髙木三四郎が超日本プロレス活動終了を発表も……エースの永田裕志自ら会場を押さえ継続へ
髙木三四郎30周年プロジェクト「超日本プロレス~NEVER MIND~」が12月29日、東京・新宿FACEで開催。髙木が今大会をもっての活動終了を発表するも、エースの永田裕志(新日本プロレス)が自ら会場を押さえて、継続が決定。次大会は2026年3月24日、新宿で実施されることが決まった。
もともと今年2月でデビュー30周年となった髙木が2・3新宿で「NEVER SAY NEVER」を開催。その流れで、4・9上野と6・25新宿で「M&Aプロレス~MatchMake & Agent~」が行われたが、「M&Aプロレス」は6・25新宿で解散し、8・19上野で「超日本プロレス」を旗揚げ。10・14新宿を経て、今大会が第3弾となった。オープニングで髙木は30周年イヤーが終わることでラスト興行となることをアナウンスした。
メインイベントでは髙木がエースとして担いできた永田が黒潮TOKYOジャパン、阿部史典と異色トリオを結成し、髙木&葛西純&一般人・澤宗紀と対戦。まずは澤と阿部が師弟対決でレスリング勝負。そして、永田と葛西の禁断の戦いが始まったが、永田が「ゼアッ!」、葛西が「シェー!」でアピール合戦に発展。その後、大場外戦となり、ステージ席で髙木が戦闘用チャリンコ・ドラマティックドリーム号を持ち出して、永田をひきにかかるも、黒潮と阿部が阻止。すると永田がチャリンコに乗って、髙木を3回ひいた。阿部を捕らえた葛西がパールハーバー・スプラッシュを狙うも、永田がトップロープを揺らして失敗。永田が高木にミドルキック連打、エクスプロイダーもカウントは2。髙木が永田にブレーンバスター、ストーンコールド・スタナーも2カウント。永田が高木を捕獲し、腕固めに入ると澤がカット。葛西が竹串を取り出すと黒潮が止めた。竹串の奪い合いとなり、葛西の手に戻ると永田の頭部に突き刺した。それでも構わず永田は髙木の腕を締め上げてギブアップを奪った。
髙木は「M&Aプロレスやって、8月に超日本プロレス旗揚げして、11月に復帰して、これで俺の30周年は終わりです。永田さんとここまで戦えたことに感謝します。ありがとうございました」と感謝の弁。さらに「俺らはプロレスのど真ん中からはずれてるかもしれないけど、プライド持って、このリングに立ってます。永田さんがプライドを持って上がり続けたことに、みんな感謝しましょう」と言って、戦った5選手が頭を下げた。
すると永田は「ちょっと待った! 俺をこんな目に遭わせてこれで終わりか? 人を勝手に超日本のエースに立てておいて、これで終わりか?」と迫ると、髙木は「会場は押さえてないんですよ。もうやりようがないんです」と回答。永田は「会場は押さえたぞ。3月24日、新宿FACE、文句ないだろ!」と仰天発言。髙木は「超日本プロレスは来年もやるぞ!」と叫び、「大団円で終わりたいので、ナガダンスが見たいです」と懇願。その熱意に折れた永田は髙木らとともにナガダンスを踊った。最後は永田が「2026年も超日本プロレス、よろしくお願いします。1、2、3、ゼアッ!」で締めくくった。
このプロジェクトで永田は黒潮や大家健との異次元の一騎打ち、バラモン兄弟(バラモンシュウ&ケイ)との対戦やタッグ結成、青木真也とのシビアなシングル戦、“デスマッチのカリスマ”葛西との激突など、ありとあらゆる無理難題を押し付けられながらも、プロ意識の高さでこなしてきた姿には脱帽だった。
試合後、永田は「竹串、痛かったな。あんなのやるもんじゃない。髙木さんの30周年大会、未知なる領域に足を突っ込みましたけど、すごい経験させてもらいました。大変でした。来年、継続すると言ってしまいましたが、こういう領域に足を突っ込めるのも、このキャリアがあるから。自分の振り幅を広げる意味でも……。参りました」と安堵の表情。
髙木は「自分は今日で終わっていいと思ってたんですけど、永田さんがエースとしての自我が芽生えて、やってきたかいがあった。それを開花させた澤君、葛西選手、ありがとうございました。(次大会は?)我々のテリトリーの選手は出尽くした感はありますけど、まだまだすごいのがいるんで。永田さんの幅の広さを改めて再認識してもらいたい」と来年もエース・永田の活躍に期待を寄せた。
2026年から新章に突入する超日本プロレス。3・24新宿は「超日本プロレス〜Judgement〜」と謳われ、どこかで聞いたことのあるサブタイトル名で開催される。果たして、来年はどんな大会が繰り広げられるのか?
石森太二&バラモン兄弟がセーラーボーイズ1日限定復活で、“闘龍門の先輩”近藤修司組に快勝!「20年後くらいに復活してやる」
石森太二、バラモン兄弟(シュウ&ケイ)が伝説のアイドルユニット「セーラーボーイズ」を1日限定復活させ、“闘龍門時代の先輩”近藤修司組に快勝した。
2003年8月にウルティモ・ドラゴン校長がプロデュースした「闘龍門X」が日本逆上陸を果たした。その要となった石森、佐藤秀(シュウ)、佐藤恵(ケイ)のセーラーボーイズは入場時に歌を歌って、ダンスを踊って、試合で魅せるという画期的なユニットとして人気を博した。だが、2004年に闘龍門Xの活動が休止となり、石森と佐藤兄弟は別の道を歩むことになった。
あれから21年の月日を経て、トリオを組んだ3人は、近藤、大家健、Mac松下と激突。セーラーボーイズにとって、近藤は闘龍門時代の先輩。大家は元闘龍門練習生、Macの素性は定かではないが元DRAGONGATE練習生といわれており、龍のDNAを受け継いだ6選手によるタッグ戦となった。
入場時、セーラーボーイズの代表曲「キープオンジャーニー」がかかるも、バラモン兄弟がリングアナに水をかけて阻止。改めてバラモン兄弟のテーマ曲で入場し、石森も自身の曲で別入場。伝説のオーバーオールでの登場も期待されたが、それはかなわず。セーラーボーイズは奇襲を掛け、大場外戦を展開。この日ばかりは石森も一緒になって、近藤組に水をかけまくった。石森は近藤組をコーナーに押し込んで3人まとめてボウリング攻撃。近藤が両腕に凶器をはめてラリアットを狙うも、石森がかわして、大家、Macに誤爆。シュウのパウダー攻撃から、Macを五体不満足で固めるもカウントは2。シュウが看板でMacを殴打すると、石森が口からお告ゲルを出しながらのBone Lockでタップを奪った。
試合後、ケイは「セーラーボーイズは今日をもって解散する。普通のプロレスラーに戻る」とキャンディーズばりの名ゼリフで去って行った。
バックステージでケイが「近藤修司に復しゅうできてよかった。今の石森と組めてよかったよ。次、いつ組む?」と言うと、シュウは「20年後くらいに復活してやる」と、はるかに将来の再結成を宣言した。
また、第4試合ではDDT旗揚げメンバーの佐々木貴とMIKAMIがレジェンドコンビを組み、2代目「昭和」&「令和」と激突。貴とMIKAMIは敵対することが多かったため、レアなタッグ。「昭和」は黎明期のDDTで活躍したマスクマンで2代目はその遺伝子を引き継いだとされ、「令和」は初登場。2代目「昭和」組は次々に合体技を繰り出し、抜群のコンビネーションを披露。MIKAMIはキリモミ式プランチャを2人に見舞うなど、50代とは思えぬ身体能力の高さを発揮。MIKAMIのスワントーンボムをかわした2代目「昭和」はジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールドで丸め込むもカット。MIKAMIは平成式スク~ルボ~イで2代目「昭和」から3カウントを奪取した。敗れたものの、2代目「昭和」組はなかなかの実力者チームだっただけに、再参戦してほしいところだ。




















































































































































