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【インタビュー】平田一喜、KO-D無差別級王者としてのマインド「うまくいかない姿をさらけ出すことでこういう着地点もあるんだと見せられた」

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  • 8・31後楽園ホールで“いつでもどこでも挑戦権”を行使し、樋口和貞を破り新王者になったばかりの上野勇希からKO-D無差別級王座を奪取した平田一喜。DDTならではのドラマティックな戴冠劇に誰もが驚き、強さとは真逆のポジションを全うし続けてきた男の快挙を祝福した…のだが、本人が一番の戸惑いをあらわにし、現在も変わらぬ平田一喜のままなんとか防衛ロードを歩んでいる。そんな中、9・28後楽園では自ら指名したヨシヒコを相手に2度目の防衛戦をおこなう。後楽園のメイン、最高峰のタイトルマッチ、相手はヨシヒコ…これらの状況で、平田はどのようなマインドを持って臨むのか。今までの足跡やプロレス観などについてもじっくりと聞いてみた。(聞き手・鈴木健.txt)

    何かの一番になりたいというよりは、
    ずっと需要があるように生き続ける

    ――平田選手はKO-D無差別級王座を奪取した時点で「まさか獲れるとは思っていなかった」と言っていましたが、プロレスラーになった時点ではいつの日か自分が団体最高峰のタイトルを獲りたいという夢は抱いていなかったのですか。
    平田 うーん、入りたての頃は漠然とベルトという目標はあったんだと思います。でも、キャリアを積んでいくに連れて、今の自分にできることはなんだろうと考える中でベルト以外の選択肢が増えてきたというか。KO-D無差別級っていうのは、本当に強さの象徴じゃないですか。僕が思う魅力的な方でいったらEXTREMEだっていうのがありましたね。自分でルールを決めるとか、ほかには出せない色で闘えるという点で。
    ――どこかの段階で、自分は強さを追求するタイプではないという気づきのようなものがあったんでしょうか。
    平田 そういう受け取り方ではなく、もともと僕はいろいろやりたいタイプなんで、その中の選択肢で自分が見せられるもの、自分を表現できるものっていうのは、強さを追求した先にあるものでないなという受け取り方でした。
    ――団体の一番とは違う価値観?
    平田 ああ、1番だとか順位ではなく平田がいなかったら寂しいなと思われるような存在にはなりたいと思いました。
    ――なんらかの形で自分の存在感がちゃんとあればいいと。
    平田 そうですね。まさに存在感がある人間でありたいというのはありました。
    ――そこに関しては、すでに確立されているのではないですか。
    平田 確かに、EXTREMEを獲った時は目指した道を進んでいった結果、達成した証に思えました。でも、それ以上のものが待っているとは思わなかったので…本当にKO-D無差別級っていうのは、自分がそうやって生きてきた世界線にはなかったですからビックリしつつ、荷が重いなと思いつつでありまして。どうしたものかなあっていう感情がまず芽生えましたよね。
    ――王座奪取から1ヵ月近く経った今は?
    平田 今もしっかりと荷が重いです。ただこんな形でも獲ったからには、強さでは絶対に樋口や上野のようなものは見せられないんで、平田のKO-D無差別級を見せなきゃとは思います。一応の責任感と申しますか。
    ――一応の。ただ、先ほども申した通り平田一喜の価値観はDDTのファンに認知も評価もされているわけですから、重荷を感じることなく今まで通りやればいいのではと思うのですが。
    平田 いやいや、こんなキラキラした団体のトップのベルトですから。責任もありつつ、とはいえ平田は平田のことしかできないので、やることは変わらないかなとは思います。
    ――急激に強くなるようなことは1ミリもないと言っていました。
    平田 これは自信を持って断言できます。100%ないと。その中で自分がKO-D無差別級タイトルマッチで何を見せられるかを考えた時に、ヨシヒコ戦へつながるんですけど。自分でぶちあげたかぎりは負けるわけにはいかなくなった。強くはならないけれど、しっかりベルトを守ってヨシヒコ戦までたどり着かなければというプラスアルファはあったと思います。
    ――自分から口に出すことでベルトを守る理由づけをこしらえたと。
    平田 強くなっていないのに、負けてはならないという意識はちゃんとある。ベルトが懸かっていない時は負けていいっていうわけじゃないけど、僕なんでタッグマッチや6人タッグとかでちゃんと狙われるじゃないですか。
    ――そこは獲る前とビタ一文変わっていません。
    平田 そこで全力を出して負けちゃったらしょうがない。でもベルトが懸かったら、しょうがないでは済まない。その中で、今まで回避してきたいつどこ権を使ったタイトルマッチが実現してしまって。
    ――5・21札幌で彰人選手を相手に防衛しました。
    平田 あの試合で、ここは死んでも負けちゃいけない!って思えた自分にビックリしたんです。
    ――ベルトを持つことで今までの自分とは違う自分が芽生えてきたことになります。
    平田 3日前の新宿でヨシヒコ戦をぶちあげなかったら、彰人さんのアキレス腱固めでギブアップしていた可能性が高いです。なので、強くはなっていないけど何かしらのプラスにはなっているのではと。まあ、僕の緊張度でいったら胃の調子的にはマイナスですが。もともと緊張しいだし、さらにはベルトを持っているばかりにいつどこ権を持っている人たちにいつ狙われるかもわからないんで。
    ――それは枕を高くして寝られないでしょうね。その緊張感は、大舞台で高橋ヒロム選手と対戦した時とは別のものですか。
    平田 まったく違います。ヒロムさんとの試合ももちろん緊張しましたけど、いつどこは常に、ですから。一応、ヨシヒコ戦にはたどり着けそうなんですけど、実はあそこでヨシヒコ戦をぶちあげたのは、その前に僕からベルトを獲ったら後楽園のメインでヨシヒコとタイトルマッチをやらなければならないんだぞというけん制にもなっていたんです。
    ――ああ、なるほど! それは狙ってやったんですか。
    平田 いえ、僕はまったく頭が回っていなかったんですけど、ファンに言われて気づきました。ああ、結果的にそうなってんじゃんって。平田一喜からベルトを獲るのは簡単だと思っているかもしれない。でも、その先にはヨシヒコ戦で後楽園のメインを締めなければならないという重荷を背負うことになるぞっていう。だから、ヨシヒコの名前を出したのがいい方向にいったと思っております。
    ――チャンピオンになってメディアの取材も増えたと思われますが、周囲の自分に対する扱いが変わったことに関してはどんな実感を得られていますか。
    平田 本当に、この前も週刊プロレスさんのインタビューを受けたんですけど、今までほぼほぼなかったですからね…あ、EXTREMEを持っていた時やヒロムさんとの試合前はちょこちょこありましたけど、団体最高峰のベルトを持つと、こういう仕事も回ってくるんだなと。来ていただいたらいただいたでありがたいですけど、来なかったら来なかったで別に平田は平田なんでというところで、はい。
    ――専門誌の表紙になりたいとか、たくさんページに載りたいとか、一般メディアに露出したいといった願望は持っていなかったんですか。
    平田 大きく載った時は、それはやっぱり嬉しいですけど、何がなんでも毎回大きく載りたいというよりは、自分が毎回全力出してやっている部分で、結果的に載っていたら嬉しいなという感覚ですね。平田が平田を平田して、それで載っていなかったら、それはそれでしょうがないぐらいの。
    ――そういったものに対する欲も薄ければ、タイトル願望も薄い平田選手が、プロレスを続ける上で何をモチベーションとしているのかというのは、以前から気にはなっていたんです。
    平田 そこは何かの達成を求めるよりも、日々の中でちゃんと頑張ることが何かにつながるのであればいいことですし、プロレスを続ける続けたくないで言ったら絶対に続けたいですし。だから何かの一番になりたいというよりは、僕の野望はずっと需要があり続けたいということです。もちろん年をとるにつれて動きも悪くなっていく中で、もしかするとスタイルが変わるかもしれない。そういう中でも長く続けていって、何歳になっても平田一喜っていう…ブランドと言ったらアレですけど、平田一喜という存在にちゃんと需要があるように生き続けるのが僕の闘いであって、目標かなというところです。
    ――需要が続くにはそれなりのことをずっとやり続けなければならないじゃないですか。そのつどそのつど目の前のことに対し深掘りし続けてきたんですか。
    平田 自分としては特に深く考えている気がしないなと思いつつも、実際はそうだった部分はあるでしょうね。試合一つをとっても空気感を読んで、こうして闘おう、ここを盛り上げようっていうのもありますし。それを目に見えてわかるように出したのがDDT EXTREMEの防衛戦であり、その最上級が両国でのヒロムさんとのシングルマッチでありで。もちろん、何か物を使ったり特殊ルールだったりしなくても、普通の試合の中でしっかり考える部分もあるし、存在感で負けたくないというのはあるんで。でも、強い弱いに関してはしょうがないじゃないすか。だから、それはそれとして勝っても負けても存在感はしっかり残して、一つの興行にいい試合とか面白かった試合がある中でトップスリーぐらいには入りたいと常に思いながら試合しているところは…あるんですかねえ。
    ――それほど明確に言葉として出せているんですから、あるでしょう。その積み重ねが、現在の支持につながっているのだと思います。
    平田 ありがたいことに、KO-D無差別級のベルトを獲った時にすごい「ヒラタ」コールだったり、泣いてくれるファンがいてくれたりで。あそこは、一歩間違えたら大ヒールになる獲り方をしたわけじゃないですか。
  • 踊るキャラが定着していなかった頃
    客席が「えー…」となっていけると思った

    ――あの日は男色ディーノvs棚橋弘至戦がとてもエモーショナルなものになって、そのあとにKO-D無差別級タイトルマッチらしい試合を樋口選手と上野選手が見せた。でも、それをあの日のMAXにさせなかったのが凄いと思ったんです。
    平田 あのあとに出ていった心境を考えてみてください。もうね、緊張といった概念を超えたヤバさしかなかったです。僕、樋口vs上野戦が見られなかったですもん。あのあと、WRESTLE UNIVERSEでも見ちゃうと嗚咽しそうになるので見ていないです。
    ――試合を見ずして挑戦するために出ていったんですか。
    平田 とてつもない試合になるのはわかっていたし、それでも試合が終わったあとに勝者のダメージを見て「これなら自分が全力でいけば最低限のラインで叩き潰させてもらえるし、いつどこ権もめでたく成仏できるし、まあ平田ファンも長く持っちゃっていた分、納得してくれるだろうし」と思って出たんです。
    ――叩き潰させてもらえるというのも、独特の言い回しですね。
    平田 だから、見たのは最後のマイクあたりからで。これなら僕がとてつもなくひどい目に遭わせられることなく終われて、でも全力で闘えて、やられると。それぐらいかなと踏んでいったら、あのようなことになってしまって。
    ――でも、あの場でそうした状況判断ができたことも勝因ですよ。
    平田 15年間、ビビるべきところはちゃんとビビって、慎重にやってきたからこその結果かもしれないです。ビビることが必要な時っていうのもありますから。勢いだけで物事を進めるというより、ちゃんといろいろ考える大人にもなってきましたので。若手の頃は、与えられた目の前にあるものに対しガムシャラに何も考えず、ただただ向かっていく感じでしたけど、キャリアを積むにつれて…大きかったのは欠場明けにT2ひ~へ半強制的に入れられたことでした。あそこからどんどん今の平田に育っていった気がします。なんて言うか、真っ当な道から斜め右ぐらいにぐにょぐにょぐにょ~って進んでいった。
    ――斜め右に進んでよかったんですね。
    平田 はい、よかったと思います。あそこがなければ、ただのその他一レスラーみたいなものに終わっていたと思うんですよ。強くもなく、そこまで何も残せず、ただただやってただただ終わっていくみたいなことになっていたでしょう。斜め右ぐらいにぐにゃぐにゃ育ったからこそ、ここでこうしなきゃとかこういう時はこうしようとか自分で考えました。基本、髙木さんと大鷲さんと組んだ時は僕がひたすら出されてやられて、ちょっと2人が出てまた最後も放り出されて、だいたいボコボコにやられるんですよ。そのボコボコにされている間、せめて何か爪痕を残そうとか、ひたすらボコボコにされて負けるだけじゃなく、何でお客さんに印象を残せるかのマインドが養われていったんだと思います。
    ――ひどい目に遭わされながらそういうことに頭が働くものなんですか。
    平田 それがなかったら、本当にただただボコボコにされるだけの人間でしたからね。
    ――T2ひ~に限らず、平田選手のプロレスラーとしてのキャリアはほとんどが強制的に何かをやらされる人生を歩んできたわけで、それが無差別級王座にいき着くというのはなかなかの物語です。正統的な道筋を歩んできてチャンピオンになるケースはいくらでもありますけど、自分の意思とは無関係のことばかりやらされてきた果ての最高峰なんですから。
    平田 ……本当ですよね。この前、髙木さんと話した時にしみじみ言うんです。「おまえは本当に、プロレス界で近年まれに見る変な進化の仕方をしたよなあ」って。
    ――褒めているのやらなんなのやら。
    平田 数々の怪しいことがあったDDTの中でそういうことを言われると、やらされてボコボコになってひどい目に遭ってきたらからこその今なのかなって、なんか超美談のように受け取ってしまうじゃないですか。
    ――騙されてはいけません。ただ、確かにマインドに関してはそうですよね。そういう経験がなければ、今の平田一喜を形成するマインドにはなっていなかったでしょうから。
    平田 でもそれも、DDTだからなんですよね。斜め右にいっても生かされるって、ほかの団体だったらあったかどうか。だから僕がDDTじゃない団体に入っていたらと思うとゾッとしますよ。
    ――あのままDRAGONGATEにいたら今頃どうなっていたか。
    平田 ただただ頑張ってやられる、名もなきレスラーになっていたかもしれないですよね。DDTって、いい意味でも悪い意味でも好き勝手できるし、なんでもできるじゃないですか。ただ、そのなんでもっていうのがけっこう難しい部分でもあるんです。なんでもやっていればファンが喜ぶって言ったらそうじゃないし、逆になんでもできるからこそしっかり考えてやらなければならない。それがしっかりとしたものになったら、それを武器として闘える特殊な団体だと思うんで、ラッキーなことに自分に合う団体に入れたなと思いますよね。
    ――あとは貫くことの大切さですよね。ダンスにしても長くやり続けることで認知されました。
    平田 これも髙木・大鷲ユニットからつながったものだと思うんですけど、僕の中では対大鷲さんという部分が大きくて。味方でありながらダンスを止められる。でもそれに反発して敵味方関係なく、見方も倒しちゃって踊ってやろうというようになった。そこからそれ以外の試合にも精神がついてきたというか。あと続けられたのは、単純にリング上で踊って楽しかったからなんですけど。
    ――中学生の時点でやっていたTOKYO GOダンスですから、それは楽しいでしょう。その一方で「試合中に踊る余裕があるなら攻めろ」とか「踊っている隙を突かれて負けたら意味がない」という声も当時はありました。
    平田 入場時に襲われて踊れなかったら、試合中だろうがなんだろうが踊ってやるっていうのもありましたし、メガネをかけて音楽に乗って、楽しい気持ちになって自分をアゲて相手を倒しにいくのもファイトスタイルの一つですから。
    ――ちゃんと勝つためのスタイルなんですね。
    平田 これは話したことがなかったんですけど…僕の色が何もない中で、まだ踊るキャラクターが定着していなかった時に大鷲さんと新宿FACEで組んで、その時はポスターマスクをつけたら曲が鳴るっていうやつで、試合そっちのけでマスクかけたんです。その時、客席が「えー…」ってなったんですよ。それこそ、なんで今ここで倒しにいかないの?というリアクションで。
    ――否定的な反応が。
    平田 そのリアクションを見て、僕は「これはいける」と思ったんです。すごい反発があったわけですけど、反発ってリアクションじゃないですか。ここまで強いリアクションがあったんだから、何か自分の色になるかもしれないと。
    ――普通は受け入れられなかった時点でやめるものです。
    平田 そこは僕の頭がおかしいんでしょうね。よくも悪くもリアクションがあるということは、それも一つの感情の動かし方だなと。それがしっかり定着して、自分の色として武器にできたら闘える色になるなと思えたんですよね。実際にここまで定着したのは結果論なのかもしれないけど、そういうマインドでよかったなって思うんです。いまだにブーイングだったかもしれないですからね。
    ――9・28後楽園のヨシヒコ戦に話を戻すと、9・12新宿FACEの試合中にヨシヒコ選手が入ってきたということは平田選手が指名したのとは別に、本人の中にも挑戦したいという意思があったと推測されます。
    平田 言うたら相思相愛ですよね。ヨシヒコも、平田の無差別級チャンピオンだったら、挑戦者は俺しかいねえだろと思っただろうし、僕は僕で今までのスマートな無差別級戦線の中だったら誰にも勝てないと思うんですよね。別に体も強いわけじゃないし筋肉ムキムキでもないし、すごくルチャができるわけでもないんで。そういう中で自分のKO-D無差別級タイトルマッチとしての闘いを見せるのであれば、ヨシヒコしかいないというところがあった。
    ――ヨシヒコ選手個人に対しては、なんらかの特別な感情や思い入れを抱いているんですか。
    平田 数々の無機物・無生物と闘う中で謎に評価していただいたんですけど、そのきっかけがヨシヒコだったと思うんです。
    ――2021年10月12日、後楽園でのシングルマッチですね。ダークマッチにもかかわらず、ヨシヒコ選手のベストバウトの一つとして今なお語り継がれています。やはりあの一戦は、ご自身でも手応えが得られたんですね。
    平田 あの時もよくよく考えると、ビッグマッチでヨシヒコとシングルを組むかもしれないと聞かされていて、ヨシヒコとの一騎打ちは嫌だけどビッグマッチだったら頑張るかと思ったら、よもやの後楽園のダークマッチで。しかもオープニングの時間は決まっているから、短期決戦をしなきゃいけなかったんですよね。
    ――本戦開始を押すわけにはいかなかったですよね。
    平田 結果、6分ぐらいやったのかな。
    ――6分46秒でした。
    平田 だからもう、バンバンいくしかなかったわけです。まあ、短期決戦としては自分の中ですごくいいモノを見せられたかなとは思えたんですけど、同時にオープニングまでとかそういう縛りがなく、僕とヨシヒコの全力を出し合ったらどうなるのかなというのも、ずっと心の中にあったんです。
    ――そうだったんですね。
    平田 6分の中ではあれがベストだと思うし、会ったことがない人にまで「あれ、凄かったですね」って言ってもらえて、こんなにちゃんと反響があるんだ!?って思いました。あの試合では、ヨシヒコがそれまであまり見せなかった関節技の鬼の部分も引き出せて、ヨシヒコの新たなる部分を見せられたのも大きかったと思うし。
    ――あのあと、昨年の4月にフィラデルフィアで一騎打ちをやっています。
    平田 あの時って、同じ会場内で何興行かやっていて、DDTの大会ではトイレが客席と一緒で、アメリカの人は僕のことなんて全然知らないから見向きもされなかったんです。それがヨシヒコ戦のあとはすごく握手を求められたし、のちのち映像を見てわかったんですけど、試合後はスタンディングオベーションになっていたんです。うわー、このシーン、生で見たかったなと思ったんですけど。
    ――気づかなかったんですか。
    平田 時差ボケと試合の疲労で周りを見る余裕がなかったので。でも、あの時も5分ぐらいしかやれなかったんですよね。
    ――5分30秒でした。
    平田 ダークマッチの時よりさらに短かったという。だから本当に、長期戦でいったらどうなるのかというのは常にありましたね。
    ――ということは、はじめから長期戦をやることを前提に臨むわけですか。
    平田 とは言いつつも、どちらかが秒殺されて終わるかもしれない。そこは出たとこ勝負的なところでもあるんですけど、ヨシヒコとじっくり闘うことがなかったんでそれをやるとしたら、この機会ぐらいしかないだろうし。
  • ヨシヒコ戦は試合としてしっかり
    したものを見せたい。だから…

    ――一部の識者の間では「平田は楽して防衛するためにヨシヒコを選んだのでは? ヨシヒコというプロレスラーは対戦相手の映し鏡だから、あっという間に終わらせようと思えば終わらせることができる相手だけに、数秒で勝つ可能性もある」という声も出ています。これはうがった見方ですか。
    平田 僕の希望としてはじっくり闘いたいですけど、そこはその場のコンディション、空気感、体調とすべてを総合した闘いの結果、どうなるのかというところではあります。
    ――開始のゴング直後に無抵抗のヨシヒコの両肩をキャンバスへつけてスリーカウントとはならないですか。
    平田 突然ひねくれてそれをやったら、完全なる大ヒールになりますね。でも一応、KO-D無差別級王者としての自分なりの闘いを見せたいなとは思っております。
    ――EXTREMEタイトルの時とはまったく向き合い方が違ってくると。そもそも通常ルールですしね。
    平田 その通りで、ルールをいじれないというのが僕の中では超痛手です。自分が見せられるものと思って指名したものの最近、ヨシヒコとは闘っていないし。今のヨシヒコ、むちゃくちゃコンディション悪いんですよ。
    ――頭にテーピングを巻いて吉田戦車状態になっていますよね。
    平田 それだけでなく腕の筋肉量も激細だし、あの時闘ったヨシヒコではないんですよね。だからクラッチの握力もおそらく今は弱いと思いますし、逆にそれが怖いんです。
    ――そういうものですか。
    平田 だからちゃんとコンディションを整えたヨシヒコで来てくれることを信じるのみなんですけど、そうならなかった場合は…やっぱね、コンディションがいい者同士の方がいいモノが生まれるじゃないですか。これに関しては、試合としてしっかり見せたいんで。言ってしまえば、ヨシヒコは誰とでも闘えるわけです。ちっちゃい子でもプロレスごっこできるし、プロレスラーとも闘える。その中で“ヨシヒコとの試合”というものを見せるのは、やっぱり難しい部分なんですよ。さらに今回に関しては、KO-D無差別級タイトルマッチとしての試合を見せなきゃいけないんで、ぶっちゃけ超怖いッスね。
    ――でも自分で選んだわけですから。
    平田 いや、そうなんすよ。それでもここしかないなというところがあるんで。だけど怖いッスよねえ。
    ――一発目にヨシヒコといういわば飛び道具を持ってきたわけですが、そのあとのことは考えているのですか。
    平田 いやいや、今後のことなんて考えられないです。胃が痛くなっちゃうんで。
    ――ヨシヒコをクリアしたら次は誰とというのは決めていないんですね。
    平田 あ、今林久弥さんです。2度目のちゃんとした防衛戦は今林久弥で。
    ――本人は嫌がっていますが。
    平田 いや、あれはめちゃ乗り気ですね。嫌よ嫌よも好きのうちの典型的な例です。
    ――もしかすると次の防衛戦は11・3両国国技館になる可能性もあります。
    平田 まさに僕の望む形であり、今林さんの望む形です。第2試合あたりであり得ないほどの大事故試合になるか、奇跡のベストバウト級の試合になるかのスーパーバクチバウトになりますね。だって、普通に強い挑戦者が来たら秒殺で終わってしまう可能性も高いじゃないですか。両国のメインがあっという間に終わっていいのかと皆さんに問いたいです。
    ――これもけん制になっていますね。せっかくKO-D無差別級を持ったのに、ビッグマッチのメインに立たなくてもいいんですか。
    平田 いやー、両国のメインはちょっと精神が持たないッスね。試合があとの方になればなるほど僕の嗚咽時間が長くなるので、体力を消耗するんですよ。だから万が一、両国までベルトを持っていたら第2、第3試合あたりでKO-D無差別級選手権試合をやります。
    ――両国メインは避けるべき案件なんですね。
    平田 もちろんベルトは持っていて愛着が湧いてきたので持ち続けたいですけど、両国のメインはどんな手を使ってでも避けます。そのための相手としての今林久弥です。
    ――わかりました。平田選手のキャリアを見続けてきた中で、今回の戴冠劇でフラッシュバックしたのは、ひらがなまっするのことだったんです(https://note.com/hiraganamuscle/n/n1703539093d1)。あの時、コロナによって10周年記念大会が流れてしまった心中を包み隠さず吐露したことで、うまくいかない自分をみなが投影させた。だからこそ今回、よくぞここまで来たとファンの皆さんが喜べたと思うんです。
    平田 人生って、本当に何があるかわからないに尽きますね。あの時はもちろん、獲る直前までKO-D無差別級のベルトを持つ自分なんて想像できなかったことが現実となって、人生ってどうにかなるものなんだなって。うまくいかないことがあっても頑張って続けていればいろいろ陽の目を浴びることもあるというところにいき着くんですね。
    ――10周年大会が流れた時は絶望しかなかったですよね。
    平田 そうでしたね。自分で「やっぱり平田ってこういうことなんだな」と思いました。いいところでできないとか見せられないというか。でも、これは超結果論なんですけど、あの時の運の悪さだったりそういう逆境だったりが、今にいろいろつながってきているんで。10周年はできなかったけれど、15周年でYO-HEYと近野剣心の(DRAGONGATE時代の)同期だけでなくヒロムさんもそこに加わってさらにボリューミーになったわけですから。あとは10周年の時点で見せられる僕のプロレスと、15周年だからこそ見せられたものって全然違かっただろうし。おそらく10周年をやっていたら15周年はやっていなかったかもしれないんですよ。というのも、僕の自主興行の目的はYO-HEYと闘うことだったんです。剣心とはけっこうやっていたんですけど、YO-HEYとはデビューしてから試合で関わることって3、4回ぐらいだったんです。発表されていない対戦カードも含めてなんですけど全部、どちらかのヒザのケガだとか体調が悪かったり、コロナとかで流れて、そのフラストレーションが溜まった上での15周年の集大成でいいモノを見せられたかなというのがあるので。そういう運が悪かったことも今のためのものだったのかなという。
    ――10周年大会が実現していたら、そこもYO-HEY選手絡みのカードを考えていたんですよね。
    平田 メインは決めていて、石井慧介&平田一喜vsYO-HEY&近野剣心だったんです。それが5年後に、ヒロムさんも加わって高尾さんにも入ってもらって別の形で実現し、よりよいものを見せられたんですから。
    ――だからあのまっするの時、うまくいかない姿を見せるのもプロレスラーなんだなと思いました。ファンの人たちもうまくいかないことがいっぱいある中で生きていて、その自分と同じようにリングへ上がっているプロレスラーでもやっぱりうまくいかないことがあることにすごい共感性を持てたわけじゃないですか。それを包み隠すことなく表に出せたのが、今思うと大きかったのだと思います。
    平田 僕のプロレス…平田一喜の成長の仕方の中で、2つ欠かせない部分があって。一つはやっぱり大鷲さんと敵味方関係なく、バチバチやってライバルであり師匠っていうところで一緒にやれたのと、もう一つはひらがなまっするも大きかったと思うんですよ。あれは感情も出せば、自分のダメなところとかも笑えるところもすべてをさらけ出すコンテンツだったじゃないですか。自分を100%出していい中で、プロレスラーを見せるというよりプロレスラー・平田の生きざまをリング上で見せればいいんだっていうところに気づけた場だったんです。もちろんあの時もやるまでは嫌だ嫌だと言っていたんですけど、その嫌だと思うのは嫌だと言って出した方がいいし、痛い時はもう痛いからやめてくれってそのままさらしちゃっていいんだと。それまでは素の感情を見せていなかったし、ネガティブな感情だとよけいに出さないようにしていたと思うんです。でも、嫌なことはしっかりと嫌なこととして出して、そこから逃げるべき部分でちゃんと逃げられるようになっていった。そんなプロレスラー人生を歩んでいてもKO-D無差別級のベルト姿を見せられたことによって、うまくいかない人生だったり嫌なことがあって歯を食いしばっている人たちとかに、ちょっとでも勇気というか、こういう着地点も逃げながらでもあったりするんだよっていうのを見せられたのは、いいことなのかもしれないです。
    ――強いとか試合に勝つとは違う価値での見せ方です。
    平田 はい。サイン会でも「本当に嫌なことがあったんですけど、ああいう姿を見て頑張れます」と言ってくれる人もけっこういたんで。なんか結果、よかったなっていう感じです。それによって自分もなんとかギリギリ頑張れちゃうのかなと。そういうものを一日でも長く見せられるためにもこのベルトを持ち続けられたらなって思えるようになりましたね。
    ――斜め右の方向性で言えば、DDTには男色ディーノ、スーパー・ササダンゴ・マシン、アントーニオ本多といった偉大なる先人たちがいて高いハードルでもあります。
    平田 そういう先輩方が、まだまだ元気に斜め右でも闘いつつ頑張っている姿を見ていますので、僕も頑張らなきゃというところはあります。だから今度の後楽園も、胃薬持っていってやります、はい。

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