普段はバイプレイヤー的存在であり、常にトップ戦線を張っているような存在ではないが、長く見続けているファンほど思い入れを持っているのが、高梨将弘というプロレスラーである。15年のキャリアの中で、団体最高峰とされるDDT無差別級王座を獲得したのは1度のみ。それも“いつでもどこでも挑戦権”を行使し、闘い終えたばかりの高木三四郎を襲撃した上での戴冠であり(2012年4月1日、後楽園ホール)、通常の形での王座奪取は一度もない。
その一方、初チャレンジした関本大介戦(2010年3月24日、新宿FACE)や木髙イサミ戦(2016年1月31日、後楽園ホール)など、タイトルマッチのたびに心へ染みるようなプロレスを見せてきた。そうした勝敗とは別の価値観による実績が信用となり、今回の順位へとつながったのだろう。
アスリートとしてのポテンシャルに満ちた若い世代が台頭する中で、体のサイズはけっして恵まれていると言えない高梨が期待される現実。そこには「それでも何かをやってくれる」と思わせる技術があるからだ。人によっては「巧い」と評し、あるいは“センス”“プロレス頭”といった言葉とともに称賛する者もいる。
これほどふり幅が広いDDTの中でも高梨のレスリングは独創性に満ち、何度見ても先を予測するのが難しい。キャリアを積んで先輩から勝利をつかめるようになってきた頃、うまく丸め込まれて敗れた竹下幸之介は、それをして「プロレスはどんな形でも3カウントを奪った方が勝ちということを、改めて思い知らせてくれた先輩」と語っている。
そんな高梨将弘のプロレスは、どういった背景のもとで確立されてきたのだろうか――。
高梨は90年代の闘魂三銃士・四天王プロレス直撃世代である。アメリカンプロレスもUWFも、女子プロレスもあらゆるスタイルを見るうちに引っかかったのが、黒のカリスマとなる以前の白い田吾作タイツを履いていた蝶野正洋だった。
そこからハーリー・レイス、ニック・ボックウインクル、リック・フレアーといったいわゆる職人気質の外国人選手に傾倒していく。そうしたバックボーンを思えば、高梨が現在のようなスタイルになるのも当然…などと結びつけるのは早急だと本人は言う。
「自分が好きなものと、自分がなるべきものって違うと思うんですよ。人間、ないものにあこがれるじゃないですか。体型的なものであこがれたのはマサ斎藤さんだったけど、自分のサイズでなれるはずがない。蝶野さんが入り口だといっても、蝶野さんは“いつどこ権”は使わないでしょう。そういう分別が、この世界に入ってつくようになっちゃったんですよね。諦めてこれをやっているんじゃなく、こっちが自分のやるべきことだなっていう嗅覚。もし今も自分がファンだったら、高梨将弘のようなプロレスラーは好きにならないですもん」
18歳で太平洋を渡り、メキシコのウルティモ・ドラゴンジムへ入門した高梨は9期生に当たる。この代は豊作で、石森太二、バラモン兄弟、のはしたろう、ラッセ、南野たけし、卍丸、Ken45°、KAGETORAと、そうそうたる顔触れがひとつ屋根の下で生活をともにしていた。
練習が終わるとそんなメンバーたちがリビングに集まり、ビデオを繰り返し見ては研究したのだが、ほとんどの生徒が「SUPER J-CUP」などの映像で華麗な空中技に惹きつけられる中、高梨とバラモン兄弟はジャイアント馬場の十六文キックを食らいもんどりうって倒れるレイスの受け身に大興奮したという。闘龍門ではデビューできなかったが、7期生の先輩だった大鷲透が紹介する形でDDTに練習生として入った。
デビューした時から自分よりも大きな相手とばかり闘うのが宿命だった高梨は、それでも15年間DDTのリングへ上がり続けてきた。最初にKO-D無差別級王座へ挑戦したあたりまでは「与えられたことをちゃんとやっていればチャンスは巡ってくるはず」と客観的に考え、その機会がまわって来た時に対応できるよう、普段からの準備を怠らないという姿勢だった。だが竹下ら若い世代の台頭が顕在化する頃になると、否応なく考え方を変えられる。
「便利屋って言われますけど、じゃあほかに便利屋が出てきたらマサ高梨(当時)という存在は必ずしも必要でなくなる。だとしたら、居場所は自分で作らなければならない。もうチャンスが来た時には…なんて言っていられないと思ったんです」
体が大きくなければ、驚異的なスタミナがあるわけでもない。かといって難易度の高い飛び技を使うタイプとも違う。ないないづくしの高梨ではあるが、だからこそ唯一無二と言えるスタイルが築かれた。
「たとえばALL OUTだと誰よりも練習しているとか、誰よりもプロレスを見ているとかあるじゃないですか。みんなどこかしらプロレスラーとしての自信の根拠…拠りどころがあると思うんですけど、自分はそういうのがまったくないままリングに立っている。それって、ずっとプレッシャーですよ。他のベテラン勢には実績で勝てない、若い選手にはフィジカルで勝てない、じゃあ自分は何で勝つの?っていうのを常に考えて闘ってきた。勝てないもので競争しないようにやっていくうち、策を立てたり知恵をつけたりしてきた。恵まれなかった部分が、自分の個性を築いて今の位置にいるんでしょうね。人は何かを追求していった結果、一芸に秀でるじゃないですか。自分の場合これはダメだ、これもダメだと逃げ続けるうちにこうなったんです」
オンリーワンたちが集まってナンバーワンを決めるのがDDTという場。蝶野正洋やハーリー・レイスになることよりも、新たなるオリジナリティーを生み出す方がどれほど大変か。1を10まで膨らますより、ゼロから1を創り出す方がよっぽど難しいのだ。
マイナスをプラスに転化させ武器としてまとってきた高梨は、ここぞという時に期待へ応えられなかった過程を11・25後楽園の無差別級戦でイッキにひっくり返すつもりでいる。1度目の戴冠時は初防衛戦で火野裕士に叩き潰され、自分がベルトを持っている新風景を描けずに終わってしまった悔いも忘れていない。
佐々木大輔に挑戦するタイトルマッチは、おそらく過去最大級の思い入れパワーが高梨へと向けられるだろう。その重要性は本人が一番わかっている。だから総選挙1位の賞金100万円を賭け、それを元手に公約(王者となりイサミとタイトルを懸けて闘う)を果たす退路を断った。
「ベルトを獲れなかった時点で公約は破たんしてしまうので、だとしたらそれを賭けるのは厭わない。もともと何も持っていない人間ですからね。よくカッコつけるように『俺には失うものが何もない!』って言いますけど、僕の場合は物理的に何もないんで、物にも金にも執着がないんですよ。会社から支給されているTシャツや、差し入れの帽子やジャンパーで事足りているんで。この前の長野大会で久しぶりに大鷲さんのお母さんに会ったら『あなた、1位になったんだからそんな格好じゃダメでしょ! 1位になった人間は、もっとお客様に夢を見せないといけないのよ』と言われて、もっともすぎるなと。大鷲さんのプロ意識はこういうところから遺伝しているんだなと思いました。番付的には横綱なんだから、横綱がジャンパー着てちゃダメですよね。それを生きづらいと考えないのがいけないんでしょう。普通は、これじゃダメだと思って矯正されていくでしょうけど、自分はこれが自然になっちゃっているから。15年もやっていたら怒られることなんてないじゃないですか。自分、いまだに怒られますからねえ」
総選挙で1位になったからといって、フィジカル的な強さが急に増すわけではない。ただ、前述通りしかるべき舞台へ立った時にするべきことを磨いてきた。大好きなDDTでずっと自分の居場所をつかむために、そして…DDTそのもののために――以前、高梨は大学の講堂における路上プロレスで、飯伏幸太のジャーマン・スープレックスを受けたことがあった。
そこは硬い硬いフロアであり、素人なら確実に頭を打ちつけて大事故となる。だから通常のキャンバス上とは違ったバンプの技術が必要となる。高梨にそれが備わっていなかったら、団体もカードへ入れなかったはずだ。
「受け身が巧いといったら、僕より巧い人はいっぱいいると思うんですよ。ただ、ケガをしないというのは実績ですよね。会社への信頼じゃないですけど、高梨ならケガしないっていう。体が小さいから投げられることも多くて、それでも負傷しないというのは巧さではなく信頼だと思うんです。そこでケガをしたらせっかく飯伏君やケニー(オメガ)や、中澤マイケル、高木さんたちが築いてきた路上プロレスっていう新しいジャンルというか、ブランドがなくなっちゃうんで。僕が頭を打って脳内出血しましたなんてなってしまったら、どんなに彼らがスキルを持っていてもその時点で終わっちゃうんですよ」
言うまでもなく路上プロレスはDDTならではのブランドとして確立し、Amazonプライムの番組になるまで評価されている。その裏には自分よりも仲間たちのことを考えて覚悟のバンプをとるバイプレイヤーの存在があったのだ。そんな男だからこそ、DDTを見続けてきたファンは「もっと報われてほしい」と願いながら、声援を送る。無差別級を戴冠し、初めて公式プログラムの表紙になった時のタイトルへこめられた思いは、あれから6年半が経っても変わらない。
「高梨将弘が夢を見たっていいじゃないか」
(筆者プロフィル)
鈴木健.txt(すずき・けん)
1966年9月3日、東京都葛飾区亀有出身。21年間、プロレス専門誌『週刊プロレス』に在籍し、編集記者、編集次長、同モバイル編集長を務め、現在は現在はプロレス、音楽、演劇など表現ジャンルに関する編集ライターとして活動。番組、イベントのMCほか40団体以上のプロレス実況、解説を経験。初の著書『プロレス きょうは何の日?』が河出書房新社より好評発売中。



