「僕はアメリカ来て楽しかったことっていうのは一つもないです。プロレスをやる楽しさっていうものは捨てましたね、僕の中で。」
子供の頃からプロレスが大好きで、プロレスラーになるために大阪プロレスのプロレス教室に通い、DDTに入門して高校生で日本武道館でデビューした竹下幸之介がアメリカに主戦場を移して2年。穏やかな表情ながら、プロレスで楽しいと感じることはない、と言い切るのを聞いて衝撃を受けた。プロレスが楽しくて、ずっとプロレスラーになるために努力してきて、自分が楽しくないとお客さんも楽しくないだろうと信じてやってきたあの竹下幸之介が、である。
そんな竹下幸之介は5月19日日曜の松井レフェリー30周年記念大会で、鈴木みのるとのシングルマッチに臨む。鈴木みのるとはこれまで一切リング上での接点はない。
竹下は今までも松井さんの興行で2014年の飯伏幸太戦や2016年のZERO(現HUB)戦といったいくつもターニングポイントとなる試合を組まれてきた。今回に関しては松井さん興行に鈴木みのるが出場することが先に決まっており、「鈴木さんのカードが決まっていないんだったら僕がやりたいです」と竹下が立候補したという。
「鈴木さんがアメリカで戦っている姿をAEWでも身近で見たり、インディー団体のショーで一緒になったりする中で学ぶことが凄く多かったんですよ。ファイトスタイルやプロレス観は僕とは違うんですけれど、プロレスラーとしての生き方、語弊があるかもしれないけれどビジネスとして生き抜く術がやっぱり凄い。日本でもアメリカでも、絶え間なく呼ばれるのがいかに凄いことかっていうのは、今の僕のキャリアと環境になってわかりました」
渡米から2年、AEW所属になって1年半。ケニー・オメガに勝利したりウィル・オスプレイと名勝負を繰り広げたり最近ではジョン・モクスリーの持つIWGP世界ヘビー級に興味を示したりと、間違いなく世界トップレベルのただ中にいるだろう竹下だが、今の自分の立ち位置は予想外に良かったことと、思った通りにはいかなかったことの半々だという。
「行くまでは実力でカバー出来ると思っていたんです。とにかく実力さえあればなんとかいけると思っていたんですけれど、そうじゃない部分がやっぱりこっちで勝負するとなるとある。アメリカ人が見ているTVに出演するわけで、差別というのとはまた違うんですけれど、どうしてもアジア人が出られる枠というのは少ない。どれだけ僕がコンディションが良くて、どれだけ試合が組まれたらみんなにグッドマッチだって言われたとしても、いわゆる野球で言うところのスタメンにすら入れてもらえないという感じなんですよね」
5月6日に日本武道館で開催されたALL TOGETHERで、竹下はメインイベントの6人タッグマッチに出場した。各団体の若きエースが揃う中で竹下の存在感は誰が見ても圧倒的で、そして孤高だった。
「みんな楽しそうにプロレスしてんなと思いましたよ。僕はアメリカに来て楽しかったなというのは一つもない。やりがいは凄くありますけれど、楽しいと感じることはないですね。プロレス12年やってきて今が一番メンタル的にはキツいですけれど、でも楽しくなくなってからの方が評価されたり知名度もあがったり、そこは比例しないんですよ」
武道館のメインに立つ竹下の存在感が図抜けていて、かつ孤独だったのも当然で、実はその日は竹下はカナダで行われていたAEWの3時間生放送のショーから日本に直行しているのだが、興行の都合で直前になって竹下の試合がキャンセルされたのだという。
「僕にとって何週間かぶりの生放送の試合やったんですけれど、時間が押しちゃって、タケシタの試合カットってなったんですよ。もう僕入場直前でガウンも着て入場ゲートの前に待っているところでカットってなって。そういうモヤモヤというか発散できてないフラストレーションとか、そういうの全部持ってあの武道館の1試合やってるんで。それは負けないよっていう気持ちはありますね」
プロレス大好き少年がプロのレスラーとしてデビューし、日本で誰もが認める存在になり、更に大きな夢を抱いてアメリカに挑戦するも思うようにいかない日々。存在が飛び抜けているからこその孤独、孤高。そこで迎える鈴木みのる戦だ。
「鈴木さんこれたぶん全部経験していると思うんです。フリーとかで本当にいろいろな経験をされてしんどい思いもされて、全てが包み込める、揃っている存在になっている。鈴木みのるってキャラクターも世界で認知されていますし、知らない海外のお客さんが見てもすぐに入場だけ見たら、こいつヤバいやつだ、怒らせると怖い日本人なんだってわかるキャラクター。試合をすると鈴木さんが新日本でデビューされた時からやってきた技術を見せる。これはかなり凄いことをやってるなって僕は思うんです。だからそれを吸収したい。試合をしたら、それがわかるんじゃないか、今の自分のモヤモヤを打破できるんじゃないか、ヒントが得られるんじゃないかと思って鈴木さんの名前を出したんですね」
プロレスラーになる前の少年時代から竹下のことをずっと見てきた松井レフェリーも、今の竹下にとって「鈴木みのるからしか得られないものがたくさんある」と感じているようだった。
「竹下は最初からとんでもないところまで行くんだろうなという予感はありました。今は自分がどうこう言うような時期は過ぎていて、世界一に手が届くところまで来ているのは皆さんも感じていると思うんです。鈴木さんとはスタイルが違いすぎるので試合の予想は全くできないんですが、どんな結末になっても竹下にとってとてつもなく大きな経験値になるし、世界への大きなステップになるような気がします」
今回の興行はトリプルメインイベントで、ひとつが竹下vs鈴木、そしてもうひとつは上野勇希&樋口和貞vsMAO&遠藤哲哉という、竹下と同世代で現在進行形のDDTトップどころが揃ったスペシャルタッグマッチだ。竹下を子供の頃から見ていたように、竹下のいないDDTをまた見つめ続けているのも、松井レフェリーの姿だ。
「竹下がいないDDTは『竹下が今も常に存在したDDT』とは違う成長の仕方をしていると思うんです。上野とMAOは竹下と仲がいいからこそ、いつもここにいないからこそ常にその存在を意識して日々戦っていると思うし、遠藤はかつてライバルと言われた人間がこれだけ世界に注目される存在になって、悔しくないはずはない。樋口は無口で何を考えているかわからない男ですが、何度も竹下とシングルで戦ってきて何も思わないはずがない」
だからこのタッグマッチは、「DDTと一線を画して世界を相手にしている竹下」vs、4人の戦い、という見方が出来ると話してくれた。DDTが特別に楽しくて居心地の良い環境だったからこそ、今の過酷なフェーズがこたえているという竹下と、その楽しく面白いDDTを世に知らしめるべく日本で戦い続けるかつての仲間たち。それぞれのやり方でプロレスとDDTを愛し続けている。
そしてトリプルメインイベントのもう一つは、松井さん興行では欠かせない「くいしんぼう仮面vs菊タロー」だ。松井さんも含めて全員が30周年、足したら90周年という、とてつもない文化遺産だ。「何ヶ月かに1回日本に帰って試合をするのが本当にストレス発散にもなるし、それがあるからこっちでギリギリ粘れている」という竹下にとって、子供の頃からずっと見続けているこの名勝負は間違いなく心を潤してくれる試合になるだろう。
最初に見た時からこいつはただ者ではない、と竹下のことを見抜いていたと語る松井さんだが、当の竹下は「最近ようやく松井さんが僕のことを凄いと認めてくれた気がするんですよ」と笑う。
「たぶん松井さんの中ではトップレスラーはずっとディック東郷と飯伏幸太なんですよ。でもこの1年ぐらい、ようやく僕がそこに並びかけているというか、抜かす可能性が出てきてると思うんです。試合後に『お前すげえな』とかこれまで言われたことなかったんですけれど、最近その松井さんのリアクションを聞いたり見たりするのが楽しみで。松井さんにすげえって言わせるってことは俺はやれてるぞって。その二大巨頭に並ぶ、越えることが出来たときが本当に恩返しだと思うんですね」
アメリカで孤独な戦いを続けるKONOSUKE TAKESHITAは、5月19日にふるさと大阪のリングで、鈴木みのるの前に初めて立つ。全てを経験してきた鈴木みのるから何を吸収できるだろうか。かつての仲間たちの戦いに気持ちを奮い立たせ、くいしんぼうvs菊タローに心から笑い、そして大会後に松井さんから「お前すげえな」が聞けたら、きっとまた竹下はたくさんのエネルギーを得てアメリカに戻ることが出来るだろう。
5月19日、大阪住吉区民センターのリングで、竹下幸之介はきっと孤独じゃない。