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【ドラマティック・ドリーム・コラム】儚さの中の確かな瞬間、向かい合いまた別れゆく竹下幸之介と入江茂弘(三田佐代子)

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  • 「最初松井さんからメインで入江と闘って欲しいと言われた時には、僕は1分くらい黙りました。やりたいかやりたくないかと言われたら、やりたくないかなと」

    松井幸則レフェリー25周年のメインイベント、竹下幸之介&HARASHIMA組vs入江茂弘&樋口和貞組のカードを松井本人から聞かされた竹下幸之介は、黙り込んだという。竹下の中で入江とは、もう終わった関係だと思っていたからだ。

    入江茂弘と竹下幸之介は、共に大阪プロレスのプロレス教室からプロレスラーになった。入江は中学生以上の大人の部、竹下は子供の部。それぞれ子供ながら図抜けた存在だと認識していた。そして、松井にとっては2人とも、ちっちゃい頃から見ているこの世界の子供のような存在ということになる。松井も入江も竹下も、それぞれ別々の道をたどりながら大阪から東京に出てきて、ドラマティック・ドリーム・チームの一員となった。入江茂弘は2013年3月に当時史上最年少の24歳11ヵ月でKO-D無差別王者になり、そして8回の最多防衛記録を樹立した、その最年少記録と最多防衛記録は、どちらも後に竹下幸之介に破られることになる。

    DDT総選挙の後の選抜興行で、アンダーマッチで闘ったこともあれば、KO-D無差別のベルトを懸けて闘ったこともある関係だった。ライバル、というのとは少し違ったかもしれない。かつて入江は竹下のことを「DDTを引っ張っていくのは幸之介の仕事だと思うんですよ。僕には僕の仕事があって、僕は自由なことがしたい。僕はバーにマット敷いたところでプロレスやったり、地方の選手ともめちゃめちゃ試合してるんですけれど、それは自分の中で誇りに思う」と評していた。竹下にとって入江はプロのレスラーになるきっかけを作ってくれたひとりだったけれど、入江にとって竹下は、その才能と努力を認めながらも、「何事においても一番になったことのない人間からすると、嫉妬しかない存在」でもあった。

    入江はより自由な闘いを海外のマットに求め、そして入江のいないDDTで、竹下はひたすら身体を張り続ける。毎大会、タイプの違う相手とすさまじいレベルのタイトルマッチを行い、DDTの絶対王者の名を欲しいままにした。そんな中、予告もなく帰国した入江は竹下に宣戦布告し、ベルトを奪取。そしてDDTの現状を痛烈に批判した。海外での防衛戦、男色ディーノや里村明衣子との3WAY、入江は私たちに「DDTはどうあるべきなのか」を考えさせ、そして去っていった。あのKO-D無差別をめぐるめまぐるしい昨年の夏のことを、遠く思い出す。

    竹下は繰り返し、怒っているのではない、プロレスラーは自由だ、団体で続けるのも辞めるのも自由だからその決断自体にどうこう言うつもりはない、と言いながら、「僕がDDTで作れなかった何かを作っていってもらおうという中で入江が退団した。それが残念だったし、終わった」と淡々と語る。

    「僕の中では入江さんにKO-D無差別獲られた時(2018年4月29日後楽園)に一旦終わっていた。両国の石川修司戦の後で乱入という形で帰って来て、もちろん自己表現の仕方は自由だと思うのでそれに対して嫌な気持ちになったり怒ったりもしないですけれど。あそこまでの覚悟でアメリカから帰って来て、僕からベルトを獲ったということはかなりの覚悟を感じていたんですけれど、その半年後には退団してしまったので。僕の中では完全に終わっていました」

    一方、入江茂弘は今回の大会についてのメールでの質問にこう明快に答えてくれた。

    「松井さんの周年興行なので、お祝いしたい、協力したいと思いました。迷いは全くなく、この大会に合わせて帰国しようと思いました」

    Shigehiro Irieは世界を飛び回るプロレスラーだ。そんな入江にとって松井は「中学の頃から面識があり、業界ではもちろん大先輩ですけれど、悩みも相談出来る親分のような存在だ」という。

    「こないだアメリカで会った時にはたくましかったですね。いきなりやってきて『ヘイ、メン!』って叩かれたので叩き返しましたけどね」と松井幸則は目を細める。今回の自身の25周年記念興行で、入江茂弘はどうしても出て欲しかった存在だった。

    「やっぱりどうしても入江は入れたかった。入江の退団というのは最近は僕の中ではデカくて。なんかもうちょっとコイツにしてやれたんじゃないかなって気持ちはずっとあって」

    入江の退団を聞いた時にはどんな感情が一番大きかったか、という問いに少し考えてから松井はこう答えた。

    「悲しみ、ですよね、後は若干の自責の念。そんなところでしょうか」

    それぞれがプロレスに夢を見て、導かれるように同じリングで闘うようになったけれど、気づけば別々の空を目指すようになっていた。親分はそこに幾ばくかの悔いを感じているけれど、そんな親分の呼びかけに世界のどこにいても帰って来てくれる可愛い子分がいるというのは素敵なことだ。

    「試合が近づく中で見つけ出したモチベーションとしては、松井さん興行には大阪プロレスの選手たちもたくさん出場するので、僕たちが憧れた選手たちに試合を見せつけたい。あとは対戦相手の樋口和貞だったり、僕のパートナーのHARASHIMAさんにも入江さんに負けないものを、竹下vs入江というものにかき消されないものを見せて欲しいなと思いますね、ほんまに」

    言葉を選びながらインタビューに答えてくれた竹下だったが、大阪プロレス時代の先輩たちに話が及ぶと饒舌になった。あの時、自分や入江が憧れた先輩たちに、自分たちの試合を見て欲しい。そして今の自分たちが立っている場所というのを、見せつけたい。それが竹下幸之介にとっての、この試合の一番のモチベーションになっている。

    そして入江茂弘は、この試合で一番お客さんに伝えたいことは何か、との問いにこう答えた。

    「僕はいつも変わらず全力の試合をして楽しんでもらえることを考えています。伝えたいこととはまた違いますが、退団してからも海外遠征中のニューヨーク大会やこの松井さんの自主興行が決まっていてまだ少しDDTと繋がっている気がしていましたが、もう自分は新しい別の道に進もうとしています。だからこれが本当の意味での“DDT”で最後の試合と考えています」

    世界は広いが、プロレスのリングはたったの6m四方しかない。広い世界の中で同じ日、同じ場所、同じリング、同じ試合で向かい合う可能性なんて、数字の上では奇跡のような出来事だ。5月26日大阪のエディオンアリーナのメインで、竹下が、入江が、HARASHIMAが、樋口が向かい合って、ゴングが鳴る。松井の手がリングを3つ叩いたら、また別々の空の下で生きていくことになる。

    「僕よく言うんですけれどプロレスは儚いので。いつ見られなくなるかわからないし、闘える時に闘うしかないんだなあって」

    これが本当の終わりなのか、また新しい物語が始まるのか、それはわからない。竹下の言う通り、プロレスも人生も儚い。でも彼らがぶつかり合うその時間を、私たちは確かなものとして目撃することが出来る。ひととき己の心と身体をぶつけ合ってまた別れていく彼らの姿を、この目に留めたい。

    (著者Profile)
    三田佐代子(みた・さよこ)
    1969年8月5日、神奈川県小田原市出身。CS放送・FIGHTING TVサムライのニュース番組「速報!バトル☆メン」、「インディーのお仕事」のキャスターほか、リポーターや執筆など幅広く活動中。初の著書『プロレスという生き方-平成のリングの主役たち』(中公新書ラクレ)は好評発売中。
    Twitter @345m
    「逆エビ日記Ver.3.0」http://d.hatena.ne.jp/sayokom/

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