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【インタビュー】武知海青というプロレスラーの根源を探る「見返りを求めるよりも、自分を削るような生き方」という教え

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  • 2・22後楽園ホール大会は、武知海青デビュー2周年記念大会として開催され、そこではプロレスラーとして初のシングルマッチを上野勇希とおこなう。昨年のプロレス大賞新人賞を受賞し、新日本プロレス1・4東京ドームにも出場、現在もKO-D6人タッグ王座を保持するなど順調すぎるこの2年と映るが、自身はそうした現状をどのようにとらえているのか。これまでプロレスファンには届いていなかったその素顔も探ってみた。武知海青とは、こんなプロレスラーであり、人間である――。(聞き手・鈴木健.txt)
  • 新人賞を受賞したことでノミネートされた
    方の分の期待を僕は背負わないといけない

    ――今、一つ前の取材で最後に言ったメッセージを盗み聞きしていました。リング上でも常々口にしていますが、自分がプロレスをやることで落ち込んでいたり、元気が出なかったりしている人たちに活力を与えたいと。それはご自身もそういうものを与えてもらった原体験があっての姿勢なんでしょうか。
    武知 そうです。僕はHIROさん(五十嵐広行LDH JAPAN代表取締役会長兼社長CEO兼CCO)と出逢って、夢を見て、その夢が原動力となってこれまでいろいろなことを乗り越えて頑張ってこられているので。何かのきっかけがあれば夢がない人にも夢ができたり、生きている意味がわからない人でもその意味を見つけられたりということが、本当に些細なことからでも生まれると思っているんです。そのきっかけが僕の人もいれば、僕じゃない違う選手の方でもいいから、プロレスという場に連れていくのは僕にしかできないことだと考えています。さまざまな可能性を皆さんに提示し続けられる存在になりたいっていうのが、プロレスをやる上で大きいですね。
    ――それはプロレス以外のパフォーマンスに関しても同じスタンスですよね。
    武知 はい。ライブという場であっても、もしかするとファンの方に連れられてなんの興味もないけど見に来たという方もいらっしゃるでしょうから、そういった方々には僕らのファンになってもらうよりも、もっと…なんだろうな、今日は見に来てよかったって思ってもらえるようなパフォーマンスができたらというのが僕の望みなんで。プロレスの試合もそれは何も変わらないです。
    ――自分を動かす理由づけが、自分ではなく他者のためなんですね。
    武知 誰かのために動いても最終的には自分のためになり、自分のために動いても誰かのためにはなっていると思うんですけど、考え方が自分先行になるか相手先行になるかの違いですね。僕も一時期は自分のためにやっていたように思います。でもその先には、誰かに活力をあげる関係性があったんですね。だったら誰かのためにやった方が自分のために動けるだろうなっていう、哲学じゃないですけどそういう考えになりました。
    ――それは芸能界に入ってどれぐらいのキャリア積んでから得られた気づきでしたか。
    武知 下地はその前からあったと思います。自分の親がそういう人だったので。「無償の愛をあげなさい」であったり「継続は力なり」というような言葉で育てられてきたから、見返りを求めるよりも、自分を削るような生き方でいい、自分以外の人に何かを与える存在になるよう小さい頃から教わってきたんです。なので、この業界に入ってからというよりも、おそらくそういう意識がもともと潜在的にあって、それをより実践できるポジションに来たことで、自分でやった時にやっぱりこれだなと確信に変わった形ですね。
    ――自分よりも他者のためにという親御さんの言葉に対し、思春期あたりで反発はしなかったのですか。
    武知 ありましたね。その頃は、何を言っているのかわからなかった。母はダンススクールの経営者をやっているからそういう考え方になるんだろうけど、俺はただの学生だしって。友達というコミュニティの中ではそういうのは全然できなかったです。でも、そこからコミュニティが広がっていくと視野も広がり、年齢を重ねていくと親の言っていたことは間違っていなかったって理解できるようになりました。
    ――ということは、芸能もプロレスも自分の人生の中で求めていたことを表現できる場をちゃんと得られたことになりますね。
    武知 そうですよね。ただ、規模が広がるにつれて一人ひとりとして見られなくなっているのは現実的にあるので、僕が100%でやってもすべての人に100%届くかといったらそうじゃないので、そこで考え方をどうしていくかということなんですけど。自分の中では100人見に来てもらった中で1人でもそういう感情が芽生えるのであれば、やる意味があると思うようにしていて、いつかは全員に届くと信じながらやり続けています。
    ――実際、THE RAMPAGEのファンやプロレスファンから「武知さんを見て元気をもらいました」と言葉をもらうことはあるんですか。
    武知 メチャクチャありますよ。「私にとって、プロレスを見にいくのが自分の中での支えになっています」とか。プロレスは選手一人ひとりにドラマや葛藤があって、喜怒哀楽を表現したスポーツですよね。それを見に来た人が自分の人生へ落とし込んだ時に、打開策のようなものを見つけられたっていう人も多くいらっしゃいましたし、もっと明快に「自分の中で元気の源になっています!」って言ってもらえます。だから僕が出ていない大会にも足を運んでくれて、見た報告をもらっているし、いつかこの選手と対戦してほしい、タッグを組んでほしいという声は本当にたくさんもらっています。それほど皆さん、プロレスを楽しんでいるんだなって実感しますし…そういう願望って人それぞれだから、挙げられる選手が本当にいろいろで。
    ――男色ディーノとか。
    武知 メッチャあります! ディーノさんとは対戦してほしいと言われますね。
    ――何を求められているのか。
    武知 そうやって、プロレスを見ることについて楽しめているので、やっていてよかったなと思えます。
    ――この1年でKO-D6人タッグのベルトを奪取、KONOSUKE TAKESHITAとのタッグや永田裕志選手との対戦、プロレス大賞新人賞受賞、新日本プロレス1・4東京ドーム出場と、おそらくご自身の想定以上のペースでさまざまなことが実現していますが、自分の人生において、今がもっとも加速度を感じているのではないですか。
    武知 どうでしょう…僕も明日(2月4日)で28歳になるんですけど、芸能界歴は13年目になるんですよ。それって若くもない年頃で中堅レベルに来ちゃっているんですけど、一方でプロレス界ではまだまだ新人じゃないですか。そこのバランスを取るのが正直、難しい1年だったなと思います。ただ、届けたいものであったり感じるものであったり、発信したいことっていうのは一貫して変わらないので、結果的に今挙げていただいたようなことに行き着いたという感覚なんです。悩んでいる意味もわからないぐらいに今は全力投球と言いますか、もう目の前にあることやいただいたチャンスを全力でつかみにいくっていう情熱に変わっていますね。
    ――実際、プロレスを始めた当初はこの段階でベルトを獲ったり東京ドームに出場したりというのは想像していなかったですよね。
    武知 そうですね、早い方です。でもやるからには“イッテンヨン”には東京ドームがある、新人賞がある、ベルトがあるわけだから全部獲りにいこうとは決めていたんです。
    ――最初の時点で?
    武知 ええ。そういう意気込みはありました。それは、やるからには全力でという決意から“全部獲り”につながるわけですけど。あとはHIROさんをはじめとするLDHの皆さんがサポートしてくださるからには、結果で証明したいっていう思いがすごく強くあって。だから、その点でも形にできてよかったって思いますね。
    ――キャリア2年を迎える前に、それらを実現させたことについては?
    武知 まずはDDTの皆さんのお力があったからこそできたというのがあります。自分一人ではできないですし、もちろん応援してくださっているファンの方を含めたDDTの皆さんの力がある。今のように試合を組んでもらうこと自体、そう簡単ではないはずなんです。そこはDDTとLDHの話し合いの中で決めていただけている。僕だけがやりたいですって言えばやれるものではないので、そういった調整もしていただくことによって試合をやれるわけですから、そこは自分がすげえ!って思うよりも、周りへの感謝の方が強いです。
    ――十分、自分はすごい!と思っていい実績ですよ。
    武知 いやあ、すげえ!って思ったら、すげえで終わっちゃうと思うんですよね。僕自身は正直、まだいけると思っているので、これぐらいじゃすごいとは言えないというか。まだまだかなえたい夢もあるんで…現実としては、妥協した部分や諦めた部分もあった上での今ここなので、もっとあれをやっておけば…という感情も自分の中に残っているんです。だから、自分がすごいだなんて思えないですね。もちろん多くの対象の選手がいる中で新人賞に選んでいただけたことはありがたいですけど、それも周りの皆さんのサポートがあっていただいたものですし、むしろ受賞したことでノミネートされた方の分の期待を僕は背負わないといけないと思っています。いただいてよかったねーで終わったら、ノミネートされた方々に申し訳ないというか、一緒にプロレスを盛り上げようとしているのに、賞をもらったからもう終わりにして僕は違うところにいきますみたいなナメたマネは絶対にしたくない。だから、本当にすごいだなんて言っていられなくて、もっともっとやらないと!という感情が強いです。
    ――プロレス大賞の中でも特に新人賞は「これから」なんですよね。
    武知 そうですよね。でも、これからに応えられる自信はあります。
    ――東京ドームは4万6913人・超満員札止めのオーディエンスが集まった中でのパフォーマンスでした。
    武知 THE RAMPAGEとして2DAYSやっていますし(2024年9月11&12日)、味の素スタジアムも経験していたんですけど、あの日は緊張しました。ダンスと違って、プロレスは対人のスポーツであり、ましてや命のリスクもある中でやることですから、そこでの覚悟を決められないままやるとケガをするどころか、プロレスと芸能のどちらにも影響を及ぼしてしまうよくないことが起きかねない。だからこれまでもリングへ上がる時はそうならないよう、常に一瞬一瞬集中力を極限まで高めて、覚悟を決めて入場するようにしているんです。試合の方は正直、ルールが複雑で何がなんだかわからないまま終わってしまって不完全燃焼だった部分はあるんですけど、緊張という部分に関してはこれまでの試合と同様に高かったですね。あとは、同じ東京ドームでもTHE RAMPAGEの時の風景とは全然違いました。お客さんの層も違ければ、声質(こえしつ)も地鳴りのようだったし。同じ満員の人数でも、空気感は別モノでしたね。
    ――声援が飛ぶタイミングも音楽やダンスとは違いますからね。新日本プロレスの、あの選手たちの中に自分が入ってみて何を感じましたか。
    武知 最初は芸能人枠で見られていたと思います。それが次第に薄れてきて、一人のプロレスラーとして見ていただけている感覚はありました。それがすごく嬉しかった。
    ――THE RAMPAGEのメンバーと一緒に入場することができました。武知選手が仲間たちをイッテンヨンに導いた形です。
    武知 (藤原)樹と(浦川)翔平が同い年なんですけど、その2人からは特にありがたい言葉をもらって…自分のしている活動(プロレス)によって、グループのメンバーから「こういう景色を見られたり、普段のTHE RAMPAGEのファンとは違う皆さんの前でパフォーマンスをしたりするきっかけを作ってくれたのは誇らしいし、ありがたいことだよ」って言ってくれたので、メンバーに対してもやり続けてよかったと思えました。僕の入場曲もTHE RAMPAGEで作ってくれて…それなんて、自分らの武器を最大限に使ったサポートじゃないですか。あれも僕を除くと15人なんですが、全員がOKって言わなかったらやれないこと。本当に、僕が思う最大限の応援をしてくれています。
  • 初めてプロレスを見た人の存在を思うと
    技を受けても体を逃がせなかった

    ――話をプロレス入りした時までさかのぼらせていただきます。ABEMA配信ドラマ『覆面D』でプロレスラー役を演じた時、髙木三四郎から誘われたことがきっかけとされていますが、その時はどんな言葉で勧誘されたんですか。
    武知 「プロレス、やってみない? やった方がいいよ!」という感じだったので、最初はよくある社交辞令的なものだと思ったんです。だから、その時点ではそういう言葉で僕のテンション上げてくださって、役に入りやすいようにしてくれたのなかあって思いました。僕も最初は「そうですねー」って、社交辞令に社交辞令で返したような感じで、ノリで言っているのかなって受け取ったんです。それでドラマの撮影が終わって3ヵ月ぐらい経った頃かな、もう一度お話をいただいた時は「本当に、プロレスをやった方がいいんじゃない?」という言い方に変わっていたので「ええっ、本気で言っていただいているんですか!?」ってこっちもなって。そのあとGENERATIONS(同じLDH所属のダンス&ボーカルグループ)の24時間配信番組があって、関口メンディーさん(元GENERATIONSメンバー)のプロレス企画でもう一度やることになったんです。そこでは僕とメンディーさんが組んで大石(真翔)さんと遠藤(哲哉)さんが対戦相手だったんですけど、終わったあとに大石さんからも「海青、待ってるからな!」って言われて「うわっ、これってマジなやつだ!」ってなって。
    ――勝手に待っている大石さん。
    武知 そのあと2023年末、正式なお話をいただきました。僕はHIROさんがケガをするからダメだって言うと思っていたんです。でも、HIROさんもプロレスが大好きなものだから「これ、やろうぜ!」って乗り気で。そこから本格的に始動してからは、あれよあれよでしたね。
    ――やった方がいいよと言われた時に、おぼろげにでも自分はできると思ったんですか。
    武知 最初に指導していただいた技や受け身が、普通はできないらしいんですよ。マット運動にしても何日も練習してからできるものなんですけど、僕の場合それが1日でできちゃったんです。「これ、普通はできないよ!」って言われて、自分にはそういう才能があるのかなあと。
    ――客観的な見方によるわけですから、自惚れではないですよね。
    武知 それまではプロレスに触れる機会自体がなかったから、自分にどんな能力があるなんて気づかなかった。髙木さんから誘われなかったら、一生気づかぬままだったんでしょうね。
    ――それにしても、よく決断しました。
    武知 そこはタイミングもあったんです。2023年って、何かを変えたいと思った年で…その一年は僕の中では史上最悪の年で何をやってもうまくいかなくて、アーティストをやっている意味をすごく模索した年だったんですね。そういう状況でお話をいただいたことによって、自分の中でも答えを出したいと思いましたし、何よりも自分でやって感じたプロレスをファンの人に届けたいって思ったんです。リングの上で感じる感情って、自分で見にいった時の感情よりも遥かに上のエモーションだと思って、それを感じた上で伝える仕事をやることで、厚みを増したいと思ったのがきっかけでした。
    ――DDTを初めて生観戦したのが2022年6月19日の後楽園ホール大会でした。その時に抱いた感覚は“美しさ”だったそうですね。
    武知 ドラマを撮っていた時だから、お話をいただく前です。美を感じましたね。
    ――普通は初めてプロレスを見ると強さやカッコよさに惹かれるものですが、美しさが刺さるというのが独特だと思います。
    武知 何が美しかったかというと、観客…ファンもあそこまで一緒になるスポーツっていうのがほかにないなと思って。これが点数競技だったら観客がいなくても成り立つ。プロレスは歓声があって、それが相乗効果となって試合も盛り上がるものなんだと思った時、その歓声を力にして、バネにして闘う選手の姿がすごく美しかった。リングの中だけじゃなく、会場全体がリングに見えたのもすごいと思ったし、どこかTHE RAMPAGEのライブと似ているなって思えたんです。
    ――THE RAMPAGEも美を追求しているんですか。
    武知 美というよりは、一体感ですかね。プロレスの観客とはそこでしか会えないし、音楽で言ったらナマモノですからセットリストが同じでも、同じダンスは踊れない。ライブごとにお客さんが一人ひとり違ければ、会場もその大きさも違う。人数も違う。育ってきた環境が違ければ、声を出す人が多いのか出さない人の方が多いのかも毎回違うので、その中で毎回のライブをできる範囲でのピークに持っていく作業ってけっこう大変なんです。日によってはマイクでちょっと煽ってテンション高めてあげないと盛り上がらない客層もいれば、自分たちの方から盛り上がってくれるお客さんもいる。そういう部分での追求する感覚が、プロレスと似ているって思うんですよね。
    ――昔から美的感覚は鋭い方だったんですか。
    武知 感受性が強いタイプだったとは思います。何かによって感情が揺さぶられる瞬間が小さい頃からよくあって、影響を受けやすい。見てもいなかったドラマやアニメの最終回だけで泣けたりする子でした。そういうワンフレーズで心を持っていかれて、明日から頑張ろうってポジティブに思っていましたね。だからそれまで見ていなかったプロレスにも、同じようなものを感じたんだと思います。
    ――DDTの中で美を感じさせる選手は誰になりますか。
    武知 最初に美を感じたのは…やっぱり上野さんかな。フォルムもそうですけど、立ち振る舞いがカッコいいなって思います。今はDDTのトップですけど、そこまでのストーリーも近くで見させていただいて、覚悟決まっているなって思わされましたし。僕のことを常にレスラーとして見てくれて、デビューの時から「絶対に闘おうな!」ってずっと言ってくれている熱い男だし闘いも熱いし、僕にとってはすごくキラキラした存在ですね。
    ――今現在の上野選手になるまでの過程を含めての美しさだと。
    武知 そうです。
    ――同じような物の見方をしているのが、アントーニオ本多選手です。アントンはそこに行きつくまでの過程が美しければ物事は腑に落ちるという点に価値を見いだしている人物で。
    武知 そうなんですね! 会話したいですね。会場ではもちろんお会いしますけど、そこまで話していないんで、ぜひお願いします。
    ――武知選手の過程に関してですが、まずデビュー戦の時点で体が技を受けることに対応できていたところに目がいったんです。どんなに練習で技を食らっても、いざ実戦になると恐怖心から無意識のうちに体を横に逸らしてしまったりするものですが、それが一切なかった。体が逃げなかったですよね。
    武知 ああ、そう言っていただけるのは嬉しいですね。もちろん、受けに関しては上野さん、大石さんに細かいところまで教わりましたけど、あのデビュー戦は覚悟が決まっていたので、そこまでビビっていなかったのかもしれないです。僕をきっかけに、あの日初めてプロレスを見に来るファンの方がいらっしゃったので、僕がちょっとでもそういうことをしちゃったら、次は見るのをやめようみたいになるかもしれない。そうは思われたくなかったから、自分がやるべきプロレスをやるんだって覚悟を決められたんです。
    ――キャリアが浅い段階では自分がどういう技を出すか、あるいは出せるかに神経がいってしまうものです。武知選手はむしろ、受けることに意識が向いていたように映りました。
    武知 練習で上野さんに技をかける時に「全力で来ていいよ。それを受けるのがプロレスラーなんだから」って言われていて。それまではやっぱり攻撃がメインだと思っていたのが、受ける方がメインなんだって思考が変わりました。受ける美学と言ったらおこがましいですけど、ちゃんと受けきれたからこそやり返す価値があるって教わったんです。
    ――攻撃だけではないというのは、実にプロレスならではの価値観じゃないですか。それは、今までのフィールドにはなかったと思われますが、すぐに理解できたんですね。
    武知 できましたね。僕は、自分のやりたいこと(技)だけをやるというようにはならなかったです。それは、上野さんや大石さんがそういう言葉によって導いてくれたからです。
    ――技の方ですが、ご自身で考えてチョイスしているんですか。
    武知 最初はお二人に提案していただいて「これはできそうだね」「これはできなさそうだ」と僕の動きを見ながら選んでいただきました。そこにプラスアルファで回転を加えてみようとか、こうやったら新しい技になるよと案を出していただいて、やれる技の幅を広げていきました。
    ――プロレスを見ていなかったから技名や専門用語を言われてもちんぷんかんぷんだったのでは。
    武知 でも1回見せてもらえたら、もうできたんです。そこも才能だって言われました。ドロップキックもそうです。1回見て、ここで飛んでここで蹴って、ここで体を返すんだ、わかりました!っていう感じでした。
  • 上野vs正田戦をセコンドで見ながら
    正田くんよりもやり返すと決めていた

    ――今は最大級の得意技としてスワンダイブ式フォアアームを使っています。
    武知 あれももともとは上野さんかな。跳躍力が武器だからと言われて…体がデカいのにこれほどジャンプできるのは珍しいよ、トップロープから飛んだらどれぐらい飛べるかなという会話から、こういう技があるよって提案していただきました。
    ――KO-D6人タッグ王座を奪取した試合で、あの技で決めようとしたところバランスを崩して転落しながら、すぐに逆上がりしてエプロンへ出てもう一度トライして決めましたよね。あれには唸らされました。一番の見せ場で技を失敗したら頭の中がパニックになるところなのに、逆に逆上がりすることで「ああっ!」という声を「おおーっ!」に変えたあのアドリブ力とセンスは並ではないと。よく瞬時の判断でリカバリーできましたね。
    武知 あれは本当に咄嗟でした。
    ――咄嗟で後転できる。
    武知 あの時はできました。内心は慌てましたけど、それを出しちゃうと見ている人に伝わっちゃうので出さないようにしました。
    ――想定外のことがあってもリカバリーできる対応力が身についているものなんですね。
    武知 THE RAMPAGEのライブを年間で80本ぐらいやっているんですけど、曲も違ければ構成も尺も違う、立ち位置も違う、一曲一曲が違う中で瞬時に合わせないといけなかったりするので、その対応力も効いているとは思います。
    ――THE RAMPAGEでの経験がプロレスでも生かされたと。
    武知 はい。いや、でも本当にまだまだなんですよ。僕を新人という言葉で片づけていいかどうかはわからないですけど、純粋にもっともっと試合がしたいという思いが強いです。もっと経験を積んで、いろんな選手とも対戦したい。今年はライブの数とプロレスの試合に出る数を同じにしたいんで。先ほどHIROさんは喜んでくれているって言いましたけど、今でも一試合ごとに社内でやらせるべきかどうかというのは会議に上がっているんだと思うんです。僕が動けなくなったら、ステージの方にも迷惑がかかっちゃうので当然ですよね。そうならないようにするには、僕の努力次第で(ケガなどの)防げるものは最大限防ぐべくトレーニングの内容も変えましたし、ウエートも上げましたし。僕の努力次第で可能性が広がっているのは理解できているので、試合に出て受け身をしっかりとってケガをせずリングを降りて、次の日には踊れるっていうのを証明し続ければ、きっとNOは減ってくると思うので。僕の努力で一つずつ削れるのであれば、頑張れるんですよ。
    ――まだプロレスの試合→翌日ステージはない?
    武知 中1日空けてはありました。ライブ→1日空けて→プロレス→1日空けて→ライブ。もう、体がどうだったかは憶えていないんですけど、憶えていないということは問題なかったということでしょうね。
    ――武知選手は音楽活動やプロレスなどで表現する上で、影響を受けた人はいますか。
    武知 小さい頃から、この人のようになりたいって思ったことがあまりなくて…その意味では両親になるかな。母はダンスを最初に教えてくれた人なんですけど「ダンスは生きざまが出るもの。だから、この人のダンスをマネようと思ってもできないんだよ」と言われました。自分の感性が出るのがダンスだから、そのためにもいっぱい恋愛した方がいいし、いっぱい失敗した方がいいし、いっぱい負けた方がいい。いっぱい辛い経験しないとできないダンスというものがあるからこそ、マネるのではなく自分のダンスをしなさいと。そういう教えから、母の影響が大きいのかもれないです。
    ――先ほどの感受性が強かったと言われましたが、そういう教えは糧にしつつ、影響を受けまくることはなかったんですね。
    武知 それぞれが一つの物語ととらえているからだと思います。ダンスでは母の影響を受けているけど、プロレスでは受けていないというように場面が変わればいったん途切れるので、そこまで全体的な影響を受けて左右されることはないです。だからこれからも、自分というものを持ったままプロレスを続けられるでしょうし。
    ――さて、2周年記念大会で先ほどから名前が出ている上野選手とシングルマッチで対戦します。
    武知 自分から望んだこととはいえ、人生初のシングルマッチがDDTで一番強い男になるとは、これも始めた頃には思っていなかったんですけど、やるなら上野さんとっていうのはずっと思っていたことなので、その夢がかなってよかったのと同時に、一番強い男を体感できるのが嬉しいです。
    ――あとは自分を一番知っている男です。
    武知 そこは親離れじゃないですけど、僕も積み重ねてきた場数があるし、それだけの覚悟もある。それは上野さんが思っている以上に強いことを証明できるチャンスだと思っています。
    ――12・21後楽園の正田選手とのタイトルマッチは見ましたよね。
    武知 セコンドについていました。厳しかったですよね。でも、見ながら僕は正田くんよりもやり返すって決めていました。自分だったらもっといくって。
    ――その試合をもって見る者に何を伝えたいですか。
    武知 ここをというのは言いたくないですね、感じるものが正解だと思うので。見た人が感じたままでいいと思うんです。僕自身、上野さんとの試合もそうだし、そのあともそうなんですけど自分がどうなるかっていうのはまったく想像できていないし。だからこそ面白いというか、可能性があると思っているんで。そこに自分は覚悟を決めて突っ込んでいっている分、ワクワクしかないです。
    ――ワクワクですか。これまでの中で、プロレスに怖さを感じたことはなかったんですか。
    武知 もちろん鈴木みのる選手だったりと永田さんだったり、僕らからするとレジェンドのような方とやる時はすごく怖かったです。でも、そういう時も上野さんから言われたんです。「これを超えたら、もう怖さを感じなくなるから。1度目は誰もが怖いんだよ。俺でも怖かった。だけどそれを経験して、乗り越えて、痛みも哀しみ悔しい思いも全部こういうものなのかって受け止められたら、それさえも楽しみになるから」って。確かに、その一戦が終わったら恐怖が大きなものではなくなった気がします。また鈴木選手とやる時が来たら多少は恐怖もあるでしょうけど、大半を占めていた恐怖心はなくなって楽しみが増えている気がします。
    ――あとはいつ改めてTAKESHITA選手の前に立つかですね。1・25後楽園のタッグ対戦は流れてしまいましたが(武知が感染性結膜炎により欠場)、プロレスはネガティブをポジティブに変えるジャンルですから、それさえも物語を描く過程の一つになり得ます。
    武知 本当に、そう思います。TAKESHITAさんも(当日のパートナーの)秋山さんも「今じゃなかった」ということを言われていて、そういうところから何年先になるかわからないけど再び組まれた時につながるんですよね。それまでに、今度こそすげえ闘いが見られる!ってワクワクさせるような選手にならなければって思います。それこそが、過程の美しさですよね。

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