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【鈴木みのる戦を前にマッスル坂井へ15年ぶりにインタビュー】「引退15周年記念試合」を自分で思いつけなかったのが悔しい

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  • 「WRESTLE PETER PAN 2025【DAY1】」8・30ひがしんアリーナ大会にて“プロレス王”鈴木みのると一騎打ち(つまりはたった一人で立ち向かう)をおこなうことになったマッスル坂井。スーパー・ササダンゴ・マシンとしての出番が圧倒的に多い中、自身の引退15周年を記念した一戦でもある。引退試合(2010年10月6日)の相手との「ケジメ」の一戦に臨む本人に、ササダンゴではなくマッスル坂井というプロレスラーについて語ってもらった。(聞き手・鈴木健.txt)

    キャリアのほとんどが引退歴。
    ササダンゴに坂井が嫉妬したことも

    ――マッスル坂井選手のインタビューは「マッスル」最終回(2010年10月6日)…つまりは引退した直後におこなったのが最後でしたから、15年ぶりとなります。大変ご無沙汰しております。
    坂井 そんなにやっていませんでしたっけ!? ああ、でもいつもはササダンゴ・マシンとしてでしたものね。
    ――その後、いかがお過ごしでしたか。
    坂井 「マッスル」で引退したあと、2012年にDDT日本武道館大会ダークマッチで限定復帰しまして。
    ――あれはあくまでも“限定”でしたよね。
    坂井 ええ。で、その2年後のDDT両国国技館にも出てディーノさんとシングルマッチをおこないまして。
    ――その試合を復帰戦と位置づけてよろしいのでしょうか。
    坂井 そこがちょっと複雑なんですよ。スーパー・ササダンゴ・マシンとして活動を再開したんですが、スーパー・ササダンゴ・マシン=マッスル坂井というのを隠し通せなくなりまして、今ではいたるところでも無理に隠さないようしております。ただ、窓口が違いまして。
    ――窓口?
    坂井 プロレスに関してはDDTで一緒なんですけど、芸能関係に関しては窓口が違うという複雑な事情があったりもするんです。まあ、これは関係のないことなので忘れてください。
    ――いえ、ド頭からその話になるのが面白いのでこのまま出します。
    坂井 そうですか。まあスーパー・ササダンゴ・マシンの方がマネジメント入るんで若干、出演料が高いです。実績もありますし。
    ――でも、マッスル坂井の芸能の仕事ってあるんですか。
    坂井 あるんですよ。新潟県内の工場をスーパー・ササダンゴ・マシンが見学して回るっていうレギュラーコーナーが2局あるんです。まったく同じコンセプトの番組がライバル局同士であるという。そういう謎の工場見学をする人として、確固たる地位を新潟で築いている。
    ――工場見学のスペシャリスト。
    坂井 スペシャリストですよ。でも、非常に厳格な衛生管理をしている食品工場にいくとマスクの着用が認められず「素顔でお願いします」と言われるんです。
    ――マスクマンに対し、そんなカジュアルに素顔になれなんて言っていいものなのか。
    坂井 だけど仕方がないじゃないですか。衛生管理の方が重要だし、番組にするには従わなければならない。で、そういう時はロケ直前にマッスル坂井として再オファーしていただくんです。
    ――そうなると出演料はマッスル坂井価格になって下がるんですか。
    坂井 いや、その場合はスーパー・ササダンゴ・マシンで出るはずがマッスル坂井に仕切り直しとなる形なので、2人分もらえます。
    ――おー、いいじゃないですか。
    坂井 局としては二役やる出役的扱いになるんでしょう。
    ――ほかの俳優さんたちも一人二役の場合って、2人分出るものなんですかね。私はそちらの業界、詳しくないのですが。
    坂井 たとえば大河ドラマとかでナレーションをやっている方が、俳優としても一瞬だけ特別出演する場合は2倍になると思います。
    ――そうなんですね。この15年間は2つの人格というか個性を並行させてやってきた感覚なんでしょうか。
    坂井 正直、続けて見てくださっている方は大して分かれていないでしょうね。分けていないので。
    ――分けていないんですか。
    坂井 スーパー・ササダンゴ・マシンになってから煽りパワポを始めましたけど、マッスル坂井でできないわけでもないですし。
    ――武藤敬司とグレート・ムタのような関係性ではないんですね。
    坂井 グレート・ムタさんと武藤さん? あー、そっか。
    ――かつて武藤さんは、ムタに嫉妬していると言ったことがありました。自己嫉妬ですよ。
    坂井 それはちょっとわかるな。スーパー・ササダンゴ・マシンに対し、マッスル坂井が嫉妬したことはあります。顔が出ていない方がいいのかよっていうのはあったな。
    ――区分けはないのに嫉妬はする。
    坂井 マスクマンとして正体を明かしたくないというのはありますけど。スーパー・ササダンゴ・マシンをやっているマッスル坂井としてはそのキャラクターを大事にしていきたい。
    ――今回のようにマッスル坂井として出るのは、単純に取引先がどちらをオーダーするかということなんでしょうか。
    坂井 そうですね。特に今回は「マッスル坂井引退15周年記念試合」と銘打たれている以上は、一つのケジメとしてやらなければいけないとは思っています…ケジメって何なのかわからないですけど。慣用句として言っていますけど、この場合のケジメって何?
    ――引退しているのにケジメも何もあったもんじゃないですよ。
    坂井 日本語として「引退15周年記念試合」って聞いたことないし、何が悔しいって俺が思いついていないんですよ。
    ――本来であれば自分発信でなければいけなかった案件ですよね。
    坂井 DDTから…まあ、男色ディーノから言われて「なんだよそれ!」って突っ込む前に笑っちゃいましたもん。笑っちゃった以上は受けるしかない。
    ――長きにわたるプロレスの歴史でたぶん初でしょうね。引退後のキャリアを記念した試合って。
    坂井 ないでしょうね。それをなぜ自分で思いつかなかったのか。
    ――では、今まではマッスル坂井でお願いしますと言われたのに「いや、ここはスーパー・ササダンゴ・マシンでいきます」と拒否したことはなかったんですか。
    坂井 あります。ここはやっぱりスーパー・ササダンゴ・マシンとしていかせてくださいっていうのは。
    ――それはやろうとすることの内容に基づいて判断するんですか。
    坂井 内容に基づいて…ああ、そうですね。
    ――まあ、引退した時にはまさか15年後に現役を続けているなんて想像もしなかったでしょうね。
    坂井 その発想自体がおかしいでしょ。マッスル坂井が引退するまでのキャリアよりも、もはややめたあとの方が長いですから。
    ――なんか、いろいろ捻転しています。
    坂井 私のキャリアのほとんどが引退歴にあたるという。言ってて自分の中で消化しきれていないんですけど。
    ――ただ、このような形になったので記念試合らしく華々しく、仰々しくやらなければならないのでは。
    坂井 はい。そういう場を設けてもらったのですから、ちゃんとやるしかないと思っています。
    ――ちゃんとというのはこの場合、何をもって“ちゃんと”なんでしょう。
    坂井 ……マッスル坂井とはなんだったのかを考えながらやることになるのかなという気はします。
    ――確実にスーパー・ササダンゴ・マシンとは違うものになると。
    坂井 まさにそこを自分で考えることになる1ヵ月半(カード決定から)になるんじゃないですかね。
    ――そこはお題を与えられて考えるものなんですね。どんなシチュエーションであろうとも変わらぬ土台なようなもので勝負するのではなく。
    坂井 土台…。
    ――たとえると今回の相手である鈴木みのる選手はどんな相手、どんなシチュエーションにおいても鈴木みのるそのものであって、やり方はそのつど変えても根っこの部分は変えずにやれるじゃないですか。マッスル坂井はそういうタイプではないと?
    坂井 ないでしょ。マッスル坂井としての準備なんてしていないですよ。土台はないです。
    ――現役として6年、引退後も15年キャリアを重ねてきながら土台がない! まあ、いい言い方をすればニュートラル、フレシキブルとなりますが。
    坂井 自分の人生の中でも「マッスル坂井」というのが一番プロレスと向き合っていないですからね。いや…向き合っていたのかな? 向き合っていたような…気もするし。
  • マッスル坂井/ササダンゴは
    連載のない読み切り専門作家

    ――そんな重要なことが、気がする程度の話。
    坂井 いや、昔やった試合を今、DDTがYouTubeに上げているじゃないですか。あれを見るとめっちゃ面白いんですよ。
    ――カレーデスマッチとか騒音防止デスマッチとか、今見てもグンバツですよね。
    坂井 やっている当時はそこまで考えていたのかと言われると、今ほど考えていなかった気もするし、それこそ確固たるものがあってやっていたわけではなく相当場当たり的に、その時に面白いと思ったことをやっていただけだったので。
    ――でも、場当たりであれほどのクオリティーのものをやり続けたのは逆に凄いですよ。
    坂井 スーパー・ササダンゴ・マシンとして煽りパワポをやっていますけど、それも実はちゃんと相手のことを分析して、相手に勝つためのことをやっているんで、相手を考えてプロレスをやっていることになるんですけど、あの頃にディーノさんや猪熊裕介やNOSAWA論外さんとやったことを今見返すと、めっちゃ自分も楽しそうにやっているんです。自分とそういう人たちがある意味、対お客さんでやっている。これに皆さん、ついてこられますか?的な。大威チン八連制覇とか、毒手で打ち合うような試合をやっていましたけど、これをお客さん、プロレス業界の皆さん、他団体の皆さんは理解できますか、ついてこられますか、この面白さがわかりますかっていう、ちょっと挑発的なんだけどリング上ではガッチリとやりたいこと、見せたいことに向かって、その中で作る側の意思がガッチリ固まったものを当時はやっていたんだなって。それがマッスル坂井になるんですかね。
    ――今は違ってきているんですか。
    坂井 今はもうちょっと…ひょっとすると今の方が当時と比べると勝ち負けが要になっている気がします。煽りパワポって、あれは勝つための作戦を考えて発表しているわけですから。それは今のDDTと、15年前のDDTの違いとも言える。そこは自分なりに今とアジャストしているつもりなので。
    ――他の選手は勝つために体を鍛えたり技を磨いたりしますけど、スーパー・ササダンゴ・マシンはその手段が煽りパワポ及びその内容である勝つための作戦になると。あとは新日本プロレスとの一面対抗戦のような場を持てるようになって、マニアックである意味アンダーグラウンドのようにやっていたあの頃と比べると、ステージが変わったというのもあるのだと思います。あの頃の感覚を、鈴木戦では戻しますか。
    坂井 うーん、今と同じじゃダメなんだろうなとは思います。あえてマッスル坂井としてやってみなよっていうディーノさんからのものもあるし。これがデビュー15周年試合だったら、デビューしてからの15年間を見せるものになりますけど、引退15周年っていうのは引退するまでの期間も含めての15年だから20年以上のイメージでいかなければいけないんで、意味合いは意外と重いんだろうなと思います。それを全部出すんだよというディーノさんからの…それこそ今回、ディーノさんは棚橋弘至さんとシングルマッチで対戦するわけですけど、おそらくそれは大阪学院大学と立命館大学で90年代後半という同じ時期に関西で学生プロレスをやっていた者同士のドラマを見せたいっていうのがディーノさんの中にあると思うんです。
    ――鈴木選手との出逢いも、確かに15年前よりも前でした。
    坂井 そうなんですよ。だからおのずと15年分だけのものではなくなるんだと思います。鈴木みのるさんは自分のキャリアの中でも大きな存在ですし、初めて「マッスル」に出てもらった時って、パンクラスからプロレスに戻って全日本プロレスで三冠王者になって一番評価が上がっていた時なんですよ。何が凄いって、それが今も変わっていないところ。今、57歳でプロレス界のどのレスラーに勝ってもおかしくないレベルの選手っていないと思うんです。いまだにどの選手とやっても勝てる説得力、実力をキープしているって、ほかにいるとしたら天龍(源一郎)さんがそうでしたけど、そういうクラスの人ってことですよね。その57歳の鈴木みのると、47歳のマッスル坂井がシングルマッチでやるっていうのは、年齢とかまったく言い訳にできない試合なんです。奇しくもその1週間前にセンダイガールズプロレスリングでスーパー・ササダンゴ・マシンとして新崎人生選手とシングルマッチを組んでもらって、新崎さんも…そういう。
    ――来年還暦ですよ。
    坂井 ですよね。それは里村(明衣子)さんに組んでいただいたわけですけど、DDTからも里村さんからも試合にしろ仕事としてとらえるにしろ、年齢は言い訳にできないよって言われている感じがして。だから、このトシになって一番プロレスのことを考えているかもしないです。
    ――練習生時代から数えると現役と引退後で総計23年目というタイミングで一番考えていると。
    坂井 この段階で。ここ数年ですからね、やっと物心がついてきたのは。普通は二十代、三十代で大人になるんでしょうけど、自分はこの数年かなという気がしています。2020年にコロナになって、東京に来られなくなってテレビの仕事やプロレスの仕事ができなくなって、坂井精機を継いで社長になった時に一番いろいろと考えて。それはプロレスのありがたみであったり、芸能の仕事のありがたみであったり…それこそ金型もです。そういう仕事のありがたみと、人と一緒に仕事ができることがすごく幸せで。プロレスもテレビやラジオもエンタメで、工場で物を作る仕事っていうのもリモートではできない。人と密じゃないとできない仕事だっていうことに気づいて、初めてその時にちゃんと時間は限られたものだとか考え始めました。締切を守るとか、リハーサルまでにある程度台本を準備していくとか、そういうことが厄年ぐらいでわかってきたっていうね。
    ――引退前から思っていたのは、マッスル坂井もスーパー・ササダンゴ・マシンも同じ作品をもう一度やろうとはしないじゃないですか。手法は同じものを使っても、作品として同じになることがないままこの21年間やり続けているのが凄いと思うんです。カレーデスマッチにしても騒音防止デスマッチにしても、あれほど面白いことができたら成功体験としてもう一度やった方が無難だし、またそれは許される。「マッスル」も毎回中身を変えるからとてつもない生みの苦しみを味わったわけで。煽りパワポも同じ内容にしたことは今までない。それを、これほど長い間続けられているのは驚異的です。
    坂井 全部読み切りですね。
    ――読み切り専門作家。連載がないという。
    坂井 その点では、今のスケジュールだからっていうのもあるんでしょうね。巡業を回っていないから連続モノとしてやれない制限があるけど、でもそれが合っていた。
    ――マッスル坂井時代はほぼ試合に出ていて、それこそ地方巡業で6人タッグマッチなどに組み込まれると、オーソドックスに技の攻防だけやってマッスル坂井的なことはやらぬまま終わる試合はあったんですか。
    坂井 いや、毎回変なことをやっていました。考えずしてその日の試合を終えることはなかったです。
    ――はぁー…だとしたら、それが“土台”なんじゃないですか。
    坂井 そうかもしれない。いまだにディーノさんがそれをやっているのがおっかないですよね。その分、結果も出しているし評価もされている。
    ――絶対に何かをやらないと、自分自身の気が済まなかったんでしょうか。
    坂井 そうです。正直、強さは目指していなかったけど、面白いとか新しいというものに対するあこがれは誰よりもあったと思うので、とにかく面白いことを徹底する。プロレス業界だけじゃなく、バラエティー番組の芸人さんとかよりも面白いことをしなきゃいけないっていうのが自分の中にあったんですけど、今はそこまでじゃないのかもしれない。ちょっと変わっていて、自分がというより今さらDDTのプロレスがもっともっと評価されたら面白いのになって思っている。当時は、凄い個性の集まりがDDTであるべきだと思っていて、枠にとらわれなかったり、そういうのを壊したりするのが自分たちのアイデンティティーだと思っていたんですけど、ここまでくるとプロレスというジャンルや、枠の大切さがなんとなくわかってきたというか。プロレスというものを作り上げて残してきた人たちや、他のレスラーや団体に対しても敬意のようなものを持つようになった気がします。だから、ここからはちゃんとプロレスラーとしての何かを…あとはもう残り時間ですから。
  • 鈴木みのるさんに対しては
    凄い人を間近で見たい気持ち

    ――そのタイミングで鈴木みのる戦というのは、よかったんでしょうね。2007年5月4日「マッスルハウス4」のフィギュアスケートに出てもらうまで、接点はあったんですか。
    坂井 出てくださいとお願いした時が、ほぼ初対面でした。
    ――よくぞまったく別世界の人だったのに、そういう発想が浮かびましたよね。
    坂井 高木さんとNOSAWAさんから「鈴木さん、マッスルに出すのはどう?」って名前が出たんだと記憶しています。僕の発想じゃなかったんですけど、その前に鈴木さんとメカマミー戦を見て(2006年6月23日、後楽園。鈴木が水をかけてメカをショートさせ勝利)、この人凄い!と思ってはいたんです。でも、自分と絡むというのは考えられなかった。
    ――一般的な見方では、真逆の存在ですからね。
    坂井 でも、高木さんから名前が出た時に、真逆だからいいと思ったんです。それで当時、鈴木さんとGURENTAIをやっていたNOSAWAさんにつないでもらったんだ、確か。
    ――自分にとって大きな存在だと先ほど言われました。
    坂井 頭の作りが全然違うなと思います。僕より10歳上なのに発想が衰えない。闘う前にこんなことを言うのもアレですけど、色気もあるしレスラーとしてカッコいいと思います。
    ――そこはいたってすこぶる正統的な鈴木みのる評ですね。
    坂井 確かに、すいませんって言うぐらいに真正面からの評価なんですけど。試合にしても仕事にしても、凄い人を間近で見たいっていう気持ちがずっとあって。取材する時って、そうでしょ?
    ――はい、そうですね。
    坂井 それがインタビューを通してか、試合を通してかの違いだけであって、その凄い人を伝えるというのは同じだと思います。僕がプロレス業界に惹かれたきっかけもそうだし、僕はプロレスラーであってプロレスラーじゃないような存在だから、プロレスによってその凄さを表現している鈴木さんをお客さんに近いところで見ている。プロレスっていう特殊な世界に足を踏み入れてしまっている普通の人だから、それは変わらないですよね。その意味でも、鈴木みのる戦と新崎人生戦は楽しみなんです。
    ――15年前の引退試合では「おまえのすべてを受け止めてやる」と鈴木選手がスローモーションにも踏み込みました。
    坂井 これが同じ後楽園だったら、そういう可能性もあるんでしょうけど…今回って、ひがしんアリーナじゃないですか。大きな体育館の空間だと、違ってくると思うんです。だから、マッスルっぽい感じにはならないんじゃないかと。
    ――観客の全員が「マッスル」を見に来るような層ではないでしょうしね。
    坂井 ましてや、僕一人の考え通りになるとも思っていないし。相手は鈴木みのるですから。どういう考えで来るかっていうのは全然想像がつかないです。だから楽しみ。昔は怖かったけど。
    ――試合の勝敗はもちろんですが、それとは違う部分での勝負事にもなるでしょう。存在感であったり、頭だったり。
    坂井 普通なら、鈴木さんは翌日にMAOとのタイトルマッチ(DDT UNIVERSAL王座防衛戦)があるから、ノンタイトル戦の僕との試合に関しては気がいかないみたいなことも考えられるんだけど、こういう連戦は何百回と経験してきているだろうから、それが僕のアドバンテージにはならない。もっと長い積み重ねというか、歴史を見せればいいだろうとは考えているんですけどね。
    ――歴史を描けそうなんですか。
    坂井 事前に言ってしまったら、一発殴って終わらせにくるのが鈴木さんですから、描けないですね。でも、それはそれで。
    ――それはそれでじゃなく、そうならないように頑張ってください。それにしても、47歳になってもこうしてプロレスを続けられているのは、何ものにも代え難いですよね。
    坂井 本当ですよ。でも、2030年(10月6日にマッスルハウス11を開催予定)まであと5年を切っているわけですからね。そこがゴールだけど、ここから2、3年が大事だという気がしています。2026年、2027年をちゃんとやっていないと…気が抜けないですよね。そこが右肩上がりにならないといけないんで。
    ――一面対抗戦のような作品を生み出してしまったら、ハードルが上がる一方ですよ。ただ、手応えはつかんでいるんですよね。
    坂井 そうそう。だから、あとは私だけだと思っております。ここからは、自分のことを頑張るっていうタイミングがやっと来たかなと。自分のことと向き合えるようになったのが、やっと。こんなこと、あえて言うこともないんですけど、会社も自分の責任でやれる立場になって去年、親父が亡くなりましたけどある程度自分でいろいろ決められるようになって…忙しい中でやっとですよ、練習する時間をとれるようになった。
    ――この数年は練習する時間がないままリングへ上がっていたと。
    坂井 そうなんです。やりながら、これってまずいよなと思いながら時間がとれないという。それが今は、絶対に週何回かトレーニングをするようになって、それも自分で勝手にやるんじゃなく新潟で最高な環境を準備して、新潟で一番いいトレーナーを見つけて…めっちゃ金かけてやっています。
    ――マッスル坂井がいいトレーナーをつけたというのは大事件ですよ。ただ、今のところまったくリング上に反映されていないのでは。
    坂井 まだ始めて4ヵ月ですから。そう簡単には出しませんよ。いや、一生出ないですよ。本来だったら、ケガをしたり欠場したりしてダメになっているんです。
    ――ああ、コンディション的にはとっくに終わっていると。
    坂井 ええ。一面対抗戦だって何試合、何分やったと思っているんですか。
    ――プロレスラーとして生きながらえるために最高のトレーナーをつけている。
    坂井 そういうことです。続いていることが、成果なんです。
    ――だとしたら、今回はとてもアスリート的なアプローチで臨むことになりますね、鈴木選手に対し。
    坂井 そうですよ。でも、そこはプロじゃないとわからない部分だろうなあ。
    ――我々のような素人には伝わらないところでのオハナシ。あと、ディーノvs棚橋戦と横一列で見られるでしょうね。
    坂井 一面対抗戦があって、DDTのファンも選手たちもみんなが棚橋さんを温かく迎える中で、棚橋さんやディーノに対しておまえらにはおいしいところを持っていかせないよと一番なるのが鈴木さんでしょう。だから、そこに関しては(自分)一人じゃないんだって思えますよね。
    ――間接的な鈴木&坂井vs棚橋&ディーノ。
    坂井 その意味で目指す方向は鈴木さんと一致している。おそらく向こうは、棚橋さんの引退というものがあるから一つの物語の終わりなんですよね。でもこっちは、これからだからまったく違うものを描かないといけないって思っています。まさかの、47歳と57歳のおじさんたちが未来を描く場というね。

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