8月31日後楽園ホールで鈴木みのるの持つDDT UNIVERSAL王座に挑戦するMAOに今の心境を聞いた。(聞き手・三田佐代子)
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https://www.ddtpro.jp/news/68a582d80c785800024474c2
ーーMAO選手にとってUNIVERSALのベルトというのはどういう位置づけですか。
MAO ほんとに自分が作ったくらいの感覚でいますね。最初に出来た時のコンセプトからもちろん意識していたし。要は海外戦略のために作ったベルトだと思うんです。自分はイギリス遠征もしてきたし、レッスルマニアウィークにもアメリカ行ってるし、UNIVERSAL的な活動に自信もあって視野に入れてたんですけれど、あっという間に世界がああいうことになってしまった。
ーーUNIVERSAL王座新設が2020年2月ですから、直後にコロナ禍に見舞われました。
MAO 外敵も呼べない、こっちからも出るな、ということで初っぱなから定義がおかしくなってるんです。そんな中でも僕1回取ってるんですけど、やりづらい中でもいかに日本にいながら幅を持たせられるか、すごく意味を考えながらやっていたんですけれどやっぱりその時はやりたいことはやり切れなかった。
ーーDDTにはKO-D無差別があって、EXTREMEもある。その中でUNIVERSAL王座の意義はなんでしょうか。
MAO 幅ですね、本当にUNIVERSALって幅だと思うんです。幅というか自分そのものなんですけれど。リングがあってもなくてもいいし、国境も性別もないし、人か、有機物か無機物かもないみたいな。でもひとつだけ、プロレスリングっていうルールだけがある。
ーー海外メディアのインタビューでMAO選手が「自分自身がUNIVERSALの魂そのものだ」とおっしゃっていて印象に残っています。それは自分の中で大切にしているものですか。
MAO そうですね。自分以外の選手が持っていた時にUNIVERSALのあるべき姿についてずっと疑問に思っていて。団体の中で腰を据えて待っていても何にも始まらないベルトなんです。UNIVERSALはこういうベルトであって欲しいっていう願望をすごく強く思っていたので。
ーーUNIVERSALという言葉の持つ意味と、MAO選手自身がやりたいと思っているプロレスが重なったんですか。
MAO コロナが明けた後に瞬馬(勝俣瞬馬選手)とアメリカに呼ばれて、それが2、3年ぶりだったんですけれど。アメリカ再デビューだなと思って、何かひとつ代名詞を作らないとなと思って、スワンダイブでウラカンラナして、スワンダイブでフェニックススプラッシュってやったらバズったんです。海外に行きたいからまずアメリカで知ってもらうために自分ができる一番派手なことをしたらそれがうまくはまって、みんな僕のことを知ってくれて、その時AEWにも行ったんですけれどそのバックステージでも永遠に言われて。
ーー大事なんですね、そういう覚えてもらえるような技や動きが。
MAO そういう中で帰ってきてUNIVERSALのベルトに挑戦するってなったら、もう僕の思考はすごくグローバルだったんです。
ーーでは2度目の戴冠(23年7月)の時にはかなり自分が思い描いたUNIVERSALチャンピオン道を歩めましたか。
MAO そうですね、もう完璧でしたね。対戦相手も毎回毎回、なんていい人たちが来るんだろうみたいな。町田光選手がいたりビリー・スタークスとアメリカでやったり、12月31日にハリウッドで路上プロレスで防衛したりしてます。UNIVERSAL王者としてアメリカを回ることができました。