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【DDT UNIVERSAL王座初挑戦、須見和馬インタビュー】僕が求めているものの道筋を 築くためにこのベルトはほしいんです

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  • 若手によるシングルリーグ戦「D GENERATIONS CUP 2026」で初優勝を果たし、3・22後楽園ホールで佐々木大輔が保持するDDT UNIVERSAL王座に挑戦する須見和馬。団体の中でも小さい部類に入る体でありながら、着実に経験値を高めることで実績をあげられるようになった。タイトルマッチの意気込みとともに、自身の足跡に基づくプロレス観についても聞いてみた。(聞き手・鈴木健.txt)
  • 寝起きでもできる技と、みんなが
    やるからこそのスク~ルボ~イ

    ――須見選手は2022年10月23日にデビューし、次の後楽園でキャリア3年5ヵ月となります。プロレスラーとなる前に想定していたのと比べて、自身の現在地はどう映りますか。
    須見 僕がデビューして一番怖かったのが、何よりもケガをすることだったんです。だから、まずケガをすることなくここまで来られたのは嬉しいですよね。あとは、3年で独自の技ができるようになったのも嬉しい…と考えると、想定以上になっているんですかね。
    ――3年半弱でこれほどの実績をあげているのは、順調と言えるでしょう。
    須見 うーん…今だから言えますけど、デビュー当初はもうちょっといけると思っていたんで、順調に来ているという実感はあまりないんですよね。
    ――いつでもどこでも挑戦権行使とはいえKO-D無差別級王座に挑戦し、1月3日にはメインでKO-D6人タッグ王座にも挑戦して、その上でのD GENERATIONS CUP優勝ですから、ザッとあげるだけでも着実にチャンスが増えています。
    須見 確かに、自分も“いつどこ”あたりからチャンスが増えてきたなとは思っていました。デビュー1年目は第1試合や第2試合に組まれることが多くて、2年目に入ってもセミファイナルやメインに出られなかったんです。そこで、自分なりにどうしたらいいかと考えた結果、もうとりあえず練習をするしかないと思って。チャンスって、いつ来るかわからないじゃないですか。だから今は、それに向けて準備をしておこうっていう気持ちでやってきました。だからこうしてチャンスが来た時に、それに応えられたなっていうのはあります。
    ――それぐらいのキャリアで準備する意識を持つというのも素晴らしいですよ。普通は若さゆえにあせってしまうものですが、先を見据えてやっていたと。
    須見 その頃から、僕は寝る前に自分が無差別に挑戦するとか、いい試合をやって上にいく姿を想像していました。こういうのをやりたいな、こういう技を使ったら面白いんじゃね?って。でも頭の中で想像しただけではできないですから、それを形にするためのことを今のうちにしておこうと。
    ――まだまだ若いし時間があるから…と、のんびり構えてはいなかったんですね。
    須見 はい。でも、焦ってもいなかったんで自分のペースでやってはいましたね。周りの風景はどんどん変わっていくけど、あせったところで仕方がないじゃないか、自分がやっていることが正しいんだって、自問自答しながら続けました。
    ――須見選手は入門した時点で他の選手よりも体が小さいというハンディを背負っていたわけですが、みんなの中で練習するにあたり何か心がけていたことはあったんですか。
    須見 なんですかね…技の出し方かな。MAOさんに言われたのは、プロレスは100%を出すのではなく、6を10にするんだと。だから寝起きでもできる技しかやるなっていう教えだったんです。スワンダイブだったらスワンダイブを寝起きでもできる…それぐらい意識することなく体が自然に動いちゃう感覚を養えということです。ストレッチで体をアップしたら、一発で難しい技もできるっていうのを意識しました。
    ――実際、今出している技は寝起きでもできるんですか。
    須見 できます。普段から寝起きでも出せる技しかやっていません。
    ――リバース450°スプラッシュも?
    須見 気持ち的には寝起きでできます。その中から、自分に合った技をセレクトしていった感じです。よく、運動神経がいいですねって言われるんですけど、実を言うと自分的にはあまりよくないと思っていて。後方のひねりとか、高く飛ぶとかが正直、苦手で。
    ――とてもそうは見えませんよ。
    須見 だから苦手なことは最低限できるようにして、あとは自分の得意なことを伸ばした感じですかね。
    ――でも器械体操という下地があったんですよね。
    須見 器械体操も全然結果を残していなかったですから。だからこそ、自分でもできる最低限のことを体に染み込ませる上で、寝起きでもできるという教えは合っていたんですよね。
    ――そしてそれがレスラーとして自分の個性になったと。
    須見 はい、つながりました。やっぱり、周りがあれほど個性の立っている人たちばかりですから、そこは本当に考えました。その中でこれだ!と思ったのがスクールボーイだったんです。あの技って、若い選手は絶対に使うんですよ。自分より強い相手に勝とうとするために。そこでみんながやるから使わないのではなく、みんながやるからこそ逆に個性を足したら面白いんじゃないかと思った時に、それをやっていたのがMIKAMIさんだったじゃないかと思って。
    ――スクールボーイを“スク~ルボ~イ”にすることでオリジナルの技に昇華させた先人です。
    須見 だからプロレスラーになって最初に磨いた技がスクールボーイでした。その上で、スク~ルボ~イを継承させていただきたいと申し出たんです。正直な話をすると、僕はファン時代、MIKAMIさんのことを見ていなかったんです。でもDDTに入って、周りからMIKAMIさんのようにやったらいいんじゃないの?って言われて、MIKAMIさんの動画を見てこれだ!ってなったんです。あとはデビュー1周年でMIKAMIさんとシングルマッチをやらせていただいて(2023年10月22日、後楽園ホール。スワントーンボムでMIKAMIの勝利)、スク~ルボ~イという技の凄さを知って、そこから頑張って磨き始めました。それまでは、飛び技の方が練習することが多かったんです。それこそリバース450°スプラッシュは、けっこう最初の段階でトライしていたんですけど、何回やってもできなくて。それで、これは無理だって一度は諦めたんですよね。そういう中でスクールボーイというシンプルな技があるよな、これはどう使ったらいいんだと思っていた矢先にMIKAMIさんからアドバイスをいただいて。
    ――スクールボーイに着眼したのも唸らされますが、まだ若手の頃からリバース450°スプラッシュというあまり使われない技が頭にあったというのも驚きです。
    須見 もともとファンの頃からファイアーバード・スプラッシュが好きで、プロになってからやろうと思っていたんですけど、MAOさんにやりたいんですけどどう思います?って聞いたら「絶対ダメ!」って言われて。なぜかというと、小さいやつが飛んでも面白くないだろうって。
    ――まあ、当たり前に映るでしょうからね。
    須見 それでMAOさんが「じゃあ、630°スプラッシュをやってみなよ。それだったら凄いってなるから」って言われたんですけど、無理無理!と思って。それで、じゃあどうしようかとなった時に、リバース450°スプラッシュという技があるからって教えてもらったんですけど、それも聞いただけじゃ絵が浮かばなかったんです。
    ――見たことがなかったんですね。
    須見 そうなんです。こうこう、こう飛ぶんだよと教わって練習を始めたんですけどまったくできずで。
    ――あれはエル・ブレイザーというマスクマンが「ライトニングストラック」という名称で使っていました。
    須見 それも知らなかったんです。調べて最初に出てきたのがウィル・オスプレイでした。そこで、日本人で使っている選手がいないから絶対にやった方がいいって思いました。
    ――それほど前から頭の中にあった技を、あのタイミング(9・28後楽園のいつどこ権を行使して上野勇希に挑戦した無差別級戦)で出したのは?
    須見 やらなかったんじゃなく、できなかったからです。本当に何度やってもできなくて実際、諦めていたんです。それで代わりというわけじゃないけど、ライオンサルトはずっと使っているんで、それにひねりを加えてみようと思ってやったらできた。ただ、10回やって10回ともできる気にはなれなくて、それも諦めて。それでスク~ルボ~イだけやっていたら、ある日の練習で「須見、飛び技練習してみて」って急に言われて、じゃあリバース450°もちょっと試してみるかと思ってやったら、できはしなかったんですけどはじめの頃よりも手応えを感じたんです。怖さもなければ高さにも慣れていて、それでもしかするとできるんじゃないかと思って練習を再開しました。だからあの試合の直前ですよ、できるようになったのは。
    ――そしてあれが、試合で出した一発目。
    須見 そうです。チョー怖かったですけど。後ろ向きだから距離は取りづらいし…というか取れないんで、信じるしかないんですよ。
    ――自分の目測を信じるしかない。
    須見 あとは「どうにでもなれ!」ですよ。
    ――いやー、その話を聞くとあれほどきれいに決まったのは凄いですよね。あの技一発によって、須見和馬というプロレスラーの評価がグンと上がったと思われます。そして1月3日のKO-D6人タッグ戦(MAO&KANONと組み、上野&To-y&武知海青に挑戦)がさらに爆上げさせる内容になりました。須見選手の動きが、あの試合ならではのグルーヴ感を生じさせたと思います。
    須見 いつどこを別とすると、あれが後楽園初メインだったんで緊張しましたよね。手応えはありましたけど、負けちゃったんで…隣にMAOさんとKANONさんがいるんだから、絶対に勝てると思っていたのに僕が負けてしまって、申し訳ない気持ちになりました。
    ――いやいや、あれほど後楽園を熱狂空間にしたんですから。
    須見 それ以上の自信になったのは、あれほど動いて、疲れて、それでも動けたことでした。リバース450°もかわされはしましたけど、形としては完ぺきだったし。
    ――疲れてからどれほど動けるかで、プロレスラーは自信がつきますよね。
    須見 やっぱりタイトルマッチだったりメインだったりすると、空気の違いだけで疲れるんだなって思いましたよね。あの日は入場しただけで、あれ? なんか疲れが…って思いました。それで最後まであれほど動けたのが手応えでした。だから、そこで自信をつけて臨めたのが、今回のD GENERATIONS CUPだったんです。ブロック分けの発表があった時点で、To-yさんが同じだったんで1月3日に負けた借りを返そうってなりましたし。まあ、公式戦は負けてしまったんですけど、今年は自分が優勝できるという確信もありました。
    ――下馬評では優勝経験のある正田壮史選手や、DDT EXTREME王座とKO-D6人タッグ王座の2冠王ということでTo-y選手が有利と目されていましたが、それでも自分を信じることができたんですね。
    須見 去年の僕はスク~ルボ~イしかなかったですけど、今年はリバース450°もあるわけだし、この1年間では自分が一番成長してきたという自信もあったので、絶対にいけると思っていました。でも、リーグ戦自体は自信があるのに、いざ試合となると不安になるという。それが逆に肩の力が抜けて、初めて試合中はずっと楽しいって思えたんです。それぐらいいつも緊張ばっかしていたから。それこそ1月3日の前日は寝られなかったのに対し優勝戦はちゃんと寝られて、大会が始まって第3試合ぐらいまでまったく緊張しなかったから逆にヤバいんじゃないかと思って、あえて自分にプレッシャーを与えた結果、試合中は楽しかった。
    ――確かに楽しんでいるのが伝わってくる動きでした。ただ、須見選手はデビュー戦の時点でそれが体から出ていた気がします。場慣れしているというか、はじめから動作がスムーズだったと記憶しています。
    須見 本当ですか? いや、実はデビュー戦もメッチャ緊張したんですよ。
    ――だから先ほどから緊張という言葉が出ると、ちょっと意外に感じるんですよね。
    須見 それで言ったら、やっぱり優勝できた瞬間が一番楽しくて、それで自分は何も緊張なんてすることはないんだっていうのが、このD GENERATIONS CUPで学んだことですね。
  • 本気の佐々木大輔と闘って
    勝たなければならない王座戦

    ――同じ世代の中で一番となったことに関しては?
    須見 それも自信につながりましたけど、プロレスって1位になることがゴールではないじゃないですか。リーグ戦が盛り上がったんだから、これから僕らでやっていくD GENERATIONS興行はもっと盛り上げないといけないという思いが強かったです。
    ――D GENERATIONS世代の選手たちって、どんな雰囲気なんですか。
    須見 シンプルに、みんな仲がいいです。仲がいい相手にこそ負けたくないってみんな思っているんじゃないですか。なんていうんですかね…こいつの全力を受け止めたい!っていう気持ちになるというか。100%の蹴りを受けたいし、その先に勝ちたいという思いもある。D GENERATIONSが熱いのは、それがあるからです。
    ――横のつながりと、向き合った時の闘いのバランスが非常に理想的だなと、見ていて思います。
    須見 そういう距離感が築かれているんでしょうね。人間関係的にギクシャクもしていないのに、ちゃんと勝ちたいと思えて、負けたら悔しいって本気で思える。相手に対するリスペクトをそれぞれに持っているから仲がいいんだと思います。
    ――須見選手は誰が一番、仲がいいんですか。
    須見 みんないいですけど…強いてあげるならTo-yさんと佐藤大地はよく話す方です。向こうはどう思っているかわからないけど。
    ――To-y選手とは円滑なコミュニケーションがとれている?
    須見 とれていると思いますよ。お互いが会話を流しているんで、何も気になることなく終わります。「今日は疲れましたねー」「うぃー」みたいな軽い感じの。
    ――そんな世代の選手たちを代表してDDT UNIVERSAL王座に挑戦するわけですが、よりによって相手が…。
    須見 D GENERATIONS CUPが発表された時点では、UNIVERSAL王者って上野さんだったんですよ。だから無差別級の時とベルトは違うけど、優勝したら上野さんとやれるんだなと思っていたら…まさかのこれですよ。ただ、後楽園の3WAYタイトル戦が凄かったじゃないですか。だから佐々木さんに挑戦するのも絶対に面白いなと思ったら、握手でだまし討ちを食らうわ、そのあとの前哨戦でも佐々木さんの強さを見せつけられるわで。
    ――巧さやズルさよりも強さを感じた?
    須見 強さでした。カリスマの怖さを知りましたね。優勝戦後、佐々木さんが出てきて「プロレスはガキの遊びじゃねえんだ!」って言われたから、自分はガキじゃないっていうことを見せつけてやるつもりだったのが、まったく相手にさえされなかった。だから、まずは佐々木大輔を振り向かせないとUNIVERSALも始まらない。これから前哨戦も続くんで、その中で振り向かせて、タイトルマッチでは本気の佐々木大輔と闘って勝たなければと思っています。
    ――カリスマはまだ本気を出していないと。
    須見 それは試合をやる中で嫌というほどに伝わりました。あの人が本気になったら、なりふり構わないことをやってくるはずです。今の時点でも怖さがあるというのは、そういう何をやってくるかわらないところなんです。それこそ、こちらの想像できないようなえげつないことをやれる雰囲気を常に出しているというか。僕はデビューしてから、自分よりも大きな相手と闘うことが宿命のような中でやってきました。だから、大きい人とやっても恐怖心は抱かないんですけど、自分とそう変わらない身長の佐々木さんこそそれを感じてしまう。相手がデカければ、やる前から「じゃあ、その攻撃を耐えればいいんだ」ってわかるものじゃないですか。佐々木大輔は、何をやったらいいか今の時点でつかめていないし、また何をやっても返されてしまう。ティヘラを出してもうまいこと向こうの技につなげられて、どう攻めたらいいのかも今の時点ではつかめていないのが正直なところです。
    ――2023年6月13日に浅草で1度だけシングルマッチをやっていますね。
    須見 まだキャリア7ヵ月ぐらいですか。その時って、タッグタイトルマッチの前哨戦か何かでTo-yさんがけっこう闘っていたんです。それを見て「うわー…こええ」と思っていて、案のじょうやったらまったく歯が立たなかった。その印象がいまだに残っている。向こうはそれを憶えていたから「ガキの遊びじゃねえんだ」と言ったのかもしれないです。
    ――UNIVERSALのベルトに関しては、どのような価値を持っていますか。
    須見 僕の中ではMAOさんがその価値を築いてきたベルトという受け取り方です。KO-D無差別級はDDTの強さを、EXTREMEはDDTの面白さを見せるタイトルで、UNIVERSALは他団体や外国人と闘うイメージ。だからこそ持ちたいんです。それこそ僕は、ずっとメキシコにいきたいと言ってきたし他団体の選手とも闘いたい。今のままメキシコにいってもただの日本人・須見和馬じゃないですか。でもチャンピオンだったら見方も変わるんで、その道筋を築くためにもこのベルトはほしいんです。それにDDTの中でも、僕が持てばD GENERARIONSの中でタイトルを懸けて闘えるじゃないですか。
    ――無差別級戦の時とは気の持ち方や目的意識は違うと。
    須見 無差別級の時はいつどこ権をその日に獲って、何も考えず勢いでいったんで、今回の方がやる前の緊張がありますよね。あの時は、無差別級に挑戦するイメージも何もなくて、どのベルトというよりも上野さんに挑戦する意識の方が強かった。今回は、タイトルマッチまでけっこう時間がある分、いろいろ考えちゃいますよね。本当なら、D GENERATIONS CUPに優勝して、パッと挑戦したかった。この期間、いらないよって思います。
    ――まあ、これがタイトルマッチというものです。
    須見 学校の受験を思い出しました。
    ――ましてや先ほど申した通りD GENERATIONSの代表として挑戦するわけですし、当日は団体の29周年記念大会ということで注目も集まっています。プレッシャーをかけるわけではないですが。
    須見 そういうことを言われて、To-yさんと話す時のように流すという。
  • 永井大貴とやるとなった時、
    同じ土俵で勝負したいと思った

    ――29周年大会でタイトルマッチをおこなうことに関しては?
    須見 どうなんでしょう…僕はファン時代、DDTを見ていなかったのでその歴史を意識することは普段もないんですけど。新日本プロレスさん、NOAHさん、DRAGONGATEさんは見ていたんですけど、DDTは三重(津市出身)に来ることがなかったから、見るタイミングがなかったんです。それでも自分でいこうと思ったのが18歳の時で(2021年12月18日)名古屋国際会議場までいきました。それが面白すぎて。
    ――どんな試合だったんですか。
    須見 クロちゃんの電流爆破デスマッチ(ディーノ&飯野&今成夢人vs大仁田厚&髙木&クロちゃんのKO-D6人タッグ戦)でした。あとは竹下さん(KONOSUKE TAKESHITA)との無差別級前哨戦で、大日本の岡林裕二さんが出ていましたね。
    ――それが初体験だったら、まあ面白く感じたでしょうね。
    須見 それを見てDDTにいこうと思ったんです。
    ――DRAGONGATEにいたのはそれよりも前だったんですか、あとだったんですか。
    須見 前です。DRAGONGATEを落ちたのでDDTにいったんです。落ちた時は途方に暮れましたけど、それでもプロレスラーになることを諦めてはいなかったので、そのタイミングでDDTを見てここだ!ってなりました。
    ――D GENERATIONS CUP優勝戦の煽り映像でも触れられていましたが「体が小さいから飛べるのは当たり前。でもその先がない」というのが落ちた理由だったそうですね。
    須見 はい。だからこそ、じゃあその先を見つけにいこうと思って、いろいろな団体を見た時に、DDTだったらその先を見つけられると思ったんです。
    ――先にDRAGONGATEに入ろうとしたのは、見ていたことが大きかった?
    須見 そうです。地元にも来ていたし、GAORAで中継をやっているから見る機会が多かったんですよ。DRAGONGATEって、体が小さくても動きがよければプロレスラーになれるっていうイメージがあるじゃないですか。でも、その中で自分も小さいから埋もれちゃうんですよね。だったら逆にデカい人が多いところでやった方が、小さいことで目立つんじゃないかって考えたんです。
    ――逆転の発想ですね。
    須見 僕はもともと、なりたいと思ったのがプロレスラーしかなかったんで、DRAGONGATEでダメだったからといって諦めるという選択肢はなかったんですよ。DRAGONGATEを落ちてDDTに入るまで半年ぐらいあったんですけど、自動車免許を取るためにアルバイトをしていたんです。でも、それが嫌で嫌で。DRAGONGATEはもちろん、練習でもなんでもキツかったんですけど、プロレスができない辛さと比べたら練習の辛さなんていくらでも我慢できるなって思って。そこでもう、好きなことをやった方が楽しいじゃん!ってなったんです。
    ――DRAGONGATEで同じ時期にいた選手となると誰になるんですか。
    須見 神戸の合宿所に入っていたのが望月ジュニア、加藤良輝ですね。
    ――へぇー、いつかリングで再会できたらいいですね。
    須見 はい、それを願っています!
    ――プロレスラーになることしか考えていなかったと言われましたが、入り口は誰だったんですか。
    須見 プロレスを見始めた小学生の頃はマスクマンにあこがれて、獣神サンダー・ライガーさんと(4代目)タイガーマスクさんがカッコいいなって思っていました。あこがれたのはCIMAさん。いまだに映像を見ただけでシビレます。プロレスを見るようになった時点で、もうなりたいと思っていました。
    ――じゃあ、最初になりたいと思った夢を達成できたんですね。
    須見 そうなりますね。警察官とか、消防士や医者、サッカー選手に野球選手とほかにもなりたいと思うことはあったんですけど、だいたい忘れちゃうんですよ。でも、プロレスラーになりたいという思いだけは忘れずにあったんです。にもかかわらず、中学1年の時点で130cmしかなかったし、運動神経も人よりなかったんでプロレスラーになるっていうことを恥ずかしくて言えなかったんですよね。それは高校に入ってからも同じだったんですが、進路を決めるとなった時に自問自答したらやっぱりプロレスラーになりたかった。それで、もう自分に嘘はつかないって決めて周りにも言うようにして、そこからトレーニングを始めたんです。
    ――器械体操というのは部活としてやっていたんですか。
    須見 そうです。それもプロレスラーになるために始めたんですけど、周りには「いや、ちょっと動きたくて」とか「バク転ができたらカッコいいから」とか言ってごまかしていました。僕の中では、完全にプロレスラーになるための土台作りのつもりでした。
    ――空手もやっていたんですよね。
    須見 小学2年から中3ぐらいまでやっていましたけど、それは親が習わせる形で。プロレスラーになるために始めたわけではなかったんですけど、僕がやっていた流派が寛水流空手だったので、それもあってプロレスを見始めたというのもありました。
    ――アントニオ猪木さんが水谷征夫さんと設立したあの寛水流空手!
    須見 でも、高校でも空手を続けようとはならなかったんですよね、アクロバティックな方にあこがれたので。
    ――進路を決める時、親御さんには理解してもらえたんですか。
    須見 一回、喧嘩しました。喧嘩というより、認められなかったんです。プロレスラーになると言い出した時に「なれるわけがないだろう」って言われて。それで体操の動画を見せたら「頑張っているな」とはなったんですけど「頑張っているからといってなれるような世界じゃないからな。まずは体を大きくしないと通用しないぞ」と。
    ――言っていることは的確です。
    須見 そうなんですよ。体操場にあるダンベルとかでトレーニングしても僕は全然体の厚みもつかなくて。それで、ちゃんとしたトレーニングをやらないと大きくなれないし、それには普通に街のジムへいって挙げるだけじゃ無理だからと、部活はやめてパワーリフターやボディビルダーがいるジムにいくからって言ったら「どうせ堕落するから」って受け入れてくれなかったです。それで喧嘩になったんですよね。だけど、しばらく経って父と2人で話した時に「プロレスラーになると言って、失敗したらどうするんだ?」と言われて「絶対に失敗しないから!」と答えたら、そこからは何も言われなくなったんです。トレーニングを続けていくと、何も言わなくても体つきに出てくるじゃないですか。それを見て、頑張っているんだなって信用してくれたんだと思います。
    ――それは、無条件で認めるよりもそういう態度をとることで発奮させようとしたのかもしれないですね。
    須見 ああ、そうですよね。頑張れよりも無理だって言われた方が、やってやる!ってなれたでしょうから。それで、高校を卒業して1ヵ月もしないうちに神戸へ入りました。7ヵ月ぐらいですね、いたのは。
    ――半年以上も続けば、あとはデビューを迎えるのみとはならないんですか。
    須見 最初は16人いて、5人残ったんですけど、その中で僕だけが落とされましたね。
    ――落ちたのは、プロテストのことですか。
    須見 プロテストの前に、練習生になるまでのハードルがあるんです。僕らは、肩書き的には新寮生。だから練習生にもなれなかったんです。
    ――厳しい世界ですねえ。
    須見 でも落ちた時は、そんなに落ち込まなかったんです。冷静というか、落としたことを後悔させてやる、俺はもっとすげえレスラーになってやる!って思えたんですよね。
    ――DDTに入門し、また違う文化の中に足を踏み入れるわけですよね。
    須見 最初は驚きました。東京まで出てくるから、まずは寮があって住めることでよかったって思ったんですけど、デビューした年の5月に入ったら、何もなかったんですよ。扉を開けたら、ベッドも洗濯機もコンロもない部屋で「今日からここで生活するんだ」と言われて。まだ新しい寮だったそうなんです。それで何もなかったという。あとから冷蔵庫や洗濯機も届きましたけど。あとは、寮から道場までとか新宿FACEや後楽園ホールに電車でいくのに乗り方がわからなかったんです。鉄道に関しては地元とまったく違いますから。それが最初のうちはキツかったですね。同じプロレス団体でこうも違うのかと思ったのは、神戸の時って一日がキッチリ決まっていたんです。朝8時に起きて、掃除、料理、練習、自由時間、また練習、就寝というように時間割があったのに対し、DDTはそういうのが何も決められていないんです。ちゃんと練習と興行に来れば、あとは自由だからっていう感じだったので、逆にそれ以外は何をやったらいいのかわからなかったですよね。とりあえずエニタイムフィットネスの契約をしにいって、住民票を移して…と、そっち系で疲れました。
    ――その時、一緒に住んでいたのは?
    須見 正田さん、瑠希也さん、石田さんと僕と、もう2人いたんですけどやめちゃったんで。寮の雑用とかも、6人のうち気づいた者がやるという感じだったんで、こんなに自由でいいのかなと思っていましたね。
    ――デビュー後、須見選手の存在がクローズアップされたのは2022年3月1日の「ALL STAR Jr. FESTIVAL」で予告なく第0試合に登場したのと、昨年6月9日の「新日本×DDT一面対抗戦」でヤングライオンの永井大貴選手と感情むき出しの闘いを繰り広げた2つが大きかったと思われます。特に永井選手とのやり合いによって、それまでの器用に飛び技をこなす選手というイメージから脱却した気がします。
    須見 永井大貴って、DDTにはいないタイプの選手じゃないですか。だからこそ、あそこでやるとなった時に俺は同じ土俵で勝負したいと思ったんですよ。ミサイルキックとかムーンサルトとか、そういうのはやりたくないって。逆にあいつがグラウンドや殴り合いに来たら、そこで自分は闘うんだって。空手をやっていたって言ったじゃないですか。最初は嫌いだったんです。なんで初対面の人を殴らないといけないんだ?って思っちゃって。それがいざ試合となって、相手に対しリスペクト心を持って闘ったら楽しかったんですよね。ああ、自分に足りなかったのはこれなんだと、そこで気づけたんです。だから、プロレスをやる上で闘いなんだということは常に意識してきました。
    ――ファイトスタイルによるイメージとは違う部分でありながら、ちゃんと持っていると。
    須見 やっぱり闘いがないと、プロレスじゃないよなって自分は思うんですよね。派手なことをやればお客さんは盛り上がりますし、やっていることも凄いんでしょうけど、派手なことをするのはほかのジャンルでもいろいろあるじゃないですか。じゃあ、そうではないところですごいことって何ができるんだろうと考えた時に、それには闘いが必要なんだなと。プロレスラーになってから、自分はなんでCIMAさんにあこがれたんだろうと考えたことがあって、当時の映像を見返したらやっぱり闘いがすごかったんです。蹴りも殴り合いも、相手に対する思いも…そこで、デビューして自分に足りなかったものがわかった。それと同じ思いを、永井と闘うことでまた実感したんですよね。あの試合からファイトスタイルも変えて…見た目は変わっていないように映るかもしれないけど打撃も強くし、動きの面でも闘いのための動きっていうんですかね。だから今回のタイトルマッチも、佐々木大輔に対する強い、怖いという気持ちをはねのけるには、それが絶対に必要だと思っているんです。
    ――かなり影響を受けたんですね、永井戦に。
    須見 受けましたね。改めて闘いを永井大貴が教えてくれました。
    ――DRAGONGATEでデビューできなかった人間が、新日本プロレスの選手とやる場が訪れるわけですからね。
    須見 それを言ったら、DRAGONGATEを落ちた人間がジュニアの祭典に出られたんですからね。あれはもう、一周回って緊張しなかったですけど。ああいう場に出るのって、初めてだったじゃないですか。だから何をやっていいかわからない中やっていました。なのでもう一度、ああいう機会があったら今度は本戦に出たいですよね。永井ともそうですけど、点と点が線としてつながる日が来ると思うんです。僕もそうですけど、永井もその日を望んでいると思うし。D GENERATIONS興行の時に「金髪はどこにいった!?」って僕のことを探すコメントをしていたんで(2025年11月11日、新宿FACEに参戦し、瑠希也に勝利)、本当は僕とやりたかったのがわかりました。ツンデレだなって。
    ――そういう物語として先につながることを、一つひとつ重ねてきているのはいいことだと思います。
    須見 そうですよね。その中で僕は、唯一無二のプロレスラーになりたいと思っているんです。もちろん、強いレスラーにもあこがれますけど「DDTには須見がいる」って言われるような…それはほかにはない色という意味で。他団体に出ても、常になんらかのインパクトを残せる須見和馬になります。
    ――サムライTVで須見選手のデビュー戦を放送した時、新人ゆえそれほどデータもないから「将来はスミに置けない選手になりますよ!」と私は実にテキトーなことをぶっこいてしまったんですが、本当に3年半弱でここまでのポジションに来たことを嬉しく思います。
    須見 ハハハハッ。僕はスミからスミまで会場を盛り上げるようになりますから。

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