9月9日、大田区体育館で大仁田厚&ヨシ・タツ&小嶋斗偉vs秋山準&高木三四郎&岡田佑介の電流爆破6人タッグデスマッチが実現することになった。同所における電流爆破マッチは2015年5月23日の大仁田&長与千種vsTARU&ダンプ松本以来、8年4ヵ月ぶりになるが、注目すべきは秋山が遂に電流爆破のリングに足を踏みいれるということ。
大仁田は邪道と呼ばれながらも94年5月5日の川崎球場で天龍源一郎を電流爆破のリングに上げたのを皮切りに、たったひとりで大国・新日本プロレスに宣戦布告して蝶野正洋、グレート・ムタ、遂には標的だった長州力との電流爆破を実現。その後もUWF系の高山善廣、船木誠勝、藤原喜明、アントニオ猪木の最後の遺伝子・藤田和之、ケンドー・カシン、プロレスリング・ノアでは杉浦貴、第64代横綱・曙など錚々たるレスラーを電流爆破のリングに上げてきた。
そんな大仁田にとって、本当の夢だったのは故郷・全日本プロレスで電流爆破マッチを実現させること、師匠ジャイアント馬場の正統後継者と目されるレスラーと電流爆破デスマッチを実現させることだった。
大仁田は98年5月1日に全日本の東京ドーム初進出が決まった時に「ジャイアント馬場さんだからこそ邪道を呑み込む器があるはず。東京ドームで電流爆破マッチをやりましょう」「タッグを組んでもいいですから電流爆破のリングに上がってください」と馬場にラブコールを送ったが、実現することはなかった。そして馬場は99年1月31日に急逝。大仁田の「馬場さんのいる全日本での電流爆破」は夢に終わった。
「あの頃、本当に実現していたら凄かったよね。チケットも売れている時代だったからね。電流爆破のアピールは単なるアドバルーンじゃなくて、馬場さんと2~3回会って実際に話をしてるんだよ。あの人は否定から入ることはないから。俺は馬場さんに電流爆破を全部説明して“タッグでどうですか?”って言ったけど“ジャンボ(鶴田)と三沢(光晴)が反対するからなあ”ってことで終わっちゃったよ。だから電流爆破に関係なく、俺が全日本に上がる話はなくなったよ」という話を大仁田から聞いたことがある。
大仁田は馬場元子夫人のオファーで01年1月28日の東京ドームにおける『ジャイアント馬場三回忌追悼興行』に通常の試合ルールで参戦、その後は秋山体制になった全日本の14年12・6大阪での渕正信デビュー40周年記念試合に出場した。「王道回帰」を謳っていた当時の秋山・全日本に“馬場の匂い”を感じた大仁田は、ここでの電流爆破マッチ実現を目指す。
そして16年11月27日、両国国技館で渕正信との同期コンビで青木篤志&佐藤光留を撃破して第100代アジア・タッグ王者になってから大仁田は本格的に全日本に参戦する。
この時の参戦は王者チームの青木&佐藤のリクエストによるもので、大仁田は電流爆破バットを持参することを予告した。
この時の秋山社長の対応は意外だった。「こちらからお願いした形で参戦するのだから、向こうのお願いも聞くのが筋。電流爆破バットを使うとは明言してないんでしょ? それは大仁田さんのお守りみたいなものなんでしょ? だったら別に持ってきても構わない」と柔軟な姿勢を見せたのだ。実際、試合では渕に止められて使うことはなかった。
秋山は馬場の教えの「すべてをひっくるめてプロレス」の懐の深さを見せたわけだが、ここから大仁田は全日本マットを邪道色に染めようと動き出す。翌17年1・2後楽園ホールにおける秋山&井上雅央とのアジア・タッグ防衛戦を前に大仁田はエニウェアストリートファイトトルネードバンクハウスタッグデスマッチの邪道ルールを要求したのである。
これを秋山は「5カウント以内なら反則もOKというルールの枠で思い切りやってもらうのはいいと思う。だけど、どこでもフォールというのは有り得ない。勝負はリングの上でつけるものだから。あと言っておきたいのは、凶器は容認するからといって、電流爆破は認められないから、俺と電流爆破をやるなんて言うなよ」と拒絶した。
秋山は通常のプロレスのルールの枠内でのことは容認しても、馬場時代からの「リング上での決着」を大前提にし、電流爆破は絶対に認めないという確固たる姿勢を示したのだ。
大仁田が全日本で最初の引退をしたのは85年1月。その7年もあとに全日本に入団した秋山にとって大仁田は接点がまったくない先輩であり、全日本の歴史上に登場する人物という感覚だったに違いない。先人として敬意は払うが、それ以上のものはなかっただろう。
一方、大仁田にとって秋山は鶴田、天龍に次いで馬場がスカウトした男。馬場が「いずれ全日本を背負うのだから」と帝王学を叩き込んだ馬場の遺伝子は、ぜひとも電流爆破のリングに放り込みたいレスラーだったに違いない。
全日本での大仁田と秋山の絡みは、このアジア・タッグ(渕が雅央をフォール)と同年2・19アイメッセ山梨での全日本軍vs邪道軍(秋山&諏訪魔&雅央&ケンドー・カシンvs大仁田&雷神矢口&保坂秀樹&パンディータ=諏訪魔が保坂をフォール)の2回のみ。
大仁田は4ヵ月後の6・20帯広で青木&佐藤にアジア・タッグを奪回されたのを機に全日本から撤退した。それから1ヵ月後の7・16横浜の大仁田興行での電流爆破マッチに諏訪魔が秋山の反対を押し切って強行出場したことが今になって秋山と諏訪魔の確執の根っこになっている。
今回、秋山は大仁田の爆破マッチでの対戦要求に背を向けていたものの、社長の高木三四郎に頭を下げられて出陣を決意。DDTに移籍以来、様々な形式の試合を自分流に消化してきた秋山は「電流爆破だからといって、そこでプロレスをすればいいだけの話」とも言うが、「これだけは認めない」としてきた電流爆破マッチで何を提示しようというのか…そこには大仁田と秋山の信念と感性の勝負がある。
文/小佐野景浩



