今年に入ってのKANONは、DAMNATION T.Aからの追放→佐々木大輔&岡谷秀樹による地獄変→MAOとの合体と激動の4ヵ月間だった。2022年4月よりDDTに参戦し丸3年、DAMNATION T.Aのメンバーとして語る機会がなかったその間の葛藤をここで明かし、MAOとの「STRANGE LOVE CONNECTION」として新たな道を進み出す。(聞き手・鈴木健.txt)
DDTで受けた平田、アントン、
ディーノ、そしてMAOという衝撃
――KANON選手にインタビューをさせていただくのは、2019年に以前所属したJUST TAP OUT(現JTO)におけるデビュー戦前のパンフレットでした。今日、それを持ってきたのですが…。
KANON うわー、懐かしいですね! なんか、タイムカプセルを開けるみたいで怖いんですけど…どんなことを言っていましたっけ?
――「いろいろな感情を一気に引き出せるプロレスは、会場全体を取り込める芸術だと思います」と、プロレスに惹かれた理由を語っています。
KANON この時は何もプロレスのことをわかっていなかったですからね。
――いえいえ、立派なことを言っているじゃないですか。
KANON そういう考えの時もありました。今は、そんな聞いたようなことを言えなくなっちゃいましたけど。
――DDTに上がるようになって、プロレスは芸術ということを体現できてきたと思いますか。
KANON 今は言えなくなったっていうのは、いい意味でも悪い意味でもDDTに来てカルチャーショックがデカくて、それまでの概念を崩されたんですよ。JUST TAP OUTは新しくできた団体ではありましたが、スタイル的にはサブミッションが中心で一点集中攻撃というのを叩き込まれたんです。もちろんそれは基本的なことだから大切なんだけど、そこにしっかりハマるようなプロレスをやるようになる。それで僕は早いうちからコブラツイストを軸にしたスタイルを追求していたんですが、DDTはそういうものとまったく別というか、一点集中攻撃をやっている選手も中にはいたので自分がやってきたことが間違っていたとは思わないけど、これまでと同じだったらここで生き残っていけないなってすごく感じたんです。
――JUST TAP OUTを退団したのは、DDTに上がりたかったからなんですか。
KANON 上がってみたいというのはありました。というのも、ほかの団体と比べて自分と年齢の近い選手が多かったんで、より大きくて試合数も多い団体で、そういう選手たちと切磋琢磨したいというのが最初でした。でも、いざやってみると発想からして違っていて…なんだろう、別にプロレスにどれが正しいかはないと思うんですけど、これもあるよ、こんなのもあるよと、どんどん自分の知らないものが出てくる感覚で。日本語しか喋れないのに、英語とロシア語とスペイン語が飛び交っている会話の中に放り込まれたようなものでした。いろいろなカテゴリーのプロレスを見せられて、最初の半年から1年ぐらいは正直、慣れるので必死でしたね。なんなら、今でもこんなものがあるんだ!って思うぐらいですから。
――その中で、特に何が衝撃的でしたか。
KANON これはDAMNATION T.Aにいた時は言えなかったことなんですけど平田一喜、アントーニオ本多、男色ディーノの3人でした。この3人は全員唯一無二のスタイルを確立していて、マネなんてできないし、したところで二番煎じにしかならない。すげえなって思いました。あとは、MAOちゃんですね。同い年でこんなに環境適応能力があるとは…って驚きでしかなかった。どの選手と対戦しても自分の試合ができるし、その上で相手の持ち味も生きている。この4人に共通しているのは、興行が終わって今日もいろいろな選手が出たなって自分で振り返ると印象に残っているのがアントーニオ本多だったり、あの試合をコントロールしていたのはMAOだったなって、浮かんでくるのはそういう選手たちで、率直にすごいと思いました。
――そのあたりがどういう選手なのかは、ファン時代に見て把握はしていたんですよね。
KANON いえ、DDTは見ていなかったんです。見始めたのはプロレスラーになってから。新日本プロレス、DRAGONGATE、あとはデスマッチとかだったので知らなかったというのが正直なところで。それだけに、このリングに上がってから見た衝撃が大きかったんです。
――KANON選手は名古屋でDRAGONGATEを見てプロレスの入り口を通り、オカダ・カズチカvs柴田勝頼のIWGPヘビー級戦に心を揺さぶられてプロレスラーになろうと思ったんですよね。まあ、それらと比べたら別モノに見えて当然です。
KANON でも、めちゃくちゃ魅力的に見えましたね。最初の時点で、フリーではあるけどずっとここに上がれたらいいなと。それまでやってきた自分のプロレスを捨てるのではなく、DDTに参戦することで得たものがあったので再構築しようと思いながらやっていました。
――ただ、参戦して間もなく佐々木大輔によってDAMNATION T.Aに勧誘されました。今思うと、自分がついていけるかどうか不安を抱えているところを突かれたのかもしれません。
KANON 実際、そうでした。2022年の4月からDDTに参戦してすぐ声をかけられて、1ヵ月後にはDAMNATION T.Aに入ったんですけど、新たなリングで自分の方向性が定まっていなかったから、ユニットに入れば守ってもらえるんじゃないかっていう思いがあったんです。それが果たしてよかったのか悪かったのかは、わからないです。もしかすると、しばらく一匹狼的にやっていれば違ったプロレスに触れられたのかもしれない。ただ、それで生き残れたかどうかはわからないんで。そう考えると、こうやって追放される形にはなりましたけどあのタイミングでDAMNATIONに入ったのは、よかったんだと思います。この3年間、確実に自分の家でしたし“DAMNATION T.AのKANON”というのがDDTの中で確立してきたブランドですから。
――それにしても不安定な状態にある人間につけ込んでくるカリスマのやり口は達人級です。
KANON 佐々木大輔はどう考えているのかわからないけど、僕にとってその時点では必要だったということなんでしょう。他団体から参戦してくる人間は、周りもどれぐらいできるんだ?っていう目で見ている。その中でおいでおいでされたら、なびきますよ。こんなことを言うと何言ってんだと突っ込まれると思いますけど…やさしく見えたんです。団体所属からフリーになって不安はあった。キャリア2年半でフリーって、あまりないと思うんですよね。だいたいは移籍という形になるじゃないですか。フリーになったはいいものの、ちょっと急いで出ちゃったかなという思いが正直あって。団体を飛び出して頑張ってみようというのはあっても、じゃあ何か明確なビジョンがあったかというと何も考えていなかった。ここに売り込もうとは思っても、いつまでにタイトルを獲れるようになりたいとか、具体的な計画を立てずに退団したんで、ふわふわしていました。そういう状態で佐々木大輔にささやかれて、この人についていけばDDTでトップ獲れるんじゃね?って思ったんです。
「いらない子」という佐々木の言葉は
心をエグられるほどのものだった
――そう思わせてしまうのが佐々木大輔の怖いところです。DAMNATIONを選択した時点で、それまでやってきた方向性とはガラリと変わるわけですよね。
KANON JUST TAP OUTでは凶器を使うことなんてなかったし、スタイルそのものはいい子ちゃんですからね。だから最初は戸惑いもあったし、それこそイスを持つだけでちょっと震えていたぐらいで。不良グループに誘われるがまま入ったいい子が、周りが怖いから一緒に悪ぶっているみたいな感じになっていました。
――「俺がやろうとしていたのはこういうプロレスじゃなかったはず」というような迷いはなかったんですか。
KANON でも、やるうちにDAMNATIONのやり方の中でもそれまで使ってきた技も出していけばいいんだと思って。ホント、今となっては恥ずかしいんですけど、その時は佐々木大輔についていこうと思っていましたから。見ての通り悪い人間だからこそ、ちょっとした言葉や態度がやさしく見えてしまっていただけなんですけど…まあ、プロレスの幅や間の取り方は広がったと思います。凶器を使ったり反則行為ばかりじゃなく、DAMNATIONでラフ殺法を伸ばすことができたし。
――その一方で、ユニットとしての活動が主になったため当初求めていた同世代と真っ向からやり合うという図式からはかけ離れてしまいました。
KANON DDTに上がるようになった時も、そのあとDAMNATIONに入ってからもトップに立ちたいというのはずっと言ってきたんですけど、ユニットとしてのカードが多く組まれることで個人としてのいい結果がなかなか出せなかった。そこはDAMNATIONにいるからというわけではなく、自分自身の問題として歯痒さはありました。同世代の人間とやり合うのも、D王 GPやKING OF DDTのようにトーナメントやリーグ戦に限られていましたし、もっと1対1でガンガンやり合いたいっていうのは常に頭の中にありましたね。そういう場でヘビー級の相手とぶつかると楽しかったしやりやすかったので、こういう居場所があってもいいんじゃないかって思っていました。でも、そう思う自分が浮気行為をしているように思えてしまって。
――佐々木大輔がそれを許すことはないと。
KANON そうそう。だからこの3年間は、幅を広げつつも葛藤を持ち続けていました。そのつど悩むトピックは違っていましたけど、真っ向勝負はしたい、でもユニットの方針に従うか…的な気持ちの揺れをずっと抱えていた気がします。
――見ていて、同世代や若手による闘いから除外されているというか、つまはじき状態にあるなと思っていました。本当はその中に入っていきたいだろうにと。
KANON 若手主体の興行やイベントプロレスとかがあっても僕は呼ばれないんですよ。ああ、その中に組み込まれることはないんだなと思いました。自分が本隊の人間だったら出られたかもしれないのに…って。企業とのコラボイベントとなるとDAMNATION T.Aが呼ばれるわけがないじゃないですか。そこはやっぱり、いいなあと思って見ていました。キャリア的には、僕は中村圭吾とほぼ一緒なんです。上がDNA世代で下がD GENERATIONS世代と、ちょうどはさまれたところにいたんで、どちらにも組み入れられない。少し上の納谷幸男と飯野雄貴の世代から僕までは、そういう括りがなかったから同じ世代による闘いで何かを生み出すというのがないまま来てしまった。さらに言うと、DAMNATION T.Aの中でも全員が年齢もキャリアも遥かに上でしたから、ユニットに属しながら独りっていう感覚はありました。孤独感ゆえの羨ましさですよね。それでもユニットを抜けたいとは本当に思いませんでしたけど。
――実は昨年12月の両国国技館でKO-D無差別級王座に挑戦する前に、カリスマへインタビューしたんですけど「KANONの成長が思い描いていたよりも遅くて、そこで苦労している」というようなことを言っていたんです。なので追放された時は、それが根っこにあったのかと思いました。
KANON 成長の意味が、結果を出せていないことを指しているのであれば佐々木大輔の言っている通りですけど、でも確実に自分の中で手応えもあって…うまく言葉で説明できないですけど、あったんです。ただ、佐々木大輔基準でいうと、そういうことではないのかもしれないですよね。
――おそらくDAMNATION T.Aのメンバーとしてもっと振り切れということを言いたかったのでしょう。要はもっと悪に徹底しろと。
KANON そっちでしょうね。そこに関しては確かに若干中途半端な面があったと思います。ほかのメンバーと比べたら、お客さんから喋りやすいように見られていたから、それはDAMNATIONらしくないとなる。実際、佐々木大輔から「おまえ、もうちょっと顔を締めろよ。ヘラヘラしてんじゃねえ」と言われたことがありました。その時は「わかりましたー」とか言ってまったく変えなかったんですけど。もともと面白い時は隠すことなく笑うタイプなんで、反発…とまではいかないですけど、言うことを聞かずにこのままでいいやって思っていた。もしかすると、そのあたりからほころびがあったのかもしれないですよね。
――そうやって受け流していたものの、実際に追放されるとやはりショックなものだったんですね。
KANON 多少の解釈の違いはあっても、ユニットとしての結果は出していましたから(KO-Dタッグ、6人タッグ王座を獲得)、そこでちゃんと応えているんだから捨てられるなんて思っていなかった。だからよけいに落ち込んだんですよ。貢献しているのにこの扱いなのかよ!?って。病んでいる自分に嫌気を覚えるんですけど、何をやっても楽しくないし。一番精神的に不安だったのは、これでDDTに呼ばれなくなるかもしれないという不安でした。DAMNATION T.AのKANONだったから今までは上がれていたのが、それを失うことで緩やかに試合数が減っていって、気がついたらDDTから消えているんじゃねえか?みたいに考えてしまうんです。この3年間、DDT以外はどこも交流していなかったですから、まるでツテがない状態に放り出される。ある程度キャリアがあるのに、縁のなかった団体から見たらKANONと言われてもよくわからない立場じゃないですか。何もつながりがない中に放り出されるのは不安というより目に見えないものが襲いかかってくるような恐怖でした。それで精神が病んだんです。
――本当に、いらない子になってしまうと。
KANON 佐々木大輔が言ったあの言葉って、あの人が口にするワードとしてはマイルドな方と思われているでしょう。もっとヒドい罵詈雑言を吐いている人ですから。でも、自分に関しては心をエグられるような言葉ですよ。わかって言ったのかどうかはわからないけど、めちゃくちゃ核心を突いた言葉だったんです。
――見抜いた上で言ったとしたら、これもカリスマ恐るべしです。
KANON だから3月の後楽園で一騎打ちが決まった時は、とりあえずそこまではDDTに参戦できるんだ、でした。そして勝てば次も出られる。でも負けたら…と考えてまた落ちるわけです。結果、負けて「ああ、これで終わったな」と思いました。そうしたら次はハンディキャップマッチだと言い出して。脅迫みたいなものですよ。こっちに選択権がないんですから。「1対2なんて卑怯じゃないか。誰がやるか!」って拒否したら、そこで次の仕事を失ってしまう。だから不利なのがわかっていてもやらざるを得なかった。
――相手の弱みにつけ込むあたりは、さすがとしか言いようがありません。
KANON でも、理不尽だなんて言っていられない、もうやるしかないんだと思ったし、何よりも負けたまま終わるのは悔しいしやり返したいというのがあってハンディキャップマッチを飲んだ。YESかNOかじゃなく、YESか「はい」かだったんですよ。でも結果はああなってしまった。それで、今度こそ終わったなと思ったんです。ほかにDDTで仲のいい選手もいなかったし。
――いなかったんですね。
KANON DDTに上がって1ヵ月でDAMNATIONだったからいなかったんです。だからもう終わりだな、ここから消えたいなと思いました。2度も続けて後楽園でこんな恥をさらして、この場から消えられるんであればパッと消えたいって天井を見ながら思っていました。そうしたら…。
――杏仁師範の姿が目に入った。
KANON あれはなんでなのか、怖くて聞けないッスよ。自分はIWA JAPANを通ってきていないですから「杏仁師範だ!」とはならないじゃないですか。ましてやあの時の精神状態だったら。気づいたらよくわからない格好をしたのがDAMNATIONを蹴散らして、目の前に立っていました。
ポジティブな感情を引き出す
芸術としてのプロレスを目指す
――杏仁師範の顔を外すと、MAO選手だったと。
KANON MAOちゃんとはシングルで2回やっていて、いずれもD王の公式戦なんですけど、最初は僕が勝って(2022年11月5日、横浜ラジアントホール)、2度目は負けているんですよ(2023年12月17日、熊本・桜十字ホールやつしろ)。たぶんなんですけど、お互いのバックステージコメントをからすると楽しかったんでしょうね。
――1度目の対戦後、KANON選手は「MAO、楽しいね。お互いこんなに楽しめたんだったら、次はD王じゃなく違うところでやりたい」とコメントして、2度目はMAO選手の方が「あいつとはわかり合える部分がある気がするので、遠い未来の近い将来、俺の隣にいるのはKANONかもしれない」と語っていました。
KANON そのあと、MAOちゃんがKO-D無差別級に挑戦するからThe37KAMIINAを家出すると言い出して一度こっち(DAMNATION T.A)に来て組んだ時もあって(2024年7月5日、上野恩賜公園野外ステージ)、その時も組んでみていい感触はつかめたんです。最後はDAMNATIONの流儀に従って見捨てる形になりましたけど。それを考えると、そんなことをした人間を助けるかなって思うんですけど、後楽園のリング上でも思考がバグっていましたね。なんで助けたんだ!?って。
――「やっぱりMAOが来てくれた!」ではなかったんですね。
KANON はい。そこにはまったく期待していなかったですから。あのハンディキャップマッチの時って、コスチュームも入場曲も変えて一新するつもりで臨んだんです。自分の中ではかなりの覚悟を持っていきながら負けたことで、気持ちが完全にどん底へ落ちたところで手を差し伸べてくれて、自分の中で張っていた意地のようなものが取れた瞬間でした。さっき終わったと思ったと言いましたけど、試合が終わってDAMNATIONの暴行を受けながら、それでもここからDDTに残るには一人でやっていくしかないんだ、細い道かもしれないけど、そこをクリアしてなんとかこのリングに上がり続けたいという思いしかなかったんです。それは試合前から思っていたことでもあってちょっと気張っていた部分なんだろうけど、今となっては無理していた部分もけっこうあって、やはりフリーの人間が団体の中で誰とも組まずに一人でやっていくのはかなり難しいじゃないですか。その部分で、でもやらなければ生き残れない…やってやる!って凝り固まっていたんです。それをいい形で崩してくれたなって思います。
――MAO選手と組むことで、また違ったものをクリエイトしていけるでしょうね。
KANON そう思います。確実にMAOちゃんから採り込めるものがあるし、もともと最初にすごいと思った4人のうちの一人ですから。こうなったから物語的なものとして語れますけど、まさか組む日が来るとは思っていなかったです。本格的に絡むとしたら闘う側だと思っていたんで今でも若干、自分のことじゃない感じがしています。でも、組むことで得られたり創り出したりすることは確実にできる人間ですからね。
――この世界に導いてくれたTAKAみちのく、DAMNATION T.Aに誘った佐々木大輔、そして今回のMAOと転機ごとに手を差し伸べる人間に恵まれていますよね。
KANON 僕は人望も人脈もそんなにあるわけじゃないと自分で思うんですけど、確かにそうですよね。ラッキーなんだと思います。
――岡谷英樹に対してはどんな感情ですか。
KANON まず、自分がいた場所(DAMNATION T.A)を荒らした人間という点で許せないし、DAMNATIONに入った時の自分を客観的に見ている感じもするので、それに負けちゃいけねえっていう思いがすごくあります。ここで岡谷に持っていかれたらそれこそ終わっちゃうぞという。
――岡谷選手のやり口がDAMNATION T.Aとしてのものではなく、KANON選手に対する個人的な恨みのみで動いている印象があります。竹刀で殴っている姿を見ても尋常ではないです。
KANON 本気で僕のことが嫌いだというのは伝わってきますよ。僕がDAMNATION T.Aにいた時、向こうはEruptionでけっこうやり合っていたんです。その時、相当フラストレーションが溜まったんだろうなって。
――岡谷選手が長期欠場する前の最後のシングルマッチの相手がKANON選手で(2024年3月30日、横浜ラジアントホール)、完敗を喫しているだけに根に持っているでしょうね。
KANON 岡谷からすれば「因果応報だ」って言うのかもしれないけど、逆恨みですよ。あの試合は勝った方がKING OF DDTトーナメントに出場できる一戦で、負けて出られなかったばかりかそれで心が折れたのか欠場に入っちゃいましたから。それは自分の問題だろうと。まあ、こういう形で帰ってくるとは予想していなかったけど、それほど僕に対する憎しみが大きかったんでしょう。そこは見方によってまったく変わってくる。こっちの立場からすれば追い出されて、後釜で入ってきたやつにボコボコにされて逆恨みじゃないかって思うけど、岡谷からしたら壮大な復讐劇じゃないですか。だから、客観的に見たらどっちが正しいかなんてないんだろうなと思って。まあ、僕の立場で言うならこの前も負けちゃっているんでフザケんな、このままじゃ済まさないぞというのはもちろんあります。
――形はどうあれ、DDTに来た頃に求めていた同世代とガッチリやり合うシチュエーションが訪れたことになります。
KANON 望んでいた形とは違っちゃいましたけど、なりました。だから、本当にここからなんですよ。DAMNATION T.Aを抜けることで、最初に描いていた状況を得られたので。その一方で、もちろん佐々木大輔に借りを返さなければいけないし、DDTに残れたことでやるべきことがいくつもできた。これからは、もっと視野を広く持っていこうと思っています。MAOちゃんがそういう人間なんで、自分だけDAMNATION T.Aに固執してばかりいるのもよくないなって思っていて。その中で、ずっと言い続けてきたDDTのトップを獲るために、今の自分なら無差別級狙えるなって思える自信をつけていく作業になるでしょうね。この3年間、DAMNATION T.AのKANONとしてやってきたことでちょっと自分の中で安定していた部分があったんですよ。プレースタイルにしてもなんにしても固まっていたみたいな。そこにある種の心地よさを感じちゃっていた部分があったんで、ここからKANONを改めて再構築していかないとトップにはなれない。結果的に、3年間で無差別級戦線に食い込めなかったのはそういうところもあったと思うんで、自分を磨き直して挑んでいきたいというのがありますね。
――KANON選手はデビュー戦が後楽園ホールのメインイベントという誰も経験していないところからキャリアをスタートさせました。そこから現在の立ち位置に来るまで6年の時間を費やしたわけですが、当初に描いていたものと比べて時間がかかってしまったという印象ですか。
KANON 後楽園でデビューした時の僕はもっと楽観的だったと思います。プロレス界の大きさというものをあまり把握していなかった。このまま順調にいけて2、3年したら団体のトップに立てるだろうと、本当にトントン拍子でいけちゃうものなんだって思っていましたね。でも実際は続けていくうちに、毎回毎回違うんだな、こんなにもまだまだ上がいるんだなって気づかされて。こんなステージまでいける人がいるんだっていうのを見せつけられて、じゃあ自分もとはなれなくて。そういう大きな目標よりも、体を大きくするとか、この試合ではこういうことをやってみようみたいな目先の目標を少しずつクリアしていく方向にこだわったと思います。それまでは漠然と上にいきたい、売れたい、小さい団体のJUST TAP OUTだけど小さいながらもなんとしようっていうことを考えていただけだった。そういう中で今は、目先のことも大事だけど、もっと先を見据えて物事を考えるようになりました。無差別級のベルトを獲りたい、じゃあ獲るには何をどう積み上げていけばいいか。MAOちゃんとやっていく中でそれを見つけます。
――初期衝動の「見る者の感情を引き出せるプロレス」をここから実践していきますか。
KANON ある意味、DAMNATION T.Aの時も感情は引き出していたと思うんです。ただ、それはネガティブな感情ばかりだった。ここからはアプローチを変えて、ポジティブでハッピーな感情を引き出したいです。KING OF DDTには佐々木大輔も岡谷英樹もエントリーされているので、お互いが勝ち進めば1対1で闘えますし、1回戦が勝俣瞬馬ということでこれもクセ者ではあるんですけど、ようやくその世代とも切磋琢磨できる環境になった。そう考えると、追放っていうショックな経験はしましたけどDAMNATION T.Aにいたことも含めてここまでやってきたことはマイナスではなかったし、こうなったことで可能性は広がったって受け取っています。
――もう病まないですか。
KANON 病みません。情緒も安定していますから。