうのもあったし。“ミスターDDT”じゃないですか。男色ディーノとHARASHIMAっていうレスラーがDDTの顔であり、尊敬する部分もあって、どうやったら俺もあの2人に近づけるのかという思いでやってきましたから。それ以外にもたとえば(ヤス)ウラノさん、高梨さん、アニキ(KUDO)といたけど、今も残っている中であそこに近づくためにはっていうのをずっと思わせてくれたのがHARASHIMAさんの存在なんですよ。今も第一線で、どこからこの人の元気と笑顔は来ているんだろうという人なんで最後、介錯っていう言い方ではないけど、それができるのはHARASHIMAさんしかいないと思ってお願いしました。
――自身のプロレスラー生活において、最初から最後まで追い続ける存在。
坂口 そう。それはね、やめたあともですよ。プロレスとまったく関係ないところで生きていきますけど、あの人が頑張っている姿を見れば、俺も違う世界で頑張っていかなきゃいけないって思うんでしょう。それは生涯の…それこそどっちかが棺桶に入るまで頑張り続けなきゃいけないだろうなって思わせる姿を見せてくれる先輩ですよね。
――酒呑童子のような、リング外でも濃い関係性にあったわけではないにもかかわらず。
坂口 酒呑とは違った距離感だし、たまに飲むぐらいですけど酒の趣味が合わないんで。HARASHIMAさんはビールが大好きで、飲み放題の店を好むんですけど、俺らはちょっとでもいい違う酒を求めちゃうんで。
――酒に対するスタイルの違い。
坂口 にもかかわらず、プロレスラーとしてはこういう関係をずっと続けられた。ヘンな話、レスラーであれだけ裏表がない人、いないッスよ。あれはすごいなと思います。物心がついた時からずっとプロレスラーっていう人間を見てきて、こんな人がいるんだと思いました。いつもニコニコして、いつも元気だし。だからこそ尊敬するし、俺には絶対にできないなって思いますもん。
――征夫さんがDDTに入ってまだ数年ぐらいだった時に「俺にとっては、新日本プロレスの東京ドームに出ることよりも、HARASHIMAさんとKO-Dを懸けて後楽園のメインでやる方が夢なんです」って言っていました。
坂口 今でも変わらないです。ドームじゃないッスね。DDTの後楽園のメインです。いまだにその気持ちを忘れさせないDDTがすごいんです。
――1度しか勝っていないと言われていましたが、それが異例のシチュエーションでした。KO-D無差別級王者として、当初はDDT総選挙2位になった飯伏幸太選手の挑戦を受ける予定が、当日になって発熱で欠場となり挑戦者がHARASHIMA選手に変更されたんですよね。
坂口 後楽園に着いてから出られないっていう連絡を聞いて。結果的にあそこでお互い(飯伏との)時が止まりましたけど、俺も会社も困る中で3位だったHARASHIMAさんが即決でいいよって言ってくれたのは感謝しているし、同時に自分の中でスイッチが切り換わって、この人のありがたい気持ちに最大の敬意を払って殺しにいくとしか思わなかったです。
――タイトルマッチ当日に挑戦者が変わるという特殊なハードルを経験し、超えられた。
坂口 当日カード変更ということへの怒りと、HARASHIMAさんへの敬意が重なって感情的なものは自分の方が大きかったでしょうね。だからこそHARASHIMAさんに勝てたと思うし、普通のシチュエーションだったら、どうだったか。
――もしかすると、勝てなかったかもしれない。HARASHIMA選手も、拒否しようと思えば拒否できたはずなのに。
坂口 そうなんですよ。でも名乗りをあげてくれた。あとはあの時、お客さんにも申し訳なかったんです。やっとチャンピオンになれて、総選挙ってお客さんが望んで決まった飯伏とのタイトルマッチ。俺自身も楽しみだったし、楽しみにきてくれたお客さんもいたのに、すごく申し訳ない。だからこそ、全身ですべてを出して倒しにいかなければ失礼って思ったんです。
――第54代KO-D無差別級王者として、DDTにその名を永遠に残すことができました。このベルトを獲ることが、DDTで自分が生きた証だと言われていましたよね。
坂口 本当に、いろんな経験をさせてもらったし、そのあと大阪府立の第一で(木髙)イサミさん(総選挙1位)とやって獲られちゃったけど、あれもいい思い出ですし。自分が生きていたっていうのはDDTにもプロレス界にもちょっとは残せたのかなって思います。
総合では「征夫さん」と呼ばれていたのが
DDTだと「坂口さん」。それは大きかった
――無差別級王座獲得以外で、DDTで成し得ることができたことで大切なものとして残っているのは何になるでしょう。
坂口 最近ではアジアタッグのベルトを親子二代で巻けたっていうのは大きかったし、KO-D6人タッグに関しては酒呑童子からEruptionで自分が最多で巻いている(9度)っていうのは嬉しいと思えることです。あとは、レスラーとしてちゃんと存在させてくれたという意味での達成。ワンマッチではなく、去年の最強タッグ決定リーグ戦で1シリーズ、全日本プロレスに参戦したことでレスラーとして乗り越えられたっていうのは自分の中ですごく大きかった。俺のプロレス、DDTのプロレスをきちんと外で証明してやった。優勝はできなかったけど、三冠王者やほかのデカい選手とも渡り合えた自信はデカいです。
――そこは外に出てみなければ実感としてつかみにくいところですよね。
坂口 だから正直(最強タッグリーグ戦が)始まるまではすげえ怖かったです。自分が通用するのかっていうのはすごくあって。それだけにリーグ戦中盤で感じた“つかみ” は本当に大きかった。
――小さい頃から新日本プロレスが日常の中にあったのが、全日本に到達して日本最古のタイトルであるアジアタッグを獲得するとは…人生、わからないものです。
坂口 それはそれで、自分の人生としてよかったんだと思います。来なかった話ではあるけど、もし(新日本からの)オファーがあったとしてもごめんなさいしていました。なんで?と言われてもわからないですけどヘンなこだわりがあるというか、あそことは違う形で“坂口”というものをやっていきたいと思ったんで。そこに上がっちゃったら結局、新日本にあった坂口なんですよ。俺は別の坂口になりたくてDDTを選んで、そのDDTでレスラーとして成長させてもらって、その上で全日本のリングでも坂口を証明できたから、そこの達成感はデカいんです。うん…それほどの覚悟があってコレ(右腕に入れたDDTのロゴのタトゥー)を刻んだんで。今ではこのことを知っているファンも選手も少なくなっちゃいましたけど、自分がDDTに入った時の気持ちの証は今もこうしていつも見える場所に残してあるわけで。
――彰人選手と組んで新日本の獣神サンダー・ライガーとヤングライオン時代の髙橋ヒロム選手と対戦する時に入れたものですね(2013年2月17日、後楽園ホール)。
坂口 あの試合を前に、俺はDDTで生きていくんだって決意して覚悟を決めて…それぐらいの思いをこの団体は感じさせてくれました。
――どうしてここまで愛せたんでしょうね。
坂口 なんででしょうねえ…最初、飲んでいる時に言われましたよ、いつまで坂口さん続くかなって。だけどやめないんだよなぁみたいな感じで、笑い話になっていましたけどね。うーん、やりたかったプロレスラーとしてボスに拾ってもらったっていうのもあるし、あとはやっぱり仲間の存在じゃないですか。いいトシこいた大人が真面目な顔して好き勝手にみんなでバカやっている。俺はピーターパンってすごくいいなって思って、自分もピーターパンになりたいって思えた。あとは自分が入った時のDDTって、みんながあさっての方を向いていたじゃないですか。みんな違うことを考えて、みんなが違う方向を向いているくせして、団体として目指している方向は皆同じで、ずっと動いているんですよ。それがすごくいいなと思って、その一員として自分もやっていきたかった。周りの人にも助けてもらって、教えてもらって学んで、辛い思いも楽しい思いも全部一緒にやって、一緒に酒飲んで…ねえ、もう本当に大事な仲間たちです。
――征夫さんは、性格的には一匹狼タイプですよね。
坂口 そうッスね。だから最初は気楽だったんですよ。この中に坂口って名前の圧がなかったからその呪縛から放たれて。一年生として入ってきて、イチからいろんなことをみんなとやらせてもらって。自分は別の仕事もやっていて、会社に戻れば会社での立場がある。でも、ここに来れば普通の“一坂口”として接してくれる。これは悪いことではないけど総合の時は、みんな俺のことを「征夫さん」って呼んでいたんですよ。でも、DDTだとみんなが「坂口さん」って呼ぶ。それが自分の中で新鮮で。そういうところからもどんどん惹き込まれていったんですよね。
――私も征夫さんと呼ばせていただいていますが、それはよくわかります。「征夫さん」っていうのはほかに坂口が…つまりはお父様の存在がありきということになりますものね。
坂口 そういうことも、自分の中では大きかったですよね。いいなあって思えた。
――それほどの居場所を手放してしまうわけですね。
坂口 自分が入った頃からはガラッとメンツが変わったし、団体も大きくなり、形も変わりつつやってきた中で…やりきったとは言いたくないんですよね。
――やりきった、ではないんですね。この時点でハッキリ言えるのもまた、征夫さんらしい。
坂口 今でももう一回KO-D巻きたいと思っていますもん。EXTREMEとUNIVERSALを獲ったらグランドスラムだよなってずっと考えていましたからね。でも…どこかで決断しなきゃいけないし、レスラーをやっていると1年なんてあっという間に過ぎちゃうんで。もう1年、あと1年ってやっているうちに自分ではできると思っても何かが落ちていっちゃっているかもしれない。だから、やれるうちにリングを降りるのも恩返しの形かなって。
――やりきった感のない方がやめるのって難しいですよね。
坂口 難しいッスねえ。本当に、そう思います。あのー、2月7日以降のイメージはけっこうできていて。ひとことで言ったら後悔しかないんですよ。もう、自分で後悔しているのが見えている。だから、これからは後悔っていうものを楽しめる人生を送ってみたいって思うようにしています。やり残したことがあってもやめるって俺の場合、それは逃げでもなんでもなく、DDTであるがゆえの高いハードルだったんですよ。それを自分の意志で超えないと、俺の中にあるプロレスっていうやつをやめられない。そんな簡単なものではないんで…いわばプロレスは親父から続く家業じゃないですか。そこだけで、ほかの人とプロレスっていう存在が俺の場合違うんです。そこに対する決心ですからね。そこを乗り越えないと自分自身がダメになるなっていう。おそらく、プロレスのリングを降りたあともそこの部分での闘いは続くんだと思います。
――それは大変でしょう。
坂口 だからね、楽しさに変換しますよ。背負うって言い方をしたら大仰な話になっちゃうけど。やめたあともウエートトレーニングとかボディメイクぐらいのレベルですけど続けていくし。それは復帰するためじゃなくてね。55、60歳になっても今と変わらない体でいられたら「俺、まだできたんじゃん」って思える。そう思えるのが楽しみじゃないですか。別の形でDDTに携わるってことはないと思っているんで…まあ(マッスル)坂井さんのような形の前例もありますけど。
――働きながら続けるモデルケースですよね。
坂口 なんなら大仁田さんは8回も復帰してもそれが受け入れられている。俺は総合でも一度引退しているから2回、3回っていうのは申し訳ないッスもん。だから今回も、テンカウントゴングはやらないつもりだし。
――やらないんですか!?
坂口 パンクラスの時に一回、聞いていますから。2回も3回も聞いたらバチが当たっちゃいますよ。生涯一度きりだと思っているから。本当はセレモニー的なものも必要ないと思っていますし。この先、どんな後悔が待ち受けているかわかんないですけど、それに打ち勝つ強さをまず持たなきゃ。ないですけど、仮に…があったら「ああ、こいつは後悔に負けやがったな」と思ってください(笑いながら)。
酒呑童子で学んだことをEruptionで返す
それを生かせたあいつらが立派なんです
――格闘技の活動が5年だったのに対し、プロレスは11年続きました。
坂口 あっという間でしたね。10年って言われた時に、えっ!?と思いましたけど、今でも気分的には3、4年のつもりです。その一方で、10年やっても俺はこんなもんなのかっていう思いもある。どんな仕事でも3、4年やったらある程度つかめてきて、自分のカラーができて、プラスアルファができてくるものだと思ったけど、プロレスは10年、11年やってもまだ覚えている途中なんですよね。プロレスデビューした当時(ザ・グレート)サスケさんと話したことがあって、会話の流れでプロレスって何なんスかね?って聞いたら「ゴールのないマラソンだよ」って言われて、まさにその通りだなって思ったことがあったんです。
――えーっと…それは武藤敬司さんのセリフですね。
坂口 ええっ、武藤さんはいつ言ったんですか?
――90年代の頭の時点ですでに。
坂口 そうだったんですか。でもそれを聞いた時、妙に納得してしまいました。だから、自分もやめると決意しなかったらゴールのないマラソンをひたすら走っていたんだと思います。それはそれで楽しいですし、実際に生涯現役を目指して頑張っている人たちもたくさんいる。でも、自分はそうじゃなかったっていうことですよね。これからね、日曜日は何をしたらいいんだって今の時点で思っちゃいますよね。
――これまではほぼ土日が試合でしたからね。自分の人生において、この11年間は間違いなくもっとも己を注いできたものから離れて、どう生きていくおつもりなのかと、こちらも考えてしまいます。もちろん、これまでの仕事は継続していくわけですが、プロレスと同等の刺激って…。
坂口 ないです、ないです。月曜から金曜までの顔と、土日の顔はまったく別になっていたんで。日常があっての非日常だったのが、その非日常がなくなるっていうのは、これもまた挑戦なのかな。樋口には「酒に走らないでくださいね」って言われました。でも酒は飲みますよ。体を壊すまでは飲まないけど。好きで気晴らしになっていた地方巡業もなくなるし、それこそどうやって生きていったらいいのかっていう感じですね。今の時点ではパチンコやるぐらいしか思い浮かばない。
――それじゃあご自身が言っていた若い頃の荒んだ生活に後戻りですよ。
坂口 ここ何年もやめていたことなんですよ。だからこうしてすぐ浮かんでくるんですけど。今は曲がりなりにも会社を持ってやっているから、あの頃と同じにはならないですけどね。
――DDTの仲間たちや面倒を見てきた後輩たちとの付き合いはこれからも続けていきたいですか。
坂口 うん、そこはリングを降りるだけなんで、おまえらとの関係がなくなるわけではないからって言いました。俺がどっかにいっていなくなっちゃうわけじゃないし、もしもおまえらに何か困ったことがあったら、俺でいいならいつでも相談に乗るぞって。ここで築いた関係性を俺はぶった切るつもりはない。同じリングに上がった仲間だけど、俺が先にリングを降りるだけでこれからは…友達なのかな。先輩も後輩も関係ない、ただの友達。それでいいんならいつも通り飲みに誘ってくれよって鶴見でも言ったし。
――プロレスラーとして1年生から始めた自分が、キャリアを積む中で後輩を育てる立場になっていったじゃないですか。樋口選手、赤井選手、岡谷選手…3人はEruptionによって成長することができた。そこは、こいつらを一人前にしたいという意識を持ってやっていたんでしょうか。
坂口 ああ、それは持っていましたね。Eruption以外にも今だったら瑠希也ですかね。本人には言わないけど目をかけているというか気にはしていますよね。十人十色がレスラーだから、こうした方が絶対いいよって言い切れないけど、自分を慕ってきてくれている以上はキチンとしてあげたいなと思います。Eruptionの場合は、おまえらは可能性がたくさんあるんだから俺より華を持って俺より目立てよって言っていました。それは赤井さんも樋口に同じことを言っていましたね。あいつの成長は俺だけなんかじゃなく、赤井さんの存在も大きかったはずですよ。技だなんだっていうのはあとからついてくるものであって、レスラーは存在感の方が大事じゃないですか。特にDDTはこれほど個性の強い人間がいるんだから、そこが一番重要になってくる。それはずーっと言っていましたね。やっぱり、上にいってもらいたかったし、今でも思っているし。
――酒呑童子ではKUDO選手、高梨選手の背中を見てプロレスを学ぶ立場でしたが、それがEruptionで逆の立ち位置へ回ったことになります。
坂口 酒呑に入るまではプロレスラー・坂口征夫として手探りの状況だったのかなって、今になって思います。酒呑としてやるようになってプロレスラー・坂口を確立できて、そこで学んだことをEruptionで携わった人間に返した形。あのね、高梨さんの存在ってホントにデカいんですよ。試合もそう、マイク一つにしてもそう、あとは取材(における姿勢)もそう。あの人は自分には特に言ってこないんですよ。でも、あの背中をずーっと見て学ばせてもらったんで、高梨将弘っていうのは坂口征夫を確立する上で欠かせない存在でしたよね。その意味ではヤス・ウラノとこの2人にはいろいろ学ばせてもらいました。
――Eruptionになってからは、会社も信頼しなければ樋口、赤井、岡谷といった期待をかけた選手を征夫さんに託さなかったと思うんです。そこは指導する人間として、この人に任せれば大丈夫だと評価されていたはずです。
坂口 あー、そこまでは考えていなかったですね…そう言ってもらえるのは嬉しいです。そんなこと、考える余裕もなかったですから。とにかくEruptionとして頑張っていかなきゃしか思っていなかったんで。
――岡谷選手があのキャリアでアジアタッグ王座を奪取するまでになったのも、征夫さんにいろいろなことを叩き込まれなければ、この時点で成し得られなかったかもしれません。
坂口 でも、あいつ自身の努力ですよ。赤井、樋口っていう志を同じくした先輩が近くにいて、いろんなものが吸収できた。DDTってすべてのことがやれて当たり前のようなリングじゃないですか。ウチらはそれをやっていこうっていう共通の目的を持って集まって、できあがった時に岡谷が入ってきた。俺が高梨さんの背中を追い続けたように、あいつも樋口や赤井の背中をずっと見ていましたからね。ただ、見ることは誰もができますけど、それを形にするのはやっぱり本人の努力ですよ。
――総合の時から一プレイヤーとして自分が何をしたいか、何を成し遂げたいかでずっとやってきた坂口征夫が、気がつけばそうやって他者のことを考えて行動して、やり甲斐を持てるようになっていった。プロレスならではの価値観と出逢ったことになります。
坂口 今も自分より下の代の選手には、みんな上に昇っていってほしいっていう思いがあるんですよ。その中でも自分を慕って近づいてきたやつには格段のものを返したい。そういう気持ちでずっと走っていましたよね。
――ガンバレ☆プロレスの渡瀬瑞基選手が向かってきた時も、一度勝っても終わりにすることなく、なお食ってかかってきたら相手にしましたよね。その結果、渡瀬選手の執念が上回って負けたわけですけど、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、坂口征夫も負けることで勝った相手の価値が上がるプロレスラーになったんだなっていう感慨があったんです。征夫さんに勝ったことで覚醒できた渡瀬選手は、ガンプロのスピリット・オブ・ガンバレ世界無差別級王座にまで到達しました。
坂口 ……ありがたい言葉です。あの時は、もちろん勝つか負けるかしか考えずにリングへ上がっていたから、終わったあとのことは考えなかったですけど、見ている方がそう思われる私の価値があるならば、レスラー冥利に尽きます。そういう意味では梅田(公太)も同じだったのかもしれないし。でも、それもあいつらが立派なんですよ。俺と闘うことで自分に生かせたあいつらがね。
――ベルトを獲るというものとは違う形での実績…いや、功績ですか、それが征夫さんの価値であり、存在感であり、役割、立ち位置だったんだと今にして思うんです。それこそ、勝つか負けるしか考えずやっていた自分に、そういう広がりが生まれていった。
坂口 10年で…成長できたんですかね。
――平田一喜選手との関係性もその一つでしょう。
坂口 ハハハ、気がついたらああいう感じになっていましたよね。その平田も去年は(サムライTV制定日本インディー大賞)MVPに選ばれてね。あれって、ファン投票によるものじゃないですか。ああ、見てくれている人はやっぱり見ているんだなって思いました。あれは俺も嬉しかったですよ。
――表に出ていない、芽が出ずあがいていた平田選手の姿をずっと見てきたでしょうからね。
坂口 それでもブレずに、絶えず前を見ているんですよね、あいつだって。HARASHIMAさんに似ていますよ。だから平田は、ああなって当然だったと思うし、ようやく報われたなって感じですよね。あと哲ちゃん(遠藤)にも輝いてほしいし…そういやあの野郎、MVPもらったんだから奢れよって言ったら「賞金なんて出ないですよ!」って言いやがって。
動かない人間はモノを言っちゃいけない
それはリングを降りても続くと思う
――プロになる前からひたすら強さを追求してきた自分がプロレス、ましてやDDTという幅広い場において、そういったものも追及できたのは、人生における意義にもなったのではと思われます。
坂口 大きかったですね。そこで何を追求したんだろうって考えたら言葉、文字では表せないんですよね。ただ、目の前の相手を倒せばいい総合と違ってプロレスは360度、お客さんという相手に囲まれている。それをずっと意識してきたのは確かです。昔、親父が「バカじゃプロレスラーはできねえよ」って言っていて、憲二(実弟)は一回、両国国技館へ上がった時に「舞台の感覚だね」って言っていたのをずっと自分の中の教訓として持ち続けて、そういうものとも闘っていかなきゃいけないんだって思ってやってきました。それが…やれていたんですかね、結果。
――やれていたと思います。
坂口 自分では、そこで達成感を持っちゃうとダメになっちゃうと思っていたんで、答えが出ないままだったんスよ。
――一つ、すごいと思ったのは「マッスル」の両国国技館で純烈の新メンバーを決めるバトルロイヤルがあったじゃないですか。あそこで、刺青はNGだからという理由で征夫さんが入ってきてすぐ失格になるという場面があって、あれを見た時に唸らされたんです。征夫さんにとってのタトゥーは本当に、並大抵ではない思いがこめられていてある意味聖域のような存在であるのに、あれを受け入れたのが驚きでした。拒絶しようと思えばできたはずです。
坂口 ありましたねえ。でも、なんだろう…そこはDDTの選手なんで。
――はい。
坂口 お客さんが喜ぶか喜ばないかわからないけど、俺のすべて…この風貌もそうだし刺青もそうだし、パンストを被ることだってすべてが俺の武器なんだなって。怖いのも、楽しいものからくるギャップも全部、武器として使えるなら使うつもりでいました。
――DDTの選手だから。ほかの団体に所属していたら…。
坂口 (即答で)やらなかったです。それ以前に、ここじゃなかったら頭の柔軟性がそこまでいっていなかったと思います。カッコつけていたら、絶対にDDTでは生き残っていけないですよ。周りにはどう見えているかわからないけどみんな、泥の中を這う覚悟で生きていますよ、DDTの連中って。
――そこまでやったからこそ、坂口征夫というプロレスラーはファンに支持されたのだと思います。そこには父が坂口征二だからというのはなかった。
坂口 本当に…こうやって話しているうちにまた後悔が出てきました。
――引退試合前に…大丈夫ですか。
坂口 大丈夫です!
――会見でもそう呼んでいましたけど、高木三四郎は最後まで征夫さんの中で「ボス」だったんですね。
坂口 あの人は俺の中で生涯、ボスです。テキトーな部分もいっぱいあるし、好き勝手だよなあって思うこともあるけど、自分で俺の見る目に狂いはなかったって言えます。この人についてきてよかったと思うし、俺がプロレスをやりたいと言った時になんの政治的な力も働くことなくスムーズに入れたのも、ボスだったからなんだろうなって思います。それまでずっとプロレスやることを反対されていたのが、本当にスルスルといけましたからね。それが高木三四郎っていう人間の魅力なのかなんなのかはわからないですけど、不思議な力を持っている人。やっぱり人を惹きつけるんですよね。
――シングルマッチは昨年のKING OF DDTの一度だけでした。
坂口 俺、同期(竹下幸之介、遠藤哲哉)を含めて自分より先にいた人とほぼシングルやっているんですよ。その中で2人だけやっていなかったのがボスとウラノさんだったんです。ウラノさんとはやらないまま終わっちゃいますけど、トーナメントってなったらまた向き合い方を変えて試合ができるんで、あのタイミングで高木三四郎とできてよかったって、今では思います。
――あれも新宿FACEでしたよね(2023年5月6日)。
坂口 プロレスをやるきっかけになったハードヒットに出て、中澤(マイケル)さんとやったのも、初めてKO-Dに挑戦したのもFACEだったし、けっこうここには思い出があるんですよね。
――酒呑童子解散もここでした。そういうのもあって引退試合の場を新宿FACEにしたんですか。
坂口 いや、そこはたまたまこうなった形です。ハードヒットを別とすると(パンクラスでの)デビュー戦は後楽園になるんで一瞬、後楽園かなとも思ったんです。ただ、やめるって口に出した人間がいつまでもリングに上がっていちゃダメだと俺は思っているんですよ。ファイター、やめるんでしょ? まだいるの?っていう気持ちが自分の中で湧いてきちゃうんで、2月の後楽園までやるのはなあっていうのがあって。かといって1月の後楽園だとタイミングとしては早すぎると考えた結果、2月7日のFACEになりました。平日の引退試合って、なかなかないッスよね。それもいい感じかなと。もっと大きな会場にすればとも言われましたけど、別に会場はどこでも同じじゃんって。新木場でも鶴見青果市場でも、俺にとってリングは何も変わらないんだから。
――休業中のKUDO選手が復帰する前にやめることになります。
坂口 そうッスねえ。そこは酒呑っていうものを待っていたお客さんに対しては申し訳ないなっていうのはありますけど…もう、4年ぐらい経っているんですよね。アニキも今、どういうコンディションなのかも最近会っていないんでわからないですけど、俺がいなくなるんだから俺の分まで気合入れて戻って来いよって、今度会ったら伝えたいです。やめても戻ってくるのを待っているんで。
――その日は、会場にいきますか。
坂口 うーん…なんか、リングに上げられそうなんで、やめておきます。
――そういう形でも上がらないと決めているんですね。
坂口 はい。上がっちゃいけない場所だと思っているんで。
――一番気をつけなければいけないのは高木三四郎ではないかと。
坂口 そうですよね。今、考えているのは地方でお世話になった方々への挨拶をしていないんで、筋としてちゃんと顔を出して「ありがとうございました」を自分の口から言いたいっていうのはあります。でも、引退したあとの2月の後楽園へ見にいこうとは思わないし、今のところは一切、会場へ足を運ぶことはないと思っています。
――これからの人生はもう一つの本業である会社と、坂口道場一族の運営となりますか。
坂口 道場に関しては今の時点でほぼ自分はやっていなくて、窪田(幸生)に全部任せています。お金の部分だけはやってくださいっていうので見ているんですけど、本当は窪田に譲りたいと思っているんです。だから今やっている普段の土建屋と…うーん、まだ五十代なんだし欲張りだから何かをもう一発やりたいなとは思っていますけど、それが何かはまだわからないですね。
――見つかりますかね。
坂口 喫茶店やろうかな。
――居酒屋ではなく?
坂口 喫茶店もいいなと思えば居酒屋もいいなと思うし、まったく違うことかもしれないし。何になるにせよ死ぬまでチャレンジしていきたいんで、ここでやめたからこっちに本腰入れるっていうことではなくて、それも闘いじゃないですか。だからずっと闘い続けていきたい。今はキチンとリングを降りることしか考えていないんで、パッとは浮かんでこないですけどね。
――ただ、征夫さんの人生を振り返ると思いついた時に行動できるタイプですから、思いついたらバーッといくんでしょうね。
坂口 たぶん、そうッスね。感覚で生きている人間なんで、思い立ったら突っ走っちゃうんでしょう。
――でもその感覚が動機を生み出すわけですから大切です。
坂口 うん、つまずいたらつまずいた時に考えればいいやと思っているんで。やる前からつまずくことを考えたら、何もできなくなっちゃう。大事なことですよね、まずはやれよって。動かない人間はモノを言っちゃいけないと思っているんで、それはリングを降りてからもずっと続くんだと思います。



