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DDTコラム&反体制の神に触れるということは……(小佐野景浩)

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  • 高木三四郎がとんでもないことを言い出したのは1・8新木場。DDTの社長なのに「今のDDTには反体制が足りない。反体制が足りないDDTに魅力なんてあるわけないだろ。俺が新しく反体制ユニットを作ってやる!」と宣言したから、客席からは「えーっ!?」の声。だが、細かいことにこだわる高木ではない。「日本のプロレスは体制と反体制の闘争の歴史だ」が高木の持論……らしい。

    ひとりでは体制を覆せないとする高木が反体制ユニットに引き込んだのは高尾蒼馬。嫌がる高尾と1・22千葉でシングルマッチを行なって快勝。力でねじ伏せて配下にしたあたりは実に反体制っぽい。

    1・29後楽園ホールでの反体制ユニットの発進はある意味で衝撃的だった。「反体制と言ったらこれだろう!」と両腕と胸にCMパンク張りのタトゥーを施して登場。WWE上層部を批判した反体制の勇士をビジュアル的にパクったわけだ。そして使う技はパンクの必殺技であり、その元祖はNOAHの反体制派NO MERCYのボス、KENTAのオリジナル技GTS。高尾は身体を十分にくねらせてからのボマイェを初公開! 高木的には中邑真輔も反体制という解釈か。とにかく今現在の反体制と思われるものをパクって「鶴見亜門のケツにキスしているおべっか野郎」(高木談)の松永智充&星誕期を下して白星発進となった。反体制だけに勝てば当然、体制派(とりあえず亜門GM)に要求を突きつける。何と高木はかつて新日本プロレスで反選手会同盟を結成して大暴れした越中詩郎&青柳政司の2人との合体を宣言。2・19後楽園での越中&青柳&高木&高尾vs体制派の8人タッグマッチを要求したのである。

    高木が「反体制の元祖であり、神」とする反選手会同盟は92年8月に誕生した。細かい経緯を書いていたらスペースが足りなくなるので簡潔に説明すると……新日本に無断で青柳が主催する誠心会館自主興行に参加した越中詩郎&小林邦昭が新日本選手会を解任され、新日本からは無期限出場停止処分を言い渡されたのが事の発端。越中と小林が甘んじて処分を受けるわけもなく、逆に「お前らなんかと一緒にやっていけるか! 俺らから選手会を抜けてやるよ!」と選手会脱退表明書を突きつけたのだ。当時の大権力・長州体制に逆らい、仲間だった選手会にも喧嘩を吹っかけたのだから、まさに反体制そのものである。

    越中&小林には会社側として事情聴取していた木村健悟も同調、さらに誠心会館の青柳、齋藤彰俊が加わったことで結成された反選手会同盟は「長州、藤波じゃ無理。俺たちがやってやるって!」と新日本隊より先に天龍WARと抗争を繰り広げて開始して名を上げ、その後、メンバーを増強し、平成維震軍と改名して独自でシリーズを開催するほどの一大勢力になった気骨ある男たちのユニット。高木&高尾が軽い気持ちで触れたら「反体制派そんな甘いもんじゃないって!」と越中の逆鱗に触れかねない。反選手会と関わることは高木&高尾にとって大きな賭けだ。

    さて、体制側も2・19後楽園に向けて秘密兵器を用意した。それはヒロ斎藤。高木が反選手会同盟でくるなら、体制側は新日本の伝説のヒール・ユニットのブロンド・アウトローズで対抗しようというのである。ブロンド・アウトローズは89年10月に「今の新日本はおもしろくない。キレイなレスリングをぶっ潰してやる」とヒロ&&保永昇男&後藤達俊が結成したもの。新日本のスタイルを否定したところから出発しているから、こちらも反体制と言えなくはないかも。

    「目には目、反体制には反体制を!」となると、どっちが反体制なのか!? 何が反体制なのかややこしくなってしまうが、とにかく伝説のユニットを巻き込んでDDTの体制と反体制の闘争がスタートする!!(文・小佐野景浩)

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