ジャイアント馬場に「全日本プロレスの未来」としてスカウトされ、92年9月17日の後楽園ホールのセミファイナルで小橋健太(現・建太)の胸を借りてデビューした秋山準が9月18日のDDT後楽園ホールのリングで30周年記念試合を行う。
恩師・馬場亡き後の2000年7月にプロレスリング・ノアの旗揚げに参加、12年末にフリーになって13年1月に古巣・全日本に上がり、同年6月に全日本で大量離脱騒動が起こると所属として留まって社長にも就任。20年5月にDDTのゲストコーチ就任及びレンタル移籍から21年2月には正式所属……と、波乱のプロレス人生を送ってきた秋山の記念試合は遠藤哲哉、金丸義信と組み、竹下幸之介、勝俣瞬馬、永田裕志と戦う6人タッグに決定した。
現在、新日本プロレスのリングで鈴木軍のメンバーとしてジュニア・ヘビー級で存在感を放っている金丸、新日本の最年長レスラーとして他団体でも活躍している永田……両雄ともに秋山のプロレス人生を語る上で欠かせない選手。その関係を改めて紐解いていこう。
秋山は現在、遠藤をリーダーとする第4次BURNINGの懐刀になっているが、金丸は第1次&3次BURNINGのメンバーであり、このトリオは新旧BURNINGの融合となる。
98年夏に小橋と秋山がBURNINGを結成する時に若手の有望株・志賀賢太郎と小橋の付き人・金丸を「全日本を年功序列ではなく、頑張る者、やる気がある者が上に行けるリングにしていく」という理想のもとにメンバーに加えた。それは志賀と金丸に「人に動かされるのではなく、自分たちで全日本を変えるんだという意思と自覚を持って積極的に行動しなければならない」という意識改革を迫るものでもあった。
金丸はこれに応えた。金丸の勝つための緻密な戦略は秋山譲り。デビュー当初は空中殺法が注目を浴びた金丸だが、職人肌の選手に変貌していったことについて「一番、影響を受けたのは秋山さんですね。飛び技だけじゃなくて試合の組み立てとか、緩急の付け方とか、トリッキーな動きとか、プロレスではいろいろ工夫ができるじゃないですか。いろいろ経験していくうちに試合を引っ張っていくとかを覚えていったのが今につながっていると思います。秋山さんと組ませてもらう中でいろいろと覚えましたよ。言葉でも言ってくれましたしね。まあ、真似はできないですけど、少しはそういうところを考えてやってはいます」と言っていたことを思い出す。
秋山も「同じ言葉が通じるのは金丸まで。それより下の世代になると違う」と言うほど金丸に信頼を寄せ、ノアでスターネスを結成した時にも金丸を横に置き、2013年1月に第3次BURNINGを結成した際にも金丸をメンバーに加えて当初はフリーとして全日本に上がり、14年1月にはコンビを結成してアジア・タッグ王者にもなった。秋山にとって金丸は懐刀だったのだ。
15年12月に金丸が全日本を退団してから6年9カ月……鈴木みのるの毒もまとって円熟味を増した金丸との再会を秋山は楽しみにしている。今回、秋山は対戦相手のひとりに勝俣を指名したが、それは柔軟なプロレス頭を持つ勝俣に金丸を体感させたいからだ。
そしてジャンボ鶴田直伝のジャンピング・ニーを伝授した竹下、勝俣とともに対角線のコーナーに立つ永田。永田は秋山のプロレス人生のターニングポイントになった選手である。
2人が注目を浴びたのは01年3月2日、日本武道館におけるZERO-ONE旗揚げ戦。橋本真也&Xvs三沢光晴&秋山準のカードが発表され、秋山は「X次第では出ませんよ。自分の覚悟として、嫌だったら出ない。会社が出ろと言っても出ない」と言っていたが、このXに新日本の永田が入ったことで秋山は燃えた。年齢は永田が1歳上だが、プロレスデビューは92年同期で、ともにアマレス出身。そして何より、当時の日本プロレス界の状況ではノアと新日本が交わることは絶対に有り得なかっただけに、このカードは刺激的だった。
「まず新日本の選手と戦えるのが面白いなと。あとは上にいるんだけど、突き抜けられない、突き抜けたいけど、突き抜けられないっていう所属している団体で置かれている状況が同じような感じだったので、僕だけじゃなく、永田さんも自分を発揮できる相手、場所、タイミングに飢えていたと思います」と秋山は振り返る。
当然、この試合で注目されたのは橋本vs三沢だが、秋山と永田は「橋本さんと三沢さんを超えてやる」という気概で先発を買って出てレスリング勝負。中盤にはエクスプロイダーの応酬、秋山が掟破りのナガタ・ロックⅡを仕掛ければ、永田はフロント・ネックロックと“新世代”ならではの攻防を繰り広げた。試合後にはお互いに「組んでも、戦っても面白い」と好感触を語り、秋山は「永田選手がIWGP王者になったら挑戦させてほしい」と王者・藤田和之に永田が挑戦した同年6月6日の新日本の日本武道館を訪れて観戦。残念ながら永田の王座奪取はならなかったが、秋山が三沢のGHCヘビー級王座に挑む7月27日のノア日本武道館に今度は永田が激励に駆けつけ、秋山がGHC王座を初戴冠した。
秋山と永田の垣根を超えた交流は、それまで国交がなかった新日本とノアの壁をぶち破り、10月8日の新日本・東京ドームでタッグを結成して武藤敬司&馳浩に快勝。秋山と永田には「新日本とノアの懸け橋になったのは俺たちだ!」という自負があるのだ。
その後も02年1・4東京ドームで秋山が永田相手にGHC王座を防衛、2月27日のノア日本武道館で小橋復帰戦の相手を務める(秋山&永田vs三沢&小橋)など、団体の垣根を超えた闘いが実現している。秋山が社長だった時代の全日本では18年2月にアジア・タッグ王者にもなった。
ともにデビュー30周年を迎えた今も第一線でファイトしている両雄にとって今回の記念試合はまだまだ続くプロレス人生の大きなステップになるに違いない。
そして同じリングに上がる遠藤、竹下、勝俣にとっては王道と闘魂の遺伝子を体感する大切な闘いになる。
文/小佐野景浩



