6・29後楽園ホールにて、クリス・ブルックスが保持するKO-D無差別級王座に挑戦する樋口和貞。3月20日に復帰してすぐKING OF DDT 2025優勝を果たしたように、順調に快進撃を続けていると映る中で、本人のメンタルはどんな状況にあるのか。欠場中の葛藤も含め、今まで語られてこなかったところに切り込んでみた。(聞き手・鈴木健.txt)
欠場中、身を潜めたのは復帰するには
自分と対話することが必要だと思ったから
――昨年6月より頚椎ヘルニアの治療に専念するべく欠場に入り、今年の3月に復帰するやKING OF DDT 2025を制覇するという、この上ない形でここまで来られています。
樋口 そうですね、欠場前の状態に戻さなければリングに上がらないという考えのもと戻ったんで、その通りにはなっています。そうなるための治療もしましたし、トレーニングの仕方も一度見つめ直した上で続けて、自分の中でこれなら大丈夫だという確信を持った上で復帰したんで。ただ、いざ復帰したらまだ戻っていない部分があるのもわかりました。それはほかの人が見たらそんな気にならないことなんでしょうけど、自分の中ではやっぱり戻ってねえなあ…という実感があって。
――それは、たとえば体を動かす時のちょっとしたズレや、反応がわずかに遅れるというような部分ですか。
樋口 ああ、まさにそんな感じです。自分のイメージと一瞬、遅れるような。力の伝わり方も変わっちゃったみたいなところがあって、まだまだだなと。それを解消できたという実感が得られたのは、KING OF DDTが始まってからでした。自分のイメージと動きがやっと合致し始めた。
――やっぱり、シングルマッチの連戦が取り戻すのによかったんですかね。
樋口 言われてみればそうかもしれないです。短期間でシングルマッチが続いて、それが5月の19日間のうちに全部やったじゃないですか。あれがタッグマッチや6人タッグマッチをはさんでいたら、まだ戻せていなかったでしょうね。あとは、復帰直後にトーナメントがあったことで、すぐに具体的な目標を立てられたこともよかった。最初は正直、不安だったんです。ただでさえケガからの復帰で、ましてやシングルマッチが続くのって負担が大きくないだろうかと考えてしまって。
――でも、それがいい方向につながった。
樋口 いやいや、決勝戦の日までずっと不安だったし緊張するわで大変だったんです。それでも勝ち上がるうちに戻ってきたんで、人間ってこういうものなんだなって思いましたね。
――現在、首の痛みは?
樋口 痛みに関してはないです。受け身をとっても大丈夫ですし、無意識にかばうようなところはトーナメント中もなかった。そうでなければ、リングに上がっていませんから。それが、自分に課した復帰の条件だったので。
――復調ぶりは言うまでもないのですが、それ以上に5・25後楽園は準決勝の時点で決勝戦並みの試合をやって、その上で決勝戦も制したタフさが印象に残りました。
樋口 自分自身では一日2試合っていうのは意識しなかったんです。上野とやったらああいう試合になるのはわかっていたので。むしろKANONの方が想定外でした。前回シングルでやった時以上に馬力も体もあって、充実している感じがすごく伝わってきた。1回戦から決勝戦まで当たった全員がパラメータ的には自分を超えている人たちばかりだったんですよ。明確に彼らより上だと言えるのは、パワーとキャリアだけなんで。
――休んでいた分、溜まっていたものを一気に出力したのがよかったという部分はあったんですか。
樋口 どうなんでしょう…自分では休む前と比べて変わったことをやっているつもりはないし、気持ちも変わらないままだったんですよ。でも、言われてみたら溜まっていたのは確かだし…あと、ザックリ言っちゃうと意地です。
――何に対しての意地ですか。
樋口 この世界のすべてのものに対する意地です。
――漠然としていますね。
樋口 そうなんです、漠然としていて自分でもこの気持ちがなんなのかわからないんですよ。ガムシャラに意地見せたら、想定していた以上のものに届いたような感覚ですかね。
――頚椎ヘルニアに関しては、力士時代からの蓄積だったんですよね。
樋口 そうです。そのメンテナンスに入るにはあのタイミングという判断でした。あそこで自分を止めることができたのがよかったんだと思います。これはもう、休まないとダメだなという判断に至ることができてよかった。それまでの自分だったら、おそらくそのままいっちゃっていたんですよ。
――そこで自分を止めるよう作用した何かがあったんでしょうか。
樋口 調子が悪いとか、ケガを抱えているなんていうのはみんな常にそうじゃないですか。でも、あの休む前というのは「LIMIT BREAK」(プロレスリング・ノアの大会)で藤田和之選手にやられて、その3日後にプロレスリングBASARAで IRON FISTタッグのベルトを落として、自分の中でこりゃダメだとなったんです。
――結果によって決心がついた。
樋口 そう判断してからは、早かったです。だから、前々からこのタイミングで休むと考えていたわけではなかった。根本からもう一度見つめ直さなければという思いに至ったのは、その2試合によるものだったと思います。
――治療を続ける中で、一時はプロレスを続けられないと思ったこともあったんですよね。
樋口 ありました。いくつかの選択肢の一つとして、それも出てきました。診断してもらった結果、その形も考えなければいけない状態だったので、そこは欠場に入る前は想定していなかったです。これで自分の体がもとに戻らないようであれば諦めた方がいいと思って、その選択肢も出てきてしまった。そこは、続けることで迷惑をかけるようであればやらない方がいいし、一度はKO-D無差別級のベルトを獲れて納得していた自分もいたので。診断を聞いた時は、ショックというより「まあ、そうだよな」と納得しました。相撲時代とプロレスラーになってからを合わせると、首の痛みで動けなくなったのは一度や二度ではなかったので、そういう選択肢もあり得るだろうって、けっこう俯瞰で受け取りました。むしろ、今までよく持ってくれたよなって。
――一時は、本当に続けられないと思ったんですか。
樋口 思いました。そこはしょうがないかなって、わりと現実的でしたね。
――体の回復もですが、むしろその状態から気持ちをよく持ち直せたと思います。樋口選手は欠場中、ファンに姿を見せなかったですよね。大鷲透選手が主宰した「やまいきフリマ」も声はかけたけど、本人が出たくないと言うのでその意思を尊重したと聞いていたんです。
樋口 まず、ケガの具合も自分の気持ちもどうなるかわからなかったというのがあって、とりあえずは身を潜めておこうと思いました。吉村のように、欠場中もセコンドとかをやることで姿を見せるのも正解だと思うんですよ。SNSで発信するだけでも、ファンの方々が安心できるというのも理解できます。でも、状況的にも自分の気持ち的にもここは黙っておこうという判断になりました。大鷲さんに声をかけていただいたのは、本当にありがたかっただけに申し訳なかったんですけど、今は表に出ることなく身を潜める時なんだなって思ったんです。
――ただ、身を潜めることによって日々、自分との孤独な闘いになるわけじゃないですか。逆に大変だったのではないかと。
樋口 確かにシンドいところはありました。でも、自分を見つめ直し、自分と「これでいいのか」と対話するような自問自答の日々があったからこその決断に至れて、こうして復帰できたので。何かで発信すればレスポンスが返ってくることで他人の意見も得られたんでしょぅけど、自分と向き合うことはたぶん、やらなければならなかったことなんですよ。誰かに頼ることなく、自分で答えを出すしかない。
――人に頼った方が精神的には楽になるのに、そうしなかった。
樋口 うーん、周りにそれでも頑張っているやつらがいましたからね。吉村なんて2年も欠場していて、普通だったらもう嫌だ!ってなるところを諦めずにコツコツコツコツやって、復帰まで漕ぎつけた。そんな姿を間近から見ていたら、俺も頑張らないとなっていうのがやっぱりあったんで、それが大きかったですね。周りは「大丈夫?」とか「ちゃんと治っている?」って言ってくれるんです。それは本当にありがたかったんですけど、それを聞くといっそう頑張らなければという気持ちになるんで、自分と向き合うことにつながったんだと思うんです。
――負傷箇所が箇所なだけに、復帰に向けてのトレーニングと安静にしなければならないことを並行させる難しさもあったと思われます。
樋口 そこはできましたね、意外なほどに。最初は鈍(なま)って首の調子も悪かったんですけど、人間って目標ができると体の調子もよくなるっていうところがあるんですね。練習を再開して最初は受け身をとっても痛みはあったんですけど、慣れてくると筋肉がついてくるから首も鍛えられてだんだん戻ってきた。動かすとよくなるんだなって思いました。ずっと安静にしていた方が治りは早いんでしょうけど、体が対応してくれなかったでしょうね。動かしては検査にいって、大丈夫と判断してもらうという確認作業の繰り返しでした。