18日正午、DDTが東京・新宿歌舞伎町のドロップキックにて記者会見を開き、“DDTファンタジーの象徴”として活躍してきたポイズン澤田の引退を発表した。澤田は残り3大会に限定出場し、11・25後楽園で引退試合を行なう。会見には澤田のほか、高木三四郎社長、MIKAMI、鶴見亜門GMが出席した。
澤田「私、ポイズン澤田は今年をもって現役を引退します。首の症状、頸部椎間板症による神経根の損傷が悪化しまして、もう試合ができないとドクターストップがかかってしまいました。蝶野(正洋)戦の後から首がだんだんとおかしくなり始めて、遠征とか控えていたんですが、やはり治らず、引退を決意しました」
高木「4年前の両国大会以降、(澤田が)首の不調を訴えておりまして、昨年から限定出場と言う形で出場していただいてたんですけども、状況的に回復の見込みがないということで、ひじょうに残念ですが、本人の意思を会社としても受け入れることにしました。本当にDDTの創成期から支えていただいた選手ですし、DDTの方向性を位置づける重要なキーパーソンだったと思っております。ポイズン澤田JULIEという選手がいなければ、DDTのひとつの路線であるファンタジー路線が確立されなかったのではないかと思っております。そういった意味では一つの時代を支えた選手だったと思いますし、プロレス界にも大きな影響を与えた選手だと思っております。我々としては、首の状況をみながらフルに試合を続けるのは無理だと思いますので、11月の後楽園大会を最後に限定出場という形で受けていただくことになりました。最後まで会社としては送り出してあげたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします」
MIKAMI「ひじょうに残念なことではありますが、ポイズン澤田JULIEとしてDDT初期のころから完全にDDTの主役、顔であったと言っていいと思うんですね。ずっと引っ張ってきてくれましたし、自分としてはつねにDDTのリング上では蛇界転生と向き合って闘ってきたライバルでもありますし、バックステージに入ったら、よき理解者でありましたし、先輩でもあり、同志であり、仲間であり、つねに一緒にいましたね。ただただ残念でありますが本人が決めたことでありますから、最高の形でDDTとしてポイズン澤田JULIE、いろいろ形はあっても、ボクの中でポイズン澤田はポイズン澤田JULIEでありましたから、いろいろな思い出があります。タイトルマッチもやりましたし、両国でも一騎打ちがありました。本人が喜ぶ形で最後送り出すようにしたいと思います」
ここで亜門GMがポイズン澤田の参戦スケジュールを発表。9・30後楽園、10・28新木場、11・25後楽園の3大会に参戦し、11・25後楽園が引退試合となる。亜門GMは「DDTとしてはなるべく多くの大会に出てほしいですが、体が限界ということで、残り3大会とさせていただきます。9・30後楽園では蛇光教団が復活しまして、高木三四郎&MIKAMI組vsポイズン澤田JULIE&蛇イアント組。高木とMIKAMIは10・8札幌で(KO-Dタッグ)タイトルマッチを行ないますが、今回は特別にタッグを組むことになりました。10・28新木場、11・25後楽園に関しては、蛇界に関する試合にしたいとDDTとしては考えております」と説明。その後、質疑応答へ。
――首の状況について。
澤田 日常では痛み止めが欠かせません。寝起きとか、トレーニング後もそうなんですけど、ほんの少し首を傾けることでも痛みが出るので、いつも痛み止めが欠かせないです。(蝶野戦の)その前からなんですけど、ちょっと様子がおかしくてキャトルミューティレーションができなくなった時点から首が曲がらなくなってきたんです。病院にいったら首が真っ直ぐの状態で軟骨がないと。首のヘルニアですね。そういう状態にあったんです。相談はしていたし、まだ少し余裕があるので大丈夫だろうと言われていたんですけども、受け身が取れなくなってきて、少し怖くなってきて。デビューの頃から受け身が取れなくなったらやめようと考えていたんで。もう自分の思う受け身が取れなくなったんで(引退しようと)考えました。
――引退に対して後悔は?
澤田 多少あるんでしょうけど、ボクの中ではこの間の武道館を見て、DDTがすばらしい団体になっているし、その仲間とここまでできたので悔いはないです。
――一番の思い出の試合は?
澤田 たくさんあるんですよ。第1回ジオポリス大会(2000年12月14日)のKO-D4WAYマッチです。高木三四郎vsポイズン澤田JULIEvsスーパー宇宙パワーVS橋本友彦のKO-D選手権試合です。同率1位が、ここにいるMIKAMI選手との後楽園でのKO-D選手権(2004年11月2日)です。絶対にあげろと言ったらこの二つです。
――引退試合で希望するカードは?
澤田 そうですね、いろんな思いがあるんですけど、ここでは言えないです。できれば世代交代の、そういうのですね。いま、若手がどんどん出てきてDDTも安定してると思うんですよ。オレがDDTに拾われて蛇界になって、そういうDDTとは違うと思うんですよ。それを感じたいなとの思いもあります。
――長く在籍したDDTとは?
澤田 やっぱりプロレス生活におけるすべてですね。ここで骨埋めようと思った。もうここしかなかったですからね、ハッキリ言って。高木社長に拾われたときに、ここで終わるなと決めてました。その思いは強いですよ、誰にもわからないでしょうけど。だから蛇界もできたし、ここまでできたし。体も痛かろうがなんだろうが、リングに上がりたかったし、少しでもみんなと一緒にいたかったし。
――その中で得られたものとは?
澤田 やっぱり仲間ですかね。これは何物にも代えられないです。こんな感じで終わっちゃうんですけど、もっともっと一緒にいたかったです。ただ、団体のことを考えると心の中では戦力外だと思ってますよ。武道館のメイン(飯伏幸太vsケニー・オメガ)、あんなの見ちゃったらね、ハッキリ言ってそう思うよ。あんな受け身取れないよ。あんな試合できない。
――引退後については?
澤田 どうなるんですかね。ポカンと穴が開くと思うんですけど、そこから自分で登っていかないといけないと思います。けど、(プロレスが)大事なものだったですから。(具体的には)まだないです。
高木 本当に澤田さんがいなければ、プロレスのいろいろな概念をぶち破ったというか、そういう部分では第一人者だと思っていますし、やっぱりDDTの中で一つの柱だったと思うんですね。澤田さんはいまのDDTを見て引退を決意した部分もあるとは思うんですけども、いまの彼らが持っていないものはすごく多くあると思うので、これからあと3試合の中で見せていってほしいというのはありますね。それだけじゃないと自分は思ってますんで、プロレスというのはフィジカル、スピードだけではないと思うので、やっぱりファンタジーという重要なものもあると思うので、そこの部分を最後まで見せてほしいなと思いますね。とにかく澤田さんがいなければ、たぶんDDTはなかったと思いますね。それくらいの大きな存在だったと思っています。
澤田 ありがとうございました。
高木 マッスルもなかっただろうし、そういうDDTの重要な柱の一つであるファンタジー路線は絶対になかったと思うので、一緒に作り上げていったというのが自分の中ではありますんで、そこは最後まで貫いていただきたいなと。最後どういう形かわからないですが、本人の口から蛇界という言葉もあったので、それは尊重したいと思ってます。次の後楽園(9・30)は、蛇光教団、DDTの歴史を語るうえで欠かせない軍団が出ますので、そこから出てきた人間も多くいますし、あと3試合注目して見ていただければと思います。本当にお疲れ様でした。
MIKAMI 2004年の11月2日、忘れもしない、DDTで自分の中でシングルマッチを遡ったときに必ず一番上かなあ。あの試合はタイトルマッチで、ボクがチャンピオンだったんですよ。澤田さんが挑戦者で。試合がはじまって中盤までお互いに一度もフォールにいかなかったんですね。この試合は潰し合い。どちらかが倒れるまでやるんだとの気持ちが強かったので、お互いに一度もフォールにいかず、一番最後の技でフォールにいったのがその試合の最初のフォールだったんですね。ちょっと珍しい試合だったので、よけいに印象に残ってるんですが、いろんな思いがあったので、両国の一騎打ちよりも、あの8年も前の話ですが、タイトルマッチが一番残ってますね。おなじ思いだったんだなと、ふたりとも。
――ファンタジーの要素をこれからも後輩たちに受け継いでもらいたい?
澤田 そういう気持ちもありますが、時と場合によってですね。いまはファンタジーが必要じゃなかったら、しなくていいと思うんですよ。でも必ずそういう選手が出てきますよ。いまでいうと聖闘士凛音ですね。完璧ファンタジーじゃないですか。彼がファンタジー系のそういうレスラーになってもらって、継いでっていうのはオーバーかもしれませんが、継いでいってもらいたい。そういう選手はDDTに必要な要素ですね。