さかのぼること1年ほど前、ひらがなまっするの後楽園初進出を前にスーパー・ササダンゴ・マシンと話したさい、竹下幸之介について共通認識を持っていることがわかった。一回ごとに主役は変わっても、そこにその姿があるだけで安心感が持てる。
演劇色の強い「まっする」がプロレスにカテゴライズされるのは、試合のシーンを本職のプロレスラーたちがやっているところが大きい。これはどんな舞台でも表現できないものだ。
アスリートとして説得力のある肉体をまとった人間がいることで、まっするはまっするとして成立する。「マッスル」時代とは比べ物にならぬほどのポテンシャルを持つ者たちが集い、竹下は1兆回もバーベルを挙げる思切投太郎の役どころを全うする。それは、DDTのリングとも地続きのカラーだ。
膨大なセリフと場面が展開されていくまっするはある意味、通常のプロレス以上にナマモノと言っていい。ササダンゴが台本を書いているのに、どこで不測の事態や想定外の流れが生じるかわからない部分を内包している。
そうした中で、竹下の背中を見ると何があっても大丈夫、うまくいくという信頼が芽生える。それをササダンゴに言ったところ大きく頷いた。
「彼だったらプロレスラーがプロレスの外で要求されるものに対し、それを超える答えの出し方ができるんだと思います。バーベルを挙げるのとは違うやり方でのプロレスラーとしてのスキルの上げ方というか、もっと幅広いポテンシャルの上げ方ができている。そういう人間が一人いると、こちらも全部任せられるし」
普段だとどうしても試合展開を追うことが優先となるが、まっするはセリフの部分が多いこともあり、長尺で選手たちの体が見られる。だから背中に目がいったのだろう。
気がつけば、竹下は信頼を置ける背中になっていた。それは単に筋肉をつけたり、体を大きくしたりするだけでまとえるものとは異をなす。その広さも厚みも物理的な質感ではなく、もっと感覚によるもの。
だからこそ、まとうのが難しい。2度目のKO-D無差別級王者時代、竹下は歴代最多防衛記録となるV11を達成した。本来ならば、あの時点で「若きエース」と呼ばれてしかるべき実績を残しながら、その後もファンや業界の認識は「DDTのエースはHARASHIMA」が最大公約数だった。
それは、HARASHIMAが“任せられる男”だったからだ。「いざとなったら」「ここぞという時」「やっぱり最後は」――こうした言葉と結ばれる人間こそがエースであり、またそれは長い時間をかけて紡いできたファンとの関係性でもある。
HARASHIMAの背中に見ていたものを、まっするで感じた1年前。あとになってわかるのだが、その頃の竹下はコロナの影響でメンタルが落ち込み、人生そのものであるプロレスに対し「やる意味はあるのかということまで考え、心が折れそう」な状態にあった。
おそらくまっするというDDTとは違う非日常空間の中で、足掻きからの脱出を模索していたのだと思われる。そして年が明けて4月にアメリカへ飛び、AEWを体験することでポジティブな方向性を取り戻した。
KING OF DDT優勝、秋山準を攻略しKO-D無差別級王座を奪取、D王GP制覇といった実績は、そうした過程を経て得た“実”だった。そんな1年間で竹下の背中をもっとも感じたのは、12・5後楽園でおこなわれた上野勇希との優勝戦。
これは多くのファンが感じたことと思われるが、肉体の大きさによって試合が始まる前の時点で竹下は上野を凌駕していた。もちろん体重が増えているのは一目瞭然なのだが、正面から向かい合った瞬間に「えっ!? これほどまでとは……」と予想以上の“絵ヅラ”に圧倒されてしまった。
上野とて体が小さいわけではない。自分よりも大きな樋口和貞と対峙しても渡り合えるほどの鎧を装備している。
案のじょうというべきか、竹下はそれを上回る肉体の説得力で試合を構築していった。それが、あの優勝戦の風景である。
「よし、体重110kgにするぞ!というような意気込みでやっているわけではないんですけど最近、パーソナルトレーナーの方のトレーニングメニューを購入して、ウエイトのメニューとしては初めて人が作ったメニューをやっているんです。やり始めて半年ぐらいなんですけど、その間にメッチャ大きくなったから、プロのトレーニング法はすごいんだなと。
本野卓士さんというボディメイク界の有名な方で前から面識あったんですけど、noteの有料記事でメニューを公開したのがあったんです。タイプ別に分かれていて、僕にあったトレーニングメニューもあった。1万円するけど、これは一生モノやなと思い払いましたよ。15日分のトレーニングメニューが決まっていて、それが終わったらまた戻るというのをその通りにやったらデカくなりましたね」
それまで竹下は独学で体を大きくしたり、ボディビル大会に出る時は絞ったりしていた。ただ、どうしても得意な運動ばかりやり、苦手な種目は避けていたという。でも、自分以外の専門家のメニューを購入することで「やれ!」と命令されるかのようにトライ。
3カ月が経った頃、周りから「デカくなってない?」と声をかけられるようになった。それでいてスピードもスタミナも落ちることなく、技の馬力を上げるのに成功。
面白いもので、始めた時は描いていなかった岡林裕二との邂逅がその道の先にちゃんと待っていた。11・3大田区総合体育館では、業界指折りの“怪獣枠”を相手に当たり前のような顔をして肉弾戦を繰り広げる竹下がいた。
関本大介や火野裕士といった同じ怪獣枠だったらわかるが、竹下はそういうタイプと違う。それでも変化球を使うことなく30分間、直球のみでぶつかり合い「勝てはしなかったけど、あの闘い方で岡林さんに負けない自分を確認できた」。
去年までは秋になるとぎっくり腰などのケガを負い、夏に鍛えた体がしぼんでしまっていた。それが今年一年は継続的にトレーニンングできたのも大きかったという。
感覚的な広さに加え、竹下はこの半年間で物理的にも厚みと強さをその背中に加えた。D王優勝から8日後、それらの積み重ねはプロレス大賞敢闘賞受賞という形になって結実する。
これはDDTの枠内だけでなく、プロレス界としても竹下が「任せられる」「信頼される」選手と評価されたことを意味する。そこまでなるのに、9年もの時間を要した。
上野戦とは違った意味で印象に残ったのは、たまたまタイミングが合って見ることができた新潟における地方大会だった。その日、竹下はメインでクリス・ブルックスとD王公式戦で当たり、勝利をあげた。
The 37 KAMIINAとしてワチャワチャ締めるのではなく、一人で“任される”シチュエーション。試合内容とともに、マイクで「今日はDDTを見に来てよかった」と観客に思わせるのが使命だった。
竹下が反対側を向いて喋ったため、ここでもその背中が飛び込んできた。当たり前のように一人で締めの言葉を述べる姿は、後楽園やビッグマッチのそれとは違うものに映った。今さら言うようなことではないと重々承知の上で「ここまでになったか」との感慨を覚えた。
現在の竹下は、ボディビルをやっていた頃と現在を比べると20kg以上の差がある。あまりにストイックな日々を課したため、空気の味もわかるほどの無の境地を経験。それを線とし、真逆の肉体作りにつないだ。
高い経験値を土台にし、スペシャリストのメニューを忠実に実践する。それをして竹下は「当たり前のこと」と表す。
「体作りも技を考えることも、ご飯を食べることもお肉をちゃんと摂ることも、僕は当たり前だと思ってやっているだけで、特別なことは何もしていない。だから僕以外の選手だってやれるはずなんです。そうやってみんなも上がってこなければいけない理由がある。それは…」
このつづきは、12・26代々木大会のパンフレットに掲載されるインタビューで確認していただきたい。



