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【MAOインタビュー】MAO、かく語りき①なりたい場所でなりたい自分になれている

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  • 8月31日後楽園ホール大会にて、鈴木みのるの持つDDT UNIVERSAL王座へ挑戦するMAOに現在の心境を聞いた。(聞き手・三田佐代子)

    ーーあまり公言されていませんが、MAO選手今年でデビュー10周年なんですね。
    MAO そうなんです。僕の計算上、6月くらいまで会社にバレなければ自主興行打てって言われないだろうなと思って、なんとかやり過ごしました。去年地元凱旋もやってるし、今年はベストオブ(新日本プロレスのベストオブザスーパージュニア)もあったのでその惰性で走りきろうかなと。
    ーー10年やってみて、自分がなりたかったプロレスラーになれていますか。
    MAO そうですね、もう完璧になりたい自分になれているというか、思い描いていた通りのレスラーになれてるかなって思います。ちょうど今、WRESTLE UNIVERSEで確認できる範囲でさかのぼって、イチから全部自分の試合を見てるんですよ。いや、ちゃんと自分成長してるんだなって思いました。試合に落ち着きがあるんですよ、今はちゃんと。
    ーー自分がこうなりたいというのと、自分が出来ていることがしっくり来るようになったのはいつ頃からですか。
    MAO コロナ禍がけっこう大きかったかもしれませんね。もともと僕はお客さんを意識して試合をするタイプなんですけど、昔より今はもっと意識できるようになったのは、コロナ禍で反応がなくなったからだと思うんです。
    ーー反応がなくなったから意識できない、ではなくて?
    MAO 例えばライブとか舞台でもそうだと思うんですけど、何千人の会場って逆に緊張しないんですよ。逆に10人しかいないところでやったら絶対緊張するじゃないですか。
    ーーそれは一人一人を認識できるから?
    MAO それもあるし、より一層集中してプロレスを見てるわけじゃないですか。そんな中で試合をしてよりお客さんを意識できるようになった、落ち着いて試合できるようになったかなって思いますね。
    ーーそれがコロナ禍が明けてお客さんの反応が伝わるようになった時にしっくりきた。
    MAO それがはまったというか、逆に今までお客さんを置いてけぼりにしてたのかもしれないなと思って。昔の映像見てると、ちょこまか悪い意味で早いんですよね。それがコロナ禍でひとつひとつ落ち着いてしっかりやれるようになって、お客さんが戻ってきた時にはまったのかなって感じはします。
    ーーそんな中で今年に入って大きな動きが続いていますね。The37KAMIINA(サウナカミーナ)脱退とKANON選手とSTRANGE LOVE CONNECTION結成がありました。
    MAO タイミングでしたね。サウナを抜けるまでにもいろんな過程があって。みんなでコロナ禍で大変な時期のDDTを支えて、それぞれ実力も付いてきて。上野勇希が無差別、僕がUNIVERSALで団体の頭を張って、たまに瞬馬がEXTREME取ったり怪我したりとかいろいろあるんですけど、上野勇希の存在が本当に欠かせなくて、刺激を常に受けていたんです。と同時に感謝していて。
    ーー上野選手の存在が大きかったんですね。
    MAO 無差別でちゃんとDDTを引っ張ってくれるから、僕はUNIVERSALで自由に遊ぶことが出来たし、その自分の幅の広さっていうのは上野勇希が土台を保障してくれるから出来たこと。で、切磋琢磨した先にあったのは、二人で両国のメインイベント(24年7月両国)を張るっていうところだったんで、そこまで行けて僕的にはけっこう満足しちゃった。The37KAMIINAのMAOとしてピークが来たかなって実はあの時に思った。で、前哨戦があって家出って形でいろいろなところで遊んでたんですけど、そんな中でKANONを見つけたんですよ。
    ーーKANON選手を見つけたのは上野選手との前哨戦の最中だったんですね。
    MAO ほんの一瞬だったんですけれど、MAO&KANON&佐々木大輔組っていうのが上野大会であって、その時初めて喋って。ローマ字のリングネームだしTAKAみちのく好きだし同い年だしって言うので話しかけたいなと思って。その時にこの人なんでDAMNATIONでこんな感じなんだろうって。
    ーーもったいなと思ったんですか。
    MAO このままだとたぶんこの人このまま30半ばまでこのまま行くぞと思って。僕は30代は30代でこうなりたいレスラー像があるので、それをKANONとだったら出来るかなと思ったんですよ。家出中にやりたいこと見つけたって言ってたのは、そのKANONのことでした。
    ーー30代でなりたいレスラー像っていうのはどういう感じですか。
    MAO 身体が大きいプロレスですね。20代は細くていいなと思ってたんですけど、30代は身体を大きくして、迫力のあるプロレスをしていきたいなっていう野望があるんです。
    ーーそうは言ってももうMAO選手かなり身体大きくなりましたよね。
    MAO思ったより早くでかくなりましたね。
  • ーーそういえばあのスーパージュニアのシリーズで発生した「四角」コールはどういう経緯で生まれたんですか。
    MAO あれ本当はチェキの撮影のネタでやってたポーズなんですよ。よく四角いとは言われてたんですけど、ベストオブの公式戦のケビン・ナイトにコブラツイストしながら「俺はめちゃめちゃ強い!」ってやられて、これ大喜利だなと思って。俺は何をすればいいんだろうと思って四角くなるか!と思って、「俺はめちゃめちゃ四角い」ってやったらなんかそれが受けちゃいました。
    ーーそれにしても新日本でもいつも通りのMAO選手でしたね。
    MAO そうですね、完璧にMAOでしたね。よそ行きのMAOで出たらDDTから来たMAOとして出る意味ないし。
    ーーDDTから来たMAOっていうのは常に意識してるんですか?
    MAO どこでもそうですね、じゃなきゃ意味がないので。
    ーー例えばメジャーの新日本に殴り込む、査定される、という雰囲気ではもうないですよね。
    MAO 今の新日本ジュニアにはその雰囲気はないですね。やっぱりデスペさん(エル・デスペラード選手)やヒロムさん(高橋ヒロム選手)みたいなトップの選手があんなに、自分の足でいろいろなところを回ってっていう姿勢が凄いな、いいなって共感を持っていて。お前らより俺らが凄いじゃなくて、俺らも凄いしお前らも凄いっていうスタンスがあるんですよ、ちゃんと。
    ーーそんな中でやりたいことは全部できましたか。
    MAO やりましたね、悔いはない。やり残したことと言えば本当は勝ち上がりたかったですけどね、Bブロック1位ではあったんですけど、ちゃんと決勝まで上がって藤田晃生の前に立ってみたかった。
    ーーDDTには何を持ち帰ることができましたか?
    MAO それは伸びきった僕の鼻ですかね。みんなも自信持って欲しいよなって思います。新日本であれだけ通用した僕に勝ったりしたら、それは凄いことだし。その選手といつも試合してるってことで、みんなもひとつ自信になれたらいいなって。あと髙木さん(髙木三四郎)がやっぱり一番嬉しそうでした。
    ーー髙木さんは嬉しかったでしょうね。
    MAO でも車より自転車よりメカマミーのロケットパンチが嬉しかったみたいです。「あのメカマミーのロケットパンチは新日本で初めてだよ」(髙木三四郎のモノマネで)って。
    ーーそれはそうでしょうね。
    MAO やっぱり髙木さん一時期新日本を越えるとか躍起になってたんですけど、僕はその時期が良くないなと思っていて。僕はそれに反抗して頑張っていて、その一種の反抗で髙木さんを車で轢いたまであるんですけど。
    ーー何が一番嫌だったんですか。
    MAO やっぱり同じところで並ぼうとしてもしょうがないじゃん、それがDDTの武器じゃないしって思った。あんなアマレスの強豪を全国から集めて、そもそも身体がでっかくないと入れない、デビューしただけでも本当に凄い新日本プロレスと、うちはそこで戦ってこなかったじゃん、今までって。いかにそこと違うことをするかだけでここまで来たのに、なんで同じことをしてそこに行こうとするんだろうと。そもそも僕はDDTに入るきっかけの試合がウェポンランブルだったので。
    ーーあの髙木三四郎vsザ・グレート・サスケ(2009年8月23日)ですね。
    MAO DDT初の両国のサスケさんとのウェポンランブル見て、僕ここでこういう大人になりたいってDDTに入ってるので。
    ーーそれがDDTらしさを取り戻したなと思えたのはいつ頃ですか。
    MAO 僕が決定的にそう思ったのは2019年のUltimate Party(Ultimate Party 2019~DDTグループ大集合!~ 2019年11月3日両国)です。実は僕イギリス行ってたんで出てないですけど。
    ーー出てないのになぜDDTらしさを取り戻したと思えたんですか。
    MAO あの時本当に俯瞰で海の向こうから朝6時から中継見てて、雰囲気が今までの両国で一番いいな、らしいなって思ったんですね。だから取り戻したなって思ったのはやっぱりそこです。なのでそういう経験もあったから、僕はベストオブでも絶対DDTらしさを崩しちゃいけないって思ってた。

    8月21日公開の②へ続く

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