1・29後楽園大会で行われる、MAO&勝俣瞬馬組に大石真翔&旭志織組が挑むKO-Dタッグ選手権。
この一戦をより面白く観ていただくためには、挑戦者チームの大石旭について説明しておく必要があるでしょう。
というのも大石旭のタッグ王座挑戦に対して、今一つピンときていない方も、少なからずいるように思えるからです。
無理もありません。今回の大石旭のタッグ王座挑戦は、タッグリーグの優勝や王者チームからの直接勝利といった、明確な実績によるものではありません。
昨年10月に火野裕士を加えたΩ(オメガ)で6人タッグ王座を奪っていますが、こちらも12月の初防衛戦で奪われています。
しかも旭が2AW所属であるため、コンビを組む機会自体も決して多くはありません。ですからDDTのファンの中に、「大石旭?」と戸惑う方がいるのも当然なのです。
では王者チームのMAO&勝俣組は、どうして大石旭の挑戦要求を受諾したのか?
その答えを考える前に、大石旭のコンビとしての歴史と実績を振り返っていく必要があるでしょう。
2002年にK-DOJOでデビューした大石と旭。デビューは大石の方が早いですが、年齢は旭の方が1歳年長。デビュー当時から2人とも、強さよりは巧さを武器に闘うタイプでした。
そんな2人が本格的にコンビとして活動を始めたのは、K-DOJOがGETとRAVEの2ブランド制になった2005年から。ともにGET所属となった2人は、コンビを組む機会が一気に増えます。
タッグチームには足し算のチームと掛け算のチームが存在すると言われますが、大石旭はまさに後者の典型でした。似ているようで異なる面も多い彼らだからこそ、同じコーナーに立つ機会が増えたことで絶妙のハーモニーを生み出し、コンビとしての実力は短期間で急上昇。
2006年にはSTRONGEST-K(S-K)タッグ、WEWハードコアタッグ、さらには東北タッグ王座を次々と奪取。K-DOJOのみならず他団体への参戦機会も増えて、大石&旭の名前はインディーマット界に知られるようになります。
そして08年にS-Kタッグ王者に返り咲いた際には、ベルトを1年以上に渡って保持。この頃には大石旭は名コンビの座を不動のものとします。
しかしながら大石がK-DOJOを退団して、DDTに入団した2011年あたりから、2人がコンビを組む機会は激減します。
それでも大石旭はコンビを解散することはありませんでした。1年以上間隔が空くこともありましたが、それでも久しぶりにコンビを復活させた際には、「さすが!」と唸らせる健在ぶりと、進化を見せ続けます。
2018年にはS-Kタッグ王座に、約9年ぶりの返り咲きを果たしています。
おそらく2人にとっての大石旭というコンビは、プロレスを続けていく上でのライフワークになっているのでしょう。
そんな大石旭が久しぶりにタッグ王座奪取に動きました。当然、リバイバルではありません。今ならば行けるという確信があるからこそでしょう。
そんな大石旭の挑戦を受けて立った王者チームのMAOと勝俣は、少年時代に大石&旭の活躍に胸躍らせた経験を共有しています。大石とはアイドルユニットNωAでトリオを組んだこともありました。
だからといってノスタルジックな思いだけでの挑戦受諾ではないでしょう。特別な思いを抱いているMAOと勝俣だからこそ、オジサンと呼ばれるようになった現在の大石旭が、敢えてベルトを狙いにきた覚悟と自信を感じ取り、挑戦を受けて立ったのだと思われます。
実際、13日の新宿大会では大石旭でMAO(パートナーは小嶋斗偉)から直接フォールを奪取。さらに翌日の仙台大会では、大石が勝俣からリングアウト勝利を奪うなど、大石旭がぐいぐいと勢いを増したまま、29日のタイトルマッチ本番を迎えることになりそうです。
もちろん勝負は時の運で左右しますし、前哨戦で敗れたことによって、MAOも勝俣も大石旭の怖さを再認識したはず。ですから勝敗の予想は非常に困難です。
ただ29日のタッグ選手権を通じて、最新バージョンの大石旭、言わば大石旭‘23が、蓄積と継続がどれだけの力を生み出すかを、我々に見せつけてくれることは間違いないでしょう。



