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【男色ディーノの内なる27年物語】棚橋弘至を相手にテイク・アンド・テイクできると思っているわ

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  • 2日間にわたる今年の「WRESTLE PETER PAN」において、業界規模で断トツの注目度を誇るのは2日目の8・31後楽園ホールでおこなわれる男色ディーノvs棚橋弘至だろう。片やドインディー出身のイロモノレスラー、片や業界最大手・新日本プロレスのエースとしてプロレス界をけん引し続けてきた男と、あまりに対照的な道を歩んできた者同士だからこその、あり得ないシングルマッチ。棚橋が来年の“イッテンヨン”東京ドームで引退することが決まっているタイミングで実現したことを、ディーノはどうとらえているのか。話は、両者共通の“源流”に関することから始まった。(聞き手・鈴木健.txt)

    立命館に対する嫉妬の象徴が棚橋。
    同じ世界に入ったとは1ミリも思えず

    ――棚橋戦が決まったのを受けてのnoteを拝見しました。やはりこれは学生プロレス時代までさかのぼる物語なんですね。
    ディーノ そこからでしか語れないお話ですよ。あの時代って、立命館大学のプロレス研究会の最盛期だったのよ。交流的なものは何もなくて、はた目から見る感じで見にいったことがあったんだけど、まあ凄かった。私たち大阪学院大学のプロレス研究会は硬軟入り混じっているって言えばいいのかな。それに対し立命は、ちゃんとプロレスをやっていた。具体的に言ったら、こっちはマットにビールケースのレベル対して向こうはリングがあったの。それだけでも見栄えが違う。あとは学校の規模と立地条件も関係してくるんだけど、立命の方が圧倒的に人を集めていた。そのためのスペースがあるいい条件のところでやっていたしね。それを見た時、悔しくなったのよね。
    ――言うなれば、メジャー感を見せつけられたインディーのような。
    ディーノ そうそう! 同じ条件でやれたら、こっちの方が人を集められるし内容的にも勝るものができるのに…って思うんだけど、冷静に考えたら言ったところでどうにもならないのがわかっていた。ただ若かったから、遠巻きに見るリングの中に自分がいればという思いはどうしてもあったのね。これはもう完全に嫉妬ですよ、立命館に対する。その時期に、象徴的な存在だったのが棚橋弘至という。
    ――その見にいった時、ターナー・ザ・インサート(棚橋の学プロ時代のリングネーム)の試合は見ていたんですか。
    ディーノ 一人ひとりの選手までは憶えていないんだけど、学プロって4年生は就職活動に入るから3年生が中心になるので、見にいったのが2年生の時だから(棚橋は)3年生だったはずなのよ(1997年頃)。だから出ていても不思議じゃない。その記憶とVHSで見たのがごっちゃになっているかもしれないけど。
    ――学プロなのにビデオが出回っているわけですか。
    ディーノ むしろその頃がビデオ全盛期よ。偶然、私の一個下の代から立命と交流するようになって、お互いの情報交換ツールとしてよく使われていたのがビデオだったという。
    ――それまでは意外と学校同士の交流がなかったんですね。関東の大学はUWF(関東学生プロレス連盟)やSWS学生プロレスのように横のつながりが盛んですが、関西はそうではなかった?
    ディーノ そこは単純に、自前でなんとかなっていたから。立命館と同志社は同じ京都でという感じだったんだろうけど、大阪は大阪でどこかと協力して一緒にやるという文化がなかった。中でもウチは新興団体的なところがあったし。
    ――ということは、学生の時点では対棚橋弘至というよりも、対立命館になるわけですね。
    ディーノ そうね。ただ、その中でもモノが違うっていうのはいろいろ話を聞くうちに思っていて。学プロをやっている人間の中で「プロを目指している」なんて口にする人間はいなかったのよ。そういう視点で誰もやっていないわけだから。ましてや「学プロ上がりなんて…」と思われる時代ですよ。そういう環境の中で、プロを目指してアマレスをやりながら学プロもやって、在学中に新日本プロレスを受けて合格したけど、卒業はしろと言われてもう一度受けるという情報が漏れ伝わってくるわけです。
    ――大学を出たあとは、棚橋選手の方は本当にプロの世界へ入ったわけですから、追う対象とはならなかったんですよね。
    ディーノ そりゃそうよね。私はプロになるなんて微塵も思わなかったから。下の世代が交流を始めた時点で、立命館に対するグヌヌ…という気持ちがぼやけたところもあったし。ただ、注目…っていうと言いすぎかもしれないけど、気になる存在ではありました。それで、私もCMAというところでプロレスラーとしてデビューしたわけだけど、それによって同じ世界になったなんて1ミリも思わなくて。向こうは新日本プロレスでこっちは月に一度試合があるかないかだから、そもそもプロレスラーの自覚がないのよ。
    ――1ミリも思っていなかったのが、今回一騎打ちで邂逅すると。はー…。
    ディーノ 1ミリもなかったのが6メートル四方のサイズになったのよ。嫉妬心から1対1でやってみたいとずっと思い続けていたけど、ゼロから1ミリにさえならない状態が何年も続いた。新日本とドインディーなんて別世界でしかなかったから。たまたまサムライTVで透明人間(ミステロン)との試合映像が流されて、男色ディーノというイロモノプロレスラーがいるというのが知られるようになっても向こうは知らなかったでしょうし、私自身がプロなんてピンと来なかったし。
    ――それが「もしかすると脈があるかも」となったのは、どの段階だったんでしょう。
    ディーノ SUPER J-CUP(2010年12月22&23日、後楽園ホール)に出場した時かな…いや、あれも違うんだよな。あれはジュニアの枠だったから、ヘビー級の棚橋弘至は別軸で考えていたんだ。新日本のリングに上がったと言っても、これでいつか届くかもとは思えなくて。ただ…あー、どうだろう、何ミリかはあったのかな。あのね、たぶん今じゃないって思っていた時期なのよ。今組まれても、逆に困るという考えで。飯伏(幸太)やケニー(オメガ)が出るようになった流れでこっちに来られても、準備ができていないっていうのがあって。
    ――準備?
    ディーノ 新日本と交流できるようになったのは、DDTがそこまで頑張ってきたからだというのはあったんだけど、私の中にはただ出るのではなくもっと勝負できるはずっていう思いがあったの。あの頃って、DDTが新日本の選手とやってもチャレンジマッチ的にみられていたじゃない。だからこそ、それを崩した飯伏とケニーは凄いんだけど、そういう受け取られ方とは違うシチュエーションでDDTは勝負できる。そのための準備をしていない段階で口にしたら今、組まれてしまう可能性があると思って、私は一切棚橋戦を言わないようにしたのね。
    ――学生時代から追い続けてきたものが実現する目ができながら、そこでよく飛びつかなかったと思います。
    ディーノ あの時期が一番危なかったわ。まあ黙りましたよ、私は。匂わせもしなかったし、感づかれることもなかった。そうは言うても、もしも組まれたら…って考える自分もいたんですけどね。本当に棚橋とやるかと言われたら、うんって言っちゃったかもしれない。でも、逆に向こうはうんと言わないだろうなというのもあって。結果的に、山本小鉄さんという別の話題(J-CUPでディーノのスタイルに激怒)に目が集まったからよかったんだけど。
    ――自分が口にしない一方で飯伏選手や竹下幸之介選手は棚橋戦を実現させていくわけですよね。それは羨ましく映らなかったんですか。
    ディーノ それはあまり思わなかったわ。というのも、例の横一列発言ね。あれ、私も別の意味でまったく同じことを思っていたの。飯伏が通用するからって、DDTそのものが新日本のやり方に乗っかるのは違うぞって、当時から思っていた。同じ土俵に乗るんじゃなくて、こっちはこっちでちゃんと独自のことをやらないと、同じことをやっていたら飲み込まれてきた歴史があるでしょって。だから、あれは棚橋弘至が口にする前から私の中にあった見方だったのよ。でも、あの頃はDDTがいい時期だったからそこに水を差すのもどうかってなるじゃない。それでも軸としては持っておかないといけないところだから。そうね、軸足をどこに置くかという話よね。
  • 男色ディーノを引いた棚橋弘至に
    私がどう届いたのかを確認したい

    ――その上であの時、HARASHIMA選手のために動いたんですね。
    ディーノ うん、それはやっぱり表に出したからには動かなきゃいけないことって出てくるから。そう、あの時が一番“ニア”だったの。私が、やってもいいと思える流れになった。ポンと組まれるのではなく、ちゃんとした流れが生じたじゃない。
    ――#大家帝国興行でHARASHIMA&大家健vs棚橋弘至&小松洋平が組まれましたが、そこはHARASHIMA&ディーノでいこうと思えばいけたんですよね。
    ディーノ 可能性はありました。ただ、あの時点で私はこういうタイプだし、新日本に警戒されているだろうと思って。それまでやり続けてきたことが仇になるというね。でもそこはしょうがないだろうって、一番近づいた瞬間ではあったから悔しいんだけど、飲み込めたのよね。逆に今までやってきたことが間違いではなかったんだって、割り切れないところはもちろんあるんだけど、おおむね納得しました。同時に、ここで実現しなかったということはこれ以上の波は今後来ないだろうなと思って、諦めに近い部分があったわね。
    ――その心理状態も、一切口にしてこなかったです。
    ディーノ でも、その状態が気持ち悪くなり出したのが、棚橋弘至が社長になるという時。そのタイミングで、今まで言ってこなかった自分が気持ち悪く感じたのね。社長になるのって、昨日今日考えてやることでじゃないでしょう。おそらく、少なくともこの数年間はそこに向けて積み重ねてきたはずなのよ。その上で表に出して、形にしていく。もう、どんどん私の先をいき続けているって思って。プロになった時も、お互いにある程度団体を背負う立場になってからも、さらに別のベクトルで引っ張ろうとする時も。それはちょっと、出さないのは卑怯だよなっていう思いが自分の中で湧いてきたの。それは棚橋…さんがどうっていうことではなく、出さなければ失敗(実現しないままに終わる)ということも気づかれない。それが気持ち悪くなった。思っているけど言わない方が正解だということの方が、人生では多いと思うの。だけど、ちょっと特殊な世界で生きさせてもらっていて、自分の思いをお金に換えているのにそんな大事なことを言わずそのまま消滅させるのは嫌だなって。もしかすると、社長になる前より感じていたことが、そのタイミングでポンポン出るようになったのかもしれないけど、あそこでスキあらば言うようにしていこうと思って、私の内面をしたためているnoteに有料で書いたら、それを坂井が見ていたのか。
    ――あのテキストを読んでいた人は気づいていたかもしれない。
    ディーノ でも、私にとってのnoteの位置づけは、それを見ていないと楽しめないというものには絶対したくなくて。あくまで私の下駄を履かせるだけの話で、見せるものは自分の全身だから。それでも坂井からああやって提示された時は、どんな理由であろうともこれは逃さないようにしようという気持ちになりました。これはやる前に言っちゃダメなことかもしれないけど、多少ケガしようが黙って試合に出ようという思いね。この前、地震の影響で津波が来るってなったでしょ。何か一つ天変地異があったら、このカードは吹っ飛ぶんだなって思ってゾッとしたのよ。大きな地震もそうだし、流行り病のようなものもあり得るわけで、私たちって運と無関係ではないんだなって。そこまで考えると、逆にしょうもないことでこの試合が飛んだとしても、あー、こういうふうになるんだって納得しちゃうんだろうなって。それぐらいに思い込んでいる。
    ――夜道や信号に気をつけてください。発表された時は、それまでの流れやきっかけのようなものがなく、組み合わせの妙や新鮮味でドッカーン!と来たカードですが、少なくとも男色サイドには長きにわたる伏線があったことがわかりました。
    ディーノ そういうのって珍しいかもしれないわよね。なんの種まきもしなかったわけだから。でもそれが、私にとっての自信になっているというか。表面的にはポンと唐突に決まったカードでありながら、発表から2日でソールドアウトになったのよ。その時点で、やってきたことが間違いじゃなかったことが保証されるじゃない。個人的にも、棚橋戦が発表されるや今までのどんなタイトルマッチよりも問い合わせが来て。それこそ学プロ時代の立命館の後輩が「チケット押さえました! 男色ディーノを応援します」って。いやいや、そこは棚橋弘至を応援しろよ!って思ったんだけど。だから、あの時ではなくて、あの時でもなくて、今だったんだなって改めて思う。確かに最後の方で滑り込んだという気持ちは強いけど、どんな経緯であろうともこのカードが決まったことは逃しちゃダメだって。
    ――棚橋選手とは、面識はあるんですか。
    ディーノ #大家帝国興行の時に控室で挨拶はしました。
    ――そうですか。おそらく棚橋選手は、昨年開催された「DESPE-invitacional」で男色ディーノがなんたるかを見ていると思われます。
    ディーノ これは試合自体のテーマになると思うんだけど、自分がどう棚橋弘至に届いているのかがつかめていないのよ。
    ――これといった発言をしていないですからね。
    ディーノ だからこそ、あくまで現時点での暫定的な考えであって当日になって変わるかもしれないんだけど、学プロ時代に見上げていた存在であり、プロになっても見上げ続けた存在に私自身がどう届いたのか、またようやく同じリングに立って目線が揃った時にどう届くかをテーマに闘おうと思っています。
    ――確認するための試合。
    ディーノ そうね。客観的に見たら届いているって言ってくれる人もいるかもしれないけど、これは私自身の実感の問題だから。
    ――それを得られるかどうかは、試合の勝敗とは別次元の勝負ですよね。
    ディーノ もちろん。それに対するアンサーがほしいわけじゃないんだけど、私がやってきたことにどう向き合ってくれるのかっていうのは、一つのポイントかなと思っていて。
    ――そうなると、答えを出すのは自分自身ですね。
    ディーノ そう。自分で答えを出すために、棚橋弘至の答えを聞く。それをどう採り入れるかはなってみないとわからないけど、この試合は始まる前から終了のゴングのあとにその日エゴサするまでが自分の闘いなんだって思っています。自分の歴史の物語、人生の物語。
    ――それがキャリア23年、48歳というわりと後期のタイミングで訪れるという。
    ディーノ それも人生よね。本当に好きなやりたいことが自分のMAXにできるわけではないっていうね。多少のズレがあるものだけど、やれる時にやらないといつの間にかなくなっていることもあるんで、ある意味ギリ間に合ったって思うわ。
    ――棚橋選手の引退4ヵ月前ですからね。
    ディーノ 引退ロードの対戦できる選手たちが限られている中で、男色ディーノが入るって…私も引いたわ。引いたというか、棚橋弘至に引かせた。このカードの中でどれがいいですかとなった時、私というカードを引いたわけだから。でも、引くだけの何かが棚橋弘至の中になかったらそうはならないわけで。
    ――少なくともスーパー・ササダンゴ・マシンが組んで、拒否しようと思えばできたはずなのに受けたことになります。
    ディーノ 拒絶しないことで間に合った。だけど私は引退するわけではないし、続けるつもりでいる人間として自分の物語の答え合わせを…いや、答え合わせでもないんだよな。不思議な感覚よね。きっかけは若かりし頃からのものではあるけど、答え合わせとは違う。表現、難しいわ。
  • テーマが満たされた時点で完了してしまう。
    そうならないよう私を修正してほしい

    ――MEN’Sテイオー選手と邂逅した時とも違う向き合い方ですよね。
    ディーノ ああ、あれはもうただただ緊張ですよ、上過ぎて。大塚さん(テイオー)に届いたかどうかなんて考えなかったし、むしろ大塚さんを怒らせるような試合をやらないとダメだと思っていたから。それに対して棚橋弘至は1つしか違わないから同じ世代の見上げていた人にどう届くのか。一つ言えるのは、後ろ向きの試合じゃないんですよ。ちゃんと前向きの試合。
    ――過去にとらわれた試合ではないと。
    ディーノ 向こうは引退に向けた作業の一つかもしれないけど、私にはまだ未来があって、先にいくために一回ギュッとまとめたものをぶつける場だと思っているから後ろ向きじゃない。だから、これが終わったあとにやりきったとはならないと思っている。違うものを生み出すための試合かな。私を応援してくれる人たちが、どのタイミングから見始めているかはそれぞれなんだけど、私と同じ期間見ているのって私だけなのね。だから今回は申し訳ないんだけど、自分のために闘わなきゃいけない試合なの。もちろんみんなの応援は必須だしプロレスはある種、お客さんのために闘うところもあるんだけど、この試合に関しては自分のために闘う部分が高いレベルで存在している。
    ――それでいいんだと思います。
    ディーノ そこに優劣はないし、応援がなければ立ち上がれない弱い自分もいる。でも、自分で孤独に闘わないといけないところも共存する恐ろしい試合なのよ。
    ――試合の性質からしてまず、男色ディーノが棚橋弘至に対し何をやるかというポイントが見る側の前提にあると思われます。
    ディーノ 確かに、棚橋弘至が何をやるかというのはそのあとに来ることよね。それを見るまでは、向こうのスタンスはわからないから。それこそ、単純に「ラクな相手だから」という受け取り方でOKした可能性もあるじゃない。だから、先に何かをやる側としてはいろんなパターンを想定して臨まないといけない。
    ――実際に「ラクそうだから」の姿勢で来られたら?
    ディーノ ラクな中でラクさせないやり方でいくわ。それは私の中に用意するパターンの中にあります。もちろんその中には、自分が一番やりたいパターンもあるんだけど、基本的には逸材さんのスタンスを受け止めるつもりでいるわ。私の重すぎる思いをぶつけるつもりではいるけど、それだとフェアじゃないから逸材のモノも受け止めるつもりよ。
    ――バリバリの新日本スタイルでこられた場合は?
    ディーノ それはそれで、バリバリのDDTをぶつければいい。むしろその方が難しくない。ストロングスタイルと横一列ではないっていうことをちゃんとわからせないといけないのよ。
    ――素朴な受け取り方になりますが、新日本プロレスのストロングスタイルに対し、いつもの男色ディーノは出せるものなのでしょうか。
    ディーノ 出せると思うし、出さなきゃいけないと思う。可能不可能で言ったら私次第だから、可能にしないといけないというのが前提。こっちはそれでやってきたんだから。そこはどんな展開になっても貫き通さなければならないところよね。
    ――これはあまり使いたくない言い回しなんですが、よく相手のスタイルに“付き合う”って言うじゃないですか。付き合わない棚橋弘至に出せるかという…。
    ディーノ 確かに“付き合う”という言い方をすると語弊があるんだけど、そこは突き合わせられるかどうかの闘いでもあるから。それぐらいトータル戦なのよ。単純な戦力じゃない勝負だし、自分の考える展開に持っていくのだって力量だし。結局のところ、見る人が何を思うかも含めての勝負なんで。棚橋弘至も自分の描く方に持ち込む力量を持つプロレスラーよね。だから、その点に関してはウィン・ウィンにしてやるわ。持っていくのはかまわない。でも、こっちも持っていくから。それはできると思っているわ。ギブ・アンド・テイクではなく、テイク・アンド・テイクできると思っている。
    ――持っていっていいんですね。
    ディーノ どうぞ、持っていってください。私も持っていきますから。
    ――一つの例として、デスペラード選手であれば男色ディーノに対するリスペクトがあるのでテイク・アンド・テイクになると思われますが、棚橋選手がそうなるとは限りません。
    ディーノ それでもウィン・ウィンにしないとダメだと思っている。その勝負なのよ。そこに対しの積み上げはしてきたつもりなんで。幸いなことというか今、棚橋弘至はG1 CLIMAXに出ていて私のことを考えている余裕がないはずよ。その間、私は圧倒的に考える時間を得られているから、その勝負においての勝機はあると思っているわ。
    ――その上での、試合における勝敗ですよね。
    ディーノ そこで怖いのは…負けてもいいやって思う自分が怖い。それが試合中に訪れないとも限らない。だからその部分は、応援してくれる人に申し訳ないけど委ねたい。負けるな!って応援してくれれば、そうだよなって思えるんで。私は弱いから、負けてもいいやって思いがちなのよ。でも、それを修正してほしい。
    ――自分の中のテーマが満たされた時点で完了してしまうということですよね。
    ディーノ そう。絶対にそれじゃないのよ。だからまさに自分との闘いであって、ましてや最後の最後でかなって、おそらく最初で最後だからこそ勝たないとダメなのよ。これね、今こうして話に出てよかったわ。それによって強く意識づけることができた。
    ――この一戦に対し、DDTvs新日本という意識は向いていますか。
    ディーノ そう見る人は見てもらってかまわないわ。だた、私個人としてはないです。もちろん、ずっと見上げてきた棚橋弘至が日本のプロレス業界を背負ってきた人間というのはあるけど、それはあくまでもあとから付随してくるものだから。
    ――立場上は、両団体のアイコン同士…アイコン・バーサス・アイコンになります。
    ディーノ 私自身はそう言っていないから、そういう見方をしてもらえるのはありがたいけど…一面対抗戦を見た時、新日本が凄いっていうことになんとなく気づいてしまったのね。あれで、別の価値をもう一度作り直さないといけないなと思いつつ、DDTがやっていることの全部を新日本プロレスができないと思う自分もいて。
    ――それにしても、学プロからプロの世界に入り業界のメインストリームではない道を歩んできた人間がここまで来たことに対し、客観的にどう思われますか。
    ディーノ 「おまえの人生、おもろいな。続けてよかったね」って言うと思うわ。私はおもろい人生を送るためにプロレスをやっているんで、その意味では「おまえ、まあまあ頑張ってきたんだな」って。頑張ってきたって言ったら陳腐になるから、続けてきたかな。思い続けてきた報酬なのかなあ、これって。
    ――ざっくり言うと、新日本プロレスの道場で鍛えずとも棚橋弘至との一騎打ちを実現させられるという事例になります。
    ディーノ 血尿出るまで練習させられるというのでなくてもできる方法っていうのかな。そういう抜け道を選択し続けてきたんだろうね。
    ――それも嗅覚です。
    ディーノ 昔は、ある一定のことをやり続けてきてそれに耐えたらという話だったじゃない。それが凄いことであるのは重々承知なんだけど、たどり着くためには実は道がいくつもあるという時代になったんだと思うの。でも道がいっぱいある分、たどり着けない道もさらにいっぱいある。だから、昔より単純じゃないのよ。今の時代は、的確に選ぶ能力がないとダメなんだろうなって。
    ――ところで、棚橋選手と対戦することはハクには話したんですか。
    ディーノ これはね、ハクに申し訳ないぐらい話しています。でも、家に戻ってからだからだいたい寝ている時に話しかけるので、反応は薄いわ。「やるのはいいけど、疲れるからあっしを連れていかないでよ」って、乗り気じゃないわね。あとは「あっしにご飯をやれるぐらいの元気な状態で帰ってきて」だと。
    ――27年に及ぶ物語なんぞ、ハクにとってはどーでもいいと。
    ディーノ でも、それはおっしゃる通りなのよ。世の中的には今日の飯が食えるかどうかの方が大事なんだから。無茶するのは話が違うんで、ちゃんとギブアップすべきところはする勇気を持って臨むわ。これはマジな話でプロレスラーの標準装備にしなければいけないことだから、そこはどれほど思い入れを持つ試合だとしてもブラせちゃダメ。ハクさんは正しいんです。

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