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【インタビュー】10・18後楽園のUNIVERSAL戦を前に彰人が語る取締役とプレイヤーの狭間で「ナメられないため」と「彰人というストーリーを動かすため」

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  • 9・21後楽園ホールでアントーニオ本多を退け、DDT UNIVERSAL王座2度目の防衛に成功した新日本プロレス・田口隆祐に対し、次期タイトルマッチの相手を指名するGM代行としてリングに上がった彰人は、自身が挑戦すると口にした。普段は副社長という立場からタイトル戦線から一歩引いているスタンスだが、ここに来て自分がいこうと思ったのはなぜだったのか。プレイヤーとの狭間の中で日々思っていることを明かした。(聞き手・鈴木健.txt)
  • 入江さんが退団した時、自分のキャリアは
    全部DDTのために使おうってなりました

    ――彰人選手は副社長になってからは、今林久弥GMとともに最終的なカードを決める権限を持っている立場ですよね。
    彰人 そうですね。基本は今林さんに任せているんですけど、来られない時は僕がGM代行として物事を進めることが多いです。
    ――そういう立場にある中で、自分を出すタイミングであったり、動機、理由づけであったりというものが押し出しづらくなるものじゃないですか。それが今回は自ら名乗りをあげようと思って、実行したわけです。そこに関する見極めは、どういうものがあったのでしょうか。
    彰人 そもそも今回、田口選手をUNIVERSALのタイトルマッチにブッキングしたのが僕だったんです。一面対抗戦つながりで、ぜひDDTに上がってほしいっていうのもあったんですけど、それもあって田口さんがチャンピオンの間は、次の挑戦者はどうするとか普段は今林さんにやっていただいているやりとりを、僕が全部巻き取ってやりますっていう中で本多選手に決めたり、佐々木さんは両国で出てきましたけど、僕が決めていこうとしていた中で、初めは自分が名乗りあげようとかはなかったんです。なんなら僕がこの前の(9・21)後楽園で名乗りをあげた日も、まったく思っていなかった。でも、田口選手が東郷さんと防衛戦をやりたいっておっしゃって、DDT的には来月の18日に防衛戦をやりたいからその間にやってほしいってなった中で、1つ防衛戦がはさまるわけじゃないですか。本当であればこの人に挑戦してほしいという候補が何人かいたんですけど、誰がチャンピオンとして来るかわからない状態の中で従来のDDTの選手を、次のチャレンジャーはこの人ですってやることに僕の中で引っかかりがあったんですね。そこは心づもりというか、どっちが来るかわからない状態で自分が挑戦者でいるって、けっこうレスラーからしたら対策も含めてまあまあなシチュエーションになる。
    ――相手が決まらないのに挑戦者として誰かを立てるのにためらいがあったと。
    彰人 ええ。それでリング上で話を聞いた時に、僕は東郷さんとも若干縁があり、シングルも1回やらせてもらったことがあって(2025年2月15日、後楽園。雪妃真矢10周年記念自主興行)、これはここだなと思ってしまった。いや、むしろここしかないなと、とっさに言った形だったんです。
    ――ディック東郷の名前が引きになった。
    彰人 加えて田口選手とはこういう関係性ができた中で、かつこの状況を素直に受け入れて次の挑戦者として名乗りあげられるのは僕しかいないってなりました。あの短い時間の中でもだいぶ葛藤したんですけど、その思いが素直に出てきたということは、いくべきだよなって。ほかの選手に押しつけるのは申し訳ないと思うなら、むしろ僕がここで名乗りをあげなかったら田口選手がチャンピオンの間に自分でと言い出すことはなかっただろうなと思うタイミングでしたね。
    ――ベルトに自分が関わることの位置づけは、どうなんでしょう。
    彰人 そこは一レスラーの彰人として言うなら正直、ベルトを獲る意欲っていうのはもうなくて。ただそれが、DDTがよくなったりとか、DDTのためとか、僕が獲ることによってDDTに変化が起きるのであれば積極的に獲りにいきたいと今でも思っています。レスラーとしてのステップというよりは、DDTのためになるなら動くっていう感覚でずっといる状態で、今まではあまりベルト関連に名乗りをあげなかったのも…まあ立場的に、名乗りあげにくいっていうのもあるんですけど、それ以上に自分が動かなくてもほかの若い選手たちで盛り上がっているなら、自分が出る幕じゃないなっていう感覚が強い。でも今回に関しては、ここで自分が名乗りをあげるのがベストだと思えた。
    ――立場上、ほかの選手たちにチャンスを与える方が優先されるようになった中で、プレイヤーとしてのモチベーションの持ち方はどんなものになっているんでしょう。
    彰人 プロレスラー個人のモチベーションは、単純に「ナメられないため」です。これは DDTのレスラーにも若手にもそうだし、他団体のレスラーにもナメられたくない。自分がナメられる=DDTがナメられるだと思っています。どんどんDDTの中の立場ができてきた中で、レスラーとしてもそうだし裏方としても、マネジメントもDDTを代表する人間になって、自分がナメられちゃったらDDTがナメられることだという思いになった。だからそこが、今の一番のモチベーションですよね。ナメられないために試合のパフォーマンスを向上させる。他団体の選手やDDTの若手と当たった時も、ナメられない試合をする。
    ――実体験として、ナメられたと感じることはあったんですか。
    彰人 これは誰かを特定するわけじゃないんですけど、経営方や裏方に入ってコンディションが落ちてリング上のパフォーマンスが低下するケースってあるものじゃないですか。実際、それを若い選手が見て「動きが悪くなったよね」って言っている姿を見かけことが何度かありました。その時、そういう対象にはなりたくないし、こんなに哀しいことってないなと思ってしまって。もちろんその団体のために、その方は頑張って裏でも表でも尽くしているのに、やっぱり試合をメインとしてやっているレスラーからしたら、コンディションが悪くなったというイメージで映る。そうなるのはよろしくないなという自分に対する戒めですよね。
    ――一プレイヤーとしての野心のようなものからは卒業しているということですか。
    彰人 そうですね。アメリカにいきたいとか、新日本プロレスに参戦してBEST OF THE SUPER Jr.に出たいとかは、それがDDTのためならやるし、そうじゃなければ別に欲もないっていう感じになりました。
    ――それは副社長に就任したタイミングで?
    彰人 そこが大きかったですね。もともとは、入江(茂弘)さんがフリーになった時が一つの転機で。ずっと名古屋でデビューした時から一緒にやってきた選手が、DDTは好きだけどDDTにいることによっていろいろ縛られるものがあるからと、一レスラーとして成功するために、大きくなるために退団という道を選んだのを見て、自分はその選択ができるだろうかと思っちゃったんです。僕はやっぱりDDTが好きだし、DDTと一緒に大きくなりたいし、DDTのためにレスラーとしていたいって思っちゃうんで、入江さんのような欲の持ち方は僕にはできないんだろうなっていうのを思ったあたりから、DDTのためにできることってなんだろうと考え始めるようになった。それをずっと引きずってきた流れで取締役副社長になるタイミングが来て、これからの自分のキャリアは全部DDTのために使おうってなったんです。
    ――副社長の座を引き受けたのも「DDTのために」が最優先された?
    彰人 そうです。当然、それを受けて裏方に回る時点で、ある程度プレイヤーとしての制約が生まれるわけですけど、それは承知の上だったし。最初はDDTという団体が好きなのではなく、男色ディーノという人と仕事をしたいが動機だったんです。その後、DDTの空気がいいなと思って、改めて男色さんと一緒にやりたいなと思って2013年にスポルティーバ・エンターテイメントを退団し、DDTへ入団してから 10年ぐらい続ける頃に、団体愛の方が大きくなっていました。自分の中では、プロレスというジャンルのすべてを体現できる団体と思えことで、愛が生まれたんだと思うんです。
    ――レスリングという個人競技をやっていた人間でありながら、団体という全体による価値観に惹かれたというもの興味深いです。
    彰人 根本的に僕の性格が体育会系じゃないんで。レスリングもなんとなくやりたいだけで、体育会系の最高峰みたいなところに飛び込んじゃったんですけど、それによって高校時代にちゃんとした青春ができなかった。部活しかしてなかったので文化祭にしっかりと取り組んだこともなかったし、彼女と自転車の二人乗りとかザ・青春というものを経験もしていなかったんですよ。でも、高校時代の青春は取り戻せないし、それをうらやましいと思う部分が残った中で、DDTって文化祭に近いと思っているんです。だから、その頃できなかった青春を今になって毎日のようにやれるっていうのは楽しいし、大きいなことで。大人になってまで青春をずっとやらせてもらっている感覚なんですね。
    ――しかもそれを仕事としてできる。
    彰人 そうそう。副社長になってからは、文化祭の実行委員をずっとやっている感覚。バックボーン的にも大学時代は髙木さんと同じルーツというか、イベントサークルを自分たちでやっていたっていうのもあって、性分的には好きなんですよ、そういうのをやるのが。だからすごくフィットしたのが大きいですよね。
  • 一面対抗戦よりも前から田口選手には
    DDTに上がってほしいと思っていた

    ――一面対抗戦の流れで新日本との関連性ができた上での田口選手だったわけですが、その意味ではほかの新日本の選手でもよかったわけじゃないですか。田口選手をブッキングしようとなった決め手はなんだったんですか。
    彰人 田口さんは新日本のリングでお尻を出したり自由な闘いをしていて、まあDDTと比較的近い方じゃないですか。ほかの選手とは違った感性をそこに感じていて。その中でYOHさんはDDTに上がっていただいて接点がちょっとできたのに対し、田口選手はなかったんですよね。それこそApollo 55(プリンス・デヴィット=現・WWEのフィン・ベイラーとのコンビ)として飯伏幸太&ケニー・オメガとIWGPジュニアタッグを争っていた時代まで遡らないと出てこないぐらいなんですけど、それとは違うバラエティーの部分も含めての交流って意外となかった。新日本プロレスさんでも最近はベルトに絡んだところを見ていないよな、でもこの人は、まだまだ隠しているだけで技術的にも体力的にも全然やれる方なんだろうなって、はたから見て思っていたのもあって、田口さんにDDTでベルトにチャレンジしていただけないですかって打診したら快く受けてもらえた。なんなら隠していたものを一気に開放するように、新日本プロレスでやらないものも見せていただけている。よかったなって正直に思いますよね。
    ――ということは、今年の一面対抗戦で直接絡む(YOH&田口vsMAO&彰人の目隠し尻隠しルール)よりも前から、その存在が頭にあったんですね。
    彰人 ありました。田口選手にDDTへ上がってほしいと、ずっと思っていたんです。その上で、一面対抗戦で触れてやっぱりこの人はちょっと普通じゃないな、もっとDDTの世界観に入ってみたら面白くなるなっていうのが、目隠ししていてもわかりました。
    ――見ずしてわかるという田口隆祐の凄さよ。
    彰人 この人、ただ者じゃないオーラが伝わってきました。入場からして、やられたとなりましたから。YOHさんが持ち込んだコスチュームで変態仮面みたいな格好で現れて。MAOと2人で「やられた!」っていう顔をしているんですよ。これってDDTの土壌のものじゃん、それこそ「これはナメられたら困る」ですよ。そこでMAOにどうする?って振って、じゃあ俺らは脱ぐかとなって2人で脱ぎ出したんです。
    ――やられた→ナメられたくない→じゃあ脱ごうという流れが、もうね。
    彰人 お尻を出しちゃいけないルールなのに、すでにお尻を出しちゃっているじゃないかっていう話なんですけど、これは完全に仕掛けられたと思って。だったらナメられたくないので対抗して脱ぐという流れは、僕らからすればそれで当然ですよ。まあそこで、田口隆祐というプロレスラーは尖ったものを持っているという認識になりました。
    ――ただ、その時の「やられた」要素とタイトルマッチとでは別のシチュエーションです。それでもタイトルに絡ませたのは、それ以外のところも持っているからだと。
    彰人 そうです。もちろんものすごくスキルがある選手で、ずっと新日本でやられている方を須見に当てたのは、若い子に経験してほしかったのが大きかったんです。彼らに新日本プロレスというものを体験してほしい思いもあったし。
    ――結果、見事なまでのプロレスで須見選手からUNIVERSALのベルトを奪いました。
    彰人 見事でした。田口さんの懐の深さというか正直、完封だと思っているんですよ、あれは。リング上の表現力、支配力を含めての完封勝ち。
    ――須見選手とのタイトルマッチが決まった時のマイクによる「踏み台になる」発言も秀逸でした。
    彰人 僕はそれが嬉しかった。DDT的には外敵でありながら、自分の団体でできない表現をウチでやっていただいている。今が全盛期というわけではないですけど、全盛期を取り戻したかのような生き生きさがそこにある。その上で、DDTに対するリスペクトも感じるんですよね。だから今回も外敵からベルト獲り返してやろうというような感覚もなくて、DDTというものを使って息を吹き返し、また輝いてくれるのは、自分があこがれたDDTがそういう場だっただけに嬉しいんです。
    ――超日本プロレスにおける、髙木三四郎の永田裕志選手に対するアプローチの仕方と同じようなものですか。
    彰人 ああ、そこはけっこう僕の中にあることで、髙木さんが超日本プロレスというパッケージを持つようになって、その中でベテラン勢を輝かせているのを見て、これってDDTのよさなんだから、DDTの中でもできることだよなという思いがあった。それもあっての田口さんというベテランに上がってもらうというのは、確かにありました。順当という言い方はアレですけど、普通ならYOH選手、須見とやってくださいっていうように今、トレンドの人をチョイスすると思うんです。でも、それは違うなと思って。
    ――結果、バチ当たりするという。
    彰人 チャンピオンになってからの防衛戦を見ても、DDTのファンが田口隆祐を見に来ているのは明らかじゃないですか。ちゃんと受け入れられているし、その上で自分の団体で防衛戦をしたいとか、あそこまでやってくれるとはさすがに思っていなかった。UNIVERSALのタイトルのコンセプト自体がDDT を世界に、他団体に発信するためのベルトだったので、それに合っているからこれは全然ありだろと思ってしまって。
    ――田口選手、通常の試合でもちゃんとUNIVERSALのベルトを巻いてきますからね。
    彰人 いや、本当に田口選手でよかったと思いますね。ただ、今回に関しては前日まで田口さんとやるのか東郷さんとやるのかがわからないわけですけど、僕自身はそこに関してプレッシャーに思っていなくて。それは両選手に思い入れというか、ちゃんとそれぞれに対する感情があるからなんですけど。僕の師匠格に当たる人は3人いて、一人は名古屋時代で今井計(現・刃駈)。東京に出てきてからはHARASHIMAさんとヤス・ウラノさん。HARASHIMAさんは技術というよりはレスラーとしての心の持ち方とか、試合やコンディションに対する取り組み方っていうところを教えてもらって、プロレスの技術やスタイルを教えてもらったのはウラノさんだったんです。その自分の師匠にあたる存在の師匠さんがディック東郷。そう思った時、東郷さんに「ウラノはいい弟子を持ったな」「いい弟子を育てたな」って思われたいっていう意識がかなり強かった。そういう中で、去年の2月に雪妃さんの自主興行でシングルマッチをさせていただいて、新日本プロレスでは見せないレスリングマスターとしてのディック東郷に触れることができてこの年齢、このキャリアでコンディションがよくて、技術も衰えていないのは凄まじいなとなった。それでやっぱり、ここを超えたいと思ったんですよね。師匠の師匠をどこかで超えたいと思っていたら今回、偶然にもその名前が出たのであれば、自分で名乗りをあげればその次が実現する可能性が出てくる。仮に田口選手になったとしても、田口選手は長期欠場明けからアンクルホールド使うようになったんですよね。そこから磨いてギブアップを獲れる技にまで昇華させたから、今の田口選手の幅広いプロレスがある。僕もデビューしてから一貫して脚攻めしかしていない。同じ脚殺しの使い手としてチャレンジしたいところが大きかったんです。自分はタイトルマッチに出ることもそんなにはない中で、一レスラーとして業界的にはまだまだ知られていないと思っていて。でも田口さんとタイトルマッチをやることで新日本プロレスのファンの方やプロレス業界の方に、こんな特異性のあるレスラー、脚攻めのスペシャリストがいるんだっていうのを見せて、それがDDTのためにつながるとも思っている。自分のスキルを最大限に披露する場になるなとは思っています。
    ――どちらが出てきても、自分にとっての強いテーマがちゃんとあると。
    彰人 そうですね。だから本当にどっちも歓迎だし極端な話、前日のタイトルマッチ(新日本プロレスの石狩大会で開催)が引き分けに終わって、翌日に僕が入った3WAYマッチでやれないかなと思うぐらいにいずれともやってみたいです。
    ――雪妃選手は東郷vs彰人戦に職人同士のプロレスを期待して組んだと思われます。
    彰人 雪妃さんのためにというのも、もちろんありましたけれど単純に僕自身が楽しかったです。どういう意図で組んで、どんな試合が見たいですか?と雪妃さんには聞いていたんです。そうしたら「私、東郷さんの試合を生で見た時に、あまりにも美しすぎて涙が出たんです。だから、そういう試合をしてください」って言われて。
    ――美しいプロレスというのは、またハードルが高いですね。
    彰人 でも「彰人さんなら私が望んでいるものをやってくれると思います!」と言われたんですけど、雪妃さんが東郷さんの試合が美しいと思ったことはわかるんですよね。だからこそ、僕自分にとってディック東郷に求めるものを引き出す試合を誘導しようというテーマで取り組んだのを今も憶えています。試合後、雪妃さんに「素晴らしかったです!」って言っていただいたんで、間違ってなかったという確信も持てましたし。
    ――いやいや、あの一戦は本当に染みる作品でした。雪妃選手の時も、この前の上野勇希がプロデュースした青木真也選手、HARASHIMA選手との3WAYマッチのように、彰人というプロレスラーに求めるものが明確にある、そういう存在になれていますよね。
    彰人 なんだかんだで、そうですね。逆に言ったら、そういうものを求められない限りは自分から動かないところもあるんですけど。
    ――もっとそういうものをバンバンに出すようなポジションになってもいいと思います。
    彰人 僕は他人にネジ巻く方が好きみたいで。裏回しというか、このタイトルマッチだったら君はこういう気持ちにならない? この人とこうなったら面白いでしょ?と、裏で操作する方が楽しさを覚えられる。焚き付け役ですよね。
    ――ある意味、髙木三四郎に近いですが、そこは間近で見ていて影響を受けているものなんですかね。
    彰人 髙木さんですか? 僕はむしろ影響はないと思っていて、どちらかというと髙木さんの逆をやろうって思うことの方が多いです。髙木さんはアイデアマンだし、勝負師であり、仕掛け人だと僕は思っているんですけど、髙木さんが考えた勝負どころや仕掛けって、文脈がないことの方が多いというのが僕の見方で。自分が見たいから、これって面白そうだからやる。だけど、そこに文脈が乗っかってきた方がもっと輝くから、自分はどうそこに文脈をつけるかを考えるようになりました。そこはバランスをとるというか、髙木さんができないことを僕がやる感覚でやっているところが大きい。やっぱりかなわないですからね、同じことをやったら。ああいう企画は自分の頭では出てこないし、こんな発想は持てないと思うからこそ、違う角度でアプローチしているんですけど。
    ――自分以外の人たちを動かせる立場になったことは、若い頃からいつかそういう分野に手をつけたいという願望があったんですか。
    彰人 それは考えたこともなかったです。でも、立場ができてステップアップしていく中で、自分がやるべきことってこれだなっていう気づきがありました。それは、選手たちが信頼を置いてくれたことが大きかったんです。なんでも僕に聞いてくれるというか。選手だけでなくスタッフ、社員もそうなんですけど、なぜそうしてくれているのかって考えると、僕が試合も普通の業務も全力で取り組んだ結果なんだろうなっていうのをすごく感じる。
    ――髙木三四郎やスーパー・ササダンゴ・マシンの一面対抗戦、マッスルのように、自分の器を持っている人たちを見て、彰人選手も持ってみたいと思うようになったんですかね。
    彰人 ああ、DDTが自分の器だとするなら、そうですね。正直、副社長になるまでは何をやるにしても自信というものを持てなかった。だからこそ、自信をつけるために24時間プロレスのこと、DDTのことを考えて生きているって胸を張って言えるぐらいやろうと思ったんです。
    ――立場が自分を変えた?
    彰人 そうなりますね。それこそナメられないようにという部分につながってくるんですけど。たとえば、僕は仕事が忙しいから練習できないっていうのは甘えだと思っている。仮に若い子で飯がまだ食えなくて、そのためのアルバイトをしているから練習がおざなりになりましたって言うなら、僕は甘えだと思う。いや、でも食えないからバイトしなきゃいけないって言うんだったら、だって俺はやってんじゃんっていうのを見せたいと思うし、実際に言うし。練習を休む子がいたら、俺はこれだけ副社長として働いた上で夜に時間を見つけて道場にいって、夜中まで練習しているよ、別にやれるんだよ。なのに、なんでやらないの?って聞いたら、文句が言えないじゃないですか。大仰な言い方をしたら背中を見せるということになるんでしょうけど、そのために練習をしているようなものです。
    ――背中を見せる立場になったんですねえ。
    彰人 それこそ練習量でいったら、明らかに今の方が二十代の頃よりしています。年齢による心身的なコンディションの低下はありますけど、練習量やパフォーマンスのクオリティーでいったら、二十代の頃より衰えているとは思えない。それぐらい、現時点でのパフォーマンスに関しては自信を持てているんで。
  • 愛プロ20周年大会で長男として
    ベルト姿を見せるためにも…

    ――2024年4月26日に上野勇希のKO-D無差別級王座に挑戦した時、DDT現世代を体感したわけですが、そこでの手応えはどんなものだったんですか。
    彰人 全然やっていけると思いました。上野くんが勝った試合ですけど、フィールドでいったら自分の世界観にしたとは思えたんで。あれほどのスキルのある今のトップ選手を引きずり込んで、自分の世界観でやれたのも自信につながりましたし、スタミナ的には終盤シンドくなりましたけど体力的に息が上がって動けなくなって負けたかといったらそうじゃなかったんで。だから、普段はほかの選手に任せる立場にはなっても、いつでもいける準備をしていることに意義があるんです。今日、タイトルマッチをやってよと言われてもできるためのことを常にやっている。これはHARASHIMAさんの教えです。いつ代打でタイトルマッチに出ても、いいコンディションでいなきゃいけないよと。
    ――実際、HARASHIMA選手は飯伏幸太選手が出られなくなってその日の朝に坂口征夫選手の無差別級王座に挑戦することになり、見事なタイトルマッチを見せたことがありました。
    彰人 だから僕は、そういうことをちゃんと教えてくれる人に恵まれたんです。
    ――名古屋から東京へ出てきた時は、数年後の未来さえどうなるかわからなかったですが、それがこういう形になっていることをどう受け止めますか。
    彰人 僕はスポルティーバに入団する時点で「プロレスで飯を食っていく」って宣言したのを今でも憶えています。斉藤涼オーナーと面接した時に「君はプロレスで何になりたいの? プロレスによってどうしたいの?」と聞かれて、そう答えました。そうしたら「プロレスって飯食えないから。食える選手はメジャー団体の一握りで、インディーでやっている選手は手に職をつけてプロレスと並行してやっている人間が多い。それってかなりハードルが高いことだけどやれんの?」って振られて「やりますよ。今、プロレスで飯を食っていくって宣言しましたから」と答えたら、面白いやつだなって思っていただけたみたいで、明日から練習に来なよと入れてもらえた。スタートからそういう意識はありましたね。
    ――それを最初の時点で言えたというのも大した若者だと思います。
    彰人 プロレスで飯が食えるようになりたいから、踏み台にしていいかみたいな悪い話なんですけど「そのためにいつかは東京へいきますけど、いいですか?」まで言いました。でも、オーナーは「いいよ。ステップアップして東京にいって大きくなってくれたら。君がそこまでの人間になるならウチはかまわない」って言ってくださったんです。
    ――斉藤会長…熱いですね。
    彰人 「そのためには全力でサポートするし、ウチからそういうレスラーが出たっていうのが一つの実績になるから」ということで、東京へ出ていく前提で入団させてもらった。ただ、今思うと何も考えていなかったし、業界のこと知らなすぎたし、尖っているから言えたんですよね。僕は新日本プロレスや全日本プロレスやNOAH、闘龍門ばかり見ていて、プロレスだけで食えていないインディー団体の試合は動画でしか見ていなくて現状を知らなかった。
    ――副社長という立場になることで、若い時に言っていたプロレスで食うことが保証される立場になれました。
    彰人 東京に出てきてからも、プロレスで生業を立てたいというのは意識の中にずっとあったんですけど、それが“プロレスラー”か“プロレス”かで切り口が違ってくる。それこそ入江さんの時に気づいたんですけど、僕はプロレスラーとして飯を食うんじゃなくて、プロレスで飯を食いたい人間なんだって、あの時に方向転換できたのは大きかったです。
    ――それがなかったら、プレイヤーに固執していたかもしれない。
    彰人 そうなんですよ。入江さんのような人がいなかったら考えることなくキャリアを積んでいたかもしれないし、あの時に考える時間を与えてくださったのが大きかった。
    ――どちらがチャンピオンとして目の前に立つかはともかく、勝てばDDTのチャンピオンを務めていく立場になります。
    彰人 そこに関しては、やっぱりUNIVERSALのコンセプトは大事にしようと思っています。もともとは外に向けたベルトという位置づけだった中で、僕は今の立場があるし、他団体から出てきた人間っていうのもあって自分のコネクション使って外の人間と防衛戦を重ねることで、DDTを周知させていきたいというのは今の時点で明確にあります。
    ――自分が外に出るのと、外の選手をDDTに招へいするのを並行していくと。だとすると、外に向けてよりアンテナを張らなきゃいけなくなりますね。
    彰人 そうですね。僕がベルト持たない限り、外と勝負することってないと思うんですよ。だから、外と勝負するための一つのツールとして持ちたいっていうのはあります。それこそ入江さんと僕が今後のプロレスキャリア中で試合をする可能性って、高いか低いかで言ったら低いと思っているんです。でも、UNIVERSALのベルトを持てば自分で入江茂弘を挑戦者にするのが可能になる。やっぱり自分が発言権というか、個を出していいのはベルトを持った時だと思うので、そのためにも巻きたいと思っているんです。
    ――これまで人を動かしていた立場の人間が、自分を自由に動かせる権利があのベルトにはあります。
    彰人 僕はこの数年、彰人というストーリーを動かしてこなかった。それを動かすためには、ベルトがないとなっていうのがある。名古屋つながりという物語を描くのであれば、阿部史典ともやってみたいというのがあるし。去年(6・7品川)に高鹿と組んで阿部と野村卓矢選手のKO-Dタッグに挑戦した時、試合後にリング上でもう一回阿部とちゃんとした試合をするためにも、もうちょっとだけ頑張るよとリング上で話したんです。
    ――名古屋時代からつながる物語を、今のDDTという器の中で作品として提供できるようになれたら、あの頃を思うと…ってなりますよね。観客が数えるほどしかいないスポルティーバアリーナのリングでやっていた者同士のプロレスが、人を引きつけるものになるんだという。
    彰人 みんなが活躍するごとに物語として成長していっているのは嬉しいです。阿部は斉藤オーナーを「オヤジ」って呼ぶんですけど「オヤジが鼻高々に語れる存在でありたい」ってよく言っている。それは、あの頃の名古屋にいた人間も、そして今の名古屋を支えている選手たちもみんなが思っていることのはずです。スポルティーバでデビューしてよかったなと本心で思えますし、あの頃にプロレスのいいところも悪いところも、業界のいいところも悪いところも全部見たと思っているんで。初めの時点で理想的な部分だけでなく悪いところを全部見せてくれたのが、今となってはよかったんです。
    ――理想論だけではやっていけない現実をちゃんと学べた。
    彰人 その上で、どう這い上がっていこうかを考えさせてくれたのは大きかったですね。
    ――11月1日に、自身がデビュー戦をおこなった大会「愛プロレス博」が20周年記念大会を開催し、彰人選手も出場します。
    彰人 青木真也がスポルティーバの大会出るって…なかなかですよ! 過去に長島☆自演乙☆雄一郎さんが参戦されたことがあったんですけど、青木真也と自演乙の両名が出たことがあるローカルプロレス団体って、まあないでしょう。そのスポルティーバができるきっかけになった愛プロが20年続いたというのも、実家を守ってくれているなあと思います。斉藤さんが、もうやめようかなと弱気になっていたことは何度もあったんですけど、その都度にちゃんとケツを叩いてよかったなというか。名古屋へ帰るたびに会いにいくんですけど、時には弱音を聞かされるんです。名古屋でその苦労を見ている選手やスタッフには「また彰人がケツを叩きに来て焚き付けている」と怒られるんですけど、それもあって続けてくれているのはありがたい。帰る家がそこにあるっていうのは何ものにも代え難いですから。
    ――阿部選手も同じことを言います。
    彰人 一度はスポルティーバアリーナも閉鎖して、実家がなくなった時の寂しさをみんなが知っているだけに、思いは同じなんですよね。
    ――その実家を守ってくれているオヤジさんにベルト姿を見せるのも大事ですけど、今現在、名古屋で頑張っている未来ある選手たちに見せることも大切だと思うんです。
    彰人 そうですよね。清水(佑)や大舘(裕太=全盲のレスラー)、名島アリたちが守ってくれているのもありがたいし。これまで僕はそういうことができていなかったというか、EXTREMEを獲ったことはあれど岩本煌史のように(全日本プロレスの)世界ジュニアヘビー級のベルトを誇らしく持って帰るというのはしたことがないので、一度ぐらいは長男としてしなきゃいけないですよね。ちょうど最近、オーナーと一緒に飲んだ時にデビュー戦の話になってあの時、大谷晋二郎さんとできてよかったってなったんです。僕はあまり表立って言ったことはなかったんですけど、大谷さんがケガをされてからSNSとかで触れなかったんです。それは、どういう言葉を出しても薄っぺらくなると思ったからだったんですけど、会いにいけていないのが自分の中でまだ引っかかっている部分で。でも今、大谷さんを目の前にしたら号泣して喋れなくなっちゃう気がして。これを見たら逆に大谷さんは苦しいし、嬉しくないだろうから会いにいけないっていうのがあるんですよねって、斉藤さんに話をしたら「いや、俺もなんだよ。俺もケガした時に何かコメントを出したくても出せなかったし、まだ一回も会いにいけていないから、彰人が何かを成し遂げた時でもいいし、スポルティーバとして何か成し遂げた時に2人で一回会いにいこう」ってなって…大谷さんも愛プロの歴史を作ってくれた方だと思っているんで。11月の20周年大会は現地に来ていただくのはやはり難しいので、映像をどこかのタイミングで大谷さんに見ていただきたい。やっぱり届けたいんです。DDT とはまた別の話ですけど、スポルティーバでやっていることを届けたい。
    ――その映像の中に、ベルト姿の自分を入れたいですよね。
    彰人 そうですね。ベルトを巻きたいという欲はなくとも、ベルトを巻くことの意義は持っているので。DDTのためにと同じように、自分ではないものに対する思いでプロレスラーは動けますから。

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