3月23日、東京・渋谷区のAbemaTowersで記者会見が開かれ、首の負傷のため欠場中の樋口和貞がドクターストップのため引退することを発表した。引退試合は行わず、4月5日の後楽園ホール大会で引退セレモニーを行う。
団体として定期的に実施している選手の健康診断において、樋口は第一・第二頚椎の亜脱臼が確認され、医師より「コンタクトスポーツの継続は危険である」との診断が下された。これを受け、樋口本人、医師、団体で今後の現役続行の可能性を慎重に検討、協議してきたが引退という結論に至った。
樋口は「現在、首の負傷により欠場しておりますが、医師の診断の結果、首が限界を迎えており、 4月5日、後楽園で引退させていただきます。現状なんか自覚症状があるとか、そういうのは何もないんですけど、首だけが限界を迎えていた状態でして。こういう判断になりました。自分としてはプロレスをやりたかったなという悔しさもあります。しかし、このように早期発見できて、自分の足でリングを降りることが良かったとも思っております。本当にこのDDTのリングでは 本当にいろんなことがありました。活躍させてもらいました。ベルトも獲ることができました。本当に感謝しております。リングではもう生きることはできなくなりましたが、これからまた人生は 長く続いていくと思うので新しい一歩を踏み出して、今後とも頑張っていきたいと思っております。4月5日、後楽園ホール大会、自分はもう試合はできないので、引退セレモニーのみでリングを降りたいと思います。皆さま12年間、本当にありがとうございました」とコメント。
同席したCyberFight彰人取締役によると、昨年12月から今年1月に実施した所属、レギュラー参戦選手の定期的な首、頭部の精密検査で異常が発見されたという。彰人取締役は「第一・第二頚椎の亜脱臼という診断をされまして。通常ですと、首の亜脱臼をしていると四肢のしびれとか麻痺とかが出たりとかするなかで、自覚症状がない状態で発見されました。お医者さんと樋口と会社で、しっかり話し合いして、本人も続けたいという意思があったので。どうにか現役続行できる 仕方はないか、治療法がないかといろいろ模索しましたが、保存治療等では回復の見込みがなく。 手術して固定することは可能だけど、手術をしてしまうと、首の動きの制限が出てコンタクトスポーツや首に強い衝撃がかかる運動はできないということで引退という決断になりました。この発表のタイミングに関しても、本人と相談しまして、周念大会のビッグマッチが終わってからにしてほしいという本人の思いや強い申し入れがあったので、このタイミングになりました。僕らももちろんすごい寂しいし、樋口も急な話でビックリしているところもあるし、まだ気持ちの整理がつかない部分もあるとは思うんですけど、僕らはしっかり4月5日、樋口を送り出すことが僕らの使命 目だと思ってますし、何より樋口君がこれからのまだまだ長い人生、しっかり歩んでいるように サポートを 対談、引退してもサポートしていけるようにできればと思っております」と経緯説明。
CyberFight髙木三四郎副社長は「樋口和貞は私の友人から、ご紹介いただいて、このDDTに入ってきてもらったんですけども。本当に大相撲出身で、やっぱり豪快なファイトスタイルや、性格も豪快で、彼の豪快さに助けられたりした部分もありましたし。あとやっぱり2022年の KO-D無差別級の初戴冠から、DDTの強さの象徴としてDDTを引っ張ってくれた、DDTにとってかけがえない存在の選手でした。僕自身も突然のことで本当に驚いてはいるんですけども、本人も先ほど申し上げました通り、自覚症状がないというところで。ただやっぱりドクターストップというところで 受け入れるしかないと思ってはおります。。僕らとしては最後までDDTの選手、ファンのみんなで温かく送り出してあげることが僕らにできることだと思ってますので、どうか皆さんで送り出してあげてくださいよろしくお願いします」と語った。
4・5後楽園では樋口の希望により、メインイベントで「スペシャル6人タッグマッチ~ハリマオラストマッチ」(吉村直巳&中津良太&石田有輝vs勝俣瞬馬&梅田公太&岩崎孝樹)の一戦を行う。この試合について樋口は「このカードを会社に言って組ませてもらいました。自分の引退に 伴い、ハリマオも解散となります。それはもう本当にほかのメンバーとも話し合った上での結果で。本当にハリマオの3人には本当に世話になったんで。最後、自分と同期のDNAの1期生、梅田、岩崎、勝俣、そしてハリマオにいる中津。DNA1期生の雰囲気を感じてもらい、吉村と石田には新たな一歩を踏み出してほしいと思い、このカードを組ませていただきました。本当に皆さん 、快く受け入れていただいて本当に感謝しています」と話した。
北海道紋別市出身の樋口は大相撲・八角部屋を経て、2014年にDDTに入門。若い力が主人公となるDNAの1期生として、同年11月28日、梅田戦でデビュー。DNAの主力メンバーとして活躍し、2017年よりDDT所属に。2019年12月より坂口とのタッグが始動し、後に赤井沙希も合流し、新ユニット・Eruptionで活動。2022年7月3日、「KING OF DDT」初制覇を果たし、空位だったKO-D無差別級王座を初戴冠。2024年6月より、首の負傷のため欠場。昨年3・20後楽園で復帰する、同年5月25日、「KING OF DDT」で2度目の優勝。同年6月29日、クリス・ブルックスを破り、KO-D無差別級王座2度目の戴冠。同年8月31日、上野勇希に敗れ王座陥落。今年の1月から再び首の負傷で欠場していた。1・12品川大会が最後の試合となった。KO-D無差別級のほか、KO-Dタッグを4度、KO-D6人タッグを4度戴冠した。
以下、質疑応答
――発覚したときの心境は?
「ビックリしました。前の首の欠場から復帰して、また検査して、それで何もなければ完全復活と思ったところだったんで驚きましたね。でもまあ仕方ないなと、こればっかりは。受け入れることは納得はしてるんで」
――ハリマオ解散でメンバーに送る言葉は?
「かけたい言葉は試合後に言います」
―― 引退してからのビジョンは、今どうお考えでしょうか?
「今何も考えてないんです。本当にプロレスをするために北海道から出てきたんで。こうやって プロレスラーになれて、それで飯を食えてたわけで。本当にやりたいことをプロレス以外って言われると、なかなか出てくるものがないので。ゆっくり考えようかなと思ってます」
――キャリア12年のなかで一番思い出深い試合、シーン?
「これと言っては、なんかもうキリがないですね。本当にこの12年間すべてが、自分のなかでドラマティック・ドリーム・チームとはよく言ったもので。本当にいい夢を見させてもらったなと 思ってます」
――引退の決断はいつ頃されたんでしょうか?
「決断はそうですね。1月から欠場して、協議を重ねてですね。会社、お医者さんと自分と。本当にそれで決断しました」
――ハリマオとともにEruptionも思い入れのあるユニットだったと思うんですが、坂口(征夫)さんにご報告はなされたんでしょうか?
「しました」
――どういった言葉をかけられました?
「それは言わないです」
――発見された経緯は?
彰人「今回新たに、昨年から今のお医者さんのところで定期健診を行っているという形で。先ほどの僕の経緯で説明させていただくと、第一・第二頚椎は割と頭の一番近くで、首の付け根の部分で、なかなか発見されにくい場所みたいで。樋口君が前回欠場したときは、また違う症状で欠場してたのもあって。そこの部分が 昨年診断したときに亜脱臼してなくて、この1年の間になったのか、それともそれより以前になってて、ほかの症状で見過ごされてて、今回見つかったのか。亜脱臼したタイミングがいつなのか 正直ちょっと分かりにくい場所で。昨年1年間の間でしたか、それとももっと5年ぐらい前にしてたかって、ちょっと分かりにくい場所で。今回偶然発見できた。むしろ発見できて良かったというところで。これがこのまま見過ごして試合をしていたら、試合中に何かしびれが出たりとかっていう可能性も大いにあったので。早く発見できたのは本当に良かったなと思ってください」
――DDTのなかに残って、ほかの仕事をすることは考えていない?
「自分はやっぱりプロレスを目指してきたんで、本当に4月5日でスパッという感じです」
―ー昨日ハリマオがKO-D6人タッグに挑戦して、セコンドについて、彼らの試合をどのような気持ちで見ていましたか?
「負けはしたものも…やっぱり悔しい気持ちはあります。それ以上に自分が思ったのは、やっぱ 頼もしかったなって。本当にその気持ちですね。本当に大丈夫だなっていう気持ちになりました 」
――試合の前にはもう彼らに明かしてたんですよね?
「そうですね。彼らもそれなりの思いを持って試合に臨んだと思うんですけども。それは見てて伝わりました。こればかりは勝負なので、その結果云々はあるでしょうけど伝わりました。ハリマオ 4人、あの3人と組めて本当に良かったかなと思いました」
―― DDTに入って、成し得てきたもので一番思い出に残ってることは?
「やはり、KO-D無差別を1回目獲ったときが一番思い出深いですかね」
――なし得なかったことで思い浮かぶことは?
「今年でDDT29周年、来年30周年じゃないですか。リング上でこの団体の本当に上がってくさまを見たかったなって」









