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【インタビュー】KONOSUKE TAKESHITA、実り多きAEWでの一年「2025年は漫画でもあり得ないことをやるプロレスラーになる」

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  • DDT&AEWダブル所属としてアメリカでの生活を続けるKONOSUKE TAKESHITAにとって、2024年は実り多き一年となった。競争の激しいAEWでメインロースターとなり、AEWインターナショナルのベルトも獲得。また新日本プロレスのG1 CLIMAXでもその名を広める活躍を見せるなど、自身が掲げてきた“世界一のプロレスラー”に一歩ずつ着実に近づいている。年明けには新日本1・4&1・5(前日に勝てば)東京ドームに出場するなどステータスを高め続ける中、DDT1・3後楽園ホールへ参戦するように日本のプロレスにもアンテナを張っている。一年間の総括とともに、それらの試合に臨む上での姿勢を聞いた。(聞き手・鈴木健.txt)

    競争社会の中で家族の関係性を
    築く――AEW** **でのこの一年

    ――KONOSUKE TAKESHITAにとっての2024年は、レスラー人生の中でもかなり濃密な一年になったのではと思われます。
    TAKESHITA 今年の8月で丸12年、今は13年目に入っているんですけど一年たりとも後ずさりはしたくない、常に去年よりもプロレスラーとして上にいけたという結果を毎年更新していきたいっていう姿勢でやってきたんですけど、1年前にDDTでクリス・ジェリコと対戦して、最大の目標でもあったケニー・オメガに勝利するということを実現させた時に、来年は今年を超えるだろうかというのが、正直あったんです。でも実際は、去年よりも成長できたと自分自身で思えます。
    ――本人でなくても、これほど目に見える形で実績をあげれば我々見る側からしてもアップしているのは一目瞭然です。
    TAKESHITA 3月3日(現地時間=以下同)にウィル・オスプレイと初めて対戦をして、そこでKONOSUKE TAKESHITAの中にあったベストバウトを更新できたのが大きかったんです。これは本当に気持ちの問題なんですけど、実績とか記録とは違う自分の中での感触ですよね。“ベスト”を更新できた上で、夏のG1 CLIMAXを経験した。あの1ヵ月間で知名度も注目度も上がって、DDTからAEWにいくというのは誰もやっていないルートだったけど、また僕のことを知らなかったファン、竹下幸之介は知っているけど見たことがなかったファンにもこれからプロレス界を引っ張っていく男の一人だということを届かせることができたという意味で、あの場は大きかったと思うんです。
    ――1ヵ月の間で浸透していく実感は得られていたんですね。
    TAKESHITA はい。確か、最初にサイン会をやらせていただいたのが新潟(8・12アオーレ長岡/15日目)だったと思うんですけど、その時にたくさん並んでくださっている列を見た時に、これはけっこう隅々まで届き渡っているなと感じました。
    ――そうした過程を経て10月12日、AEWで初のタイトル獲得(AEWインターナショナル王座)を実現させました。トリプルスレットマッチで王者のオスプレイから直接ピンフォールを奪うという形でしたが、AEWでベルトを巻くことをどう受け止めていますか。
    TAKESHITA ようやく獲れたという思いと、これからという気持ちの半々ですね。どんなに自分のレベルが上がっていっても、AEWでタイトルが獲れるかどうかって紙一重なんですよ。チャンスがあったとしても、針の穴に通すような作業というか、イチかバチか的なところもあったんで。アメリカで生活して、闘うのってこういうことなんだなって思っただけに、獲れてよかったと思います。
    ――タイトルに挑戦できるかどうかは会社が最終決定するものですが、そこでモノを言うのは実績や実力、パフォーマンス以上にこの重要な一戦を任せられるかという信頼だと思います。アメリカでは観客動員などの数字に出る意味でよりシビアなのではと。
    TAKESHITA 信用…まさにそれでこの2年、やってきたようなものです。DDTでプロレスラーとしてやってきて一番学んだのがそこでしたから。19歳の竹下幸之介が後楽園ホールで試合をやったあと、私のプロレスの父といっても過言ではないアントーニオ本多さんが言ってくれたんです。「タケちゃん、プロレスは広い目で見るとみんな家族なんだよ。DDTも新日本プロレスもWWEも団体が違っていても家族だし、レジェンドレスラーはおじいちゃん、おばあちゃんみたいなものなんだ。全部がつながっているから、家族を愛さなきゃいけないんだ」っていうことを。それが僕の中ではプロレスをやる上で大事にしている根底の部分にあって。あの時は冗談っぽくWWEの選手の名前をあげていましたけど今、そういう人たちと一緒に仕事をする中で、あの言葉は本当だった、本当につながっているよって思えている。信頼されなければ、家族になれないですから。そのために一試合一試合心をこめて試合をしてきた。ベルトを獲ったら「このベルトにおまえはふさわしい男だ!」って周りの選手たちが言ってくれたんです。競争社会でありながら、そう言ってもらえたのが嬉しかった。
    ――言葉の壁がある中で家族としての関係性を築くのは大変ではなかったですか。
    TAKESHITA やれることといったら、本当にどの会場でもベストを尽くすだけでした。オーディエンスに対してもそうだし、相手の選手にもね。それは言語を超えて伝わるものだと思っているので。オスプレイとの試合も、お互いに闘っていた団体は違えど同世代として意識し合っている部分、認め合っている部分もあって、それで試合をするとわかり合えるというか。
    ――「そうそう、そうだよな」という納得、相手に対しての理解ですね。それによって闘っていながら信頼関係が生まれるという。
    TAKESHITA ほかの誰でもなく、そういう関係性が築けたオスプレイから獲れたからこそ大きな意味があったし、そういうのも含めての人間ドラマっていうのは、プロレスは底知れないよなって思います。12年やってきて、こうやって海外で試合をしていても、まだまだプロレスの面白さは底知れない。
    ――日本で培ったものを下地にしつつ、新しい環境の中に入ってプロレス観が変わったことはありましたか。
    TAKESHITA この時代、さまざまなエンターテインメントかあって、NetflixやAmazon Prime Videoなどの映像もそうだし、今も電子書籍で日本の本を読んでいますし、アニメもたくさん作られている中で、プロレスはそれらに負けていないんだというのは改めて実感しましたね。DDTにいた時は、僕の身体能力とかアスリート性がフォーカスされていたと思うんですけど、G1 CLIMAXに出た時は自分の長所、強みを残しつつ、そのストーリーテリングを心がけました。各地方にいってどの公式戦も一本の映画を見たような気になってくれればと思いながらやっていたんです。それは会場に足を運んだ人に限らずNJPW WORLDで視聴している人、DDTの選手たちが加入して見てくれたと聞きましたが、そういうみんなに15分ぐらいの日本映画を見たような気にさせたいと思って試合をしました。
    ――それはアメリカへいく前にはなかった感覚ですか。
    TAKESHITA 最後にKO-D無差別級のベルトを巻いたあたりから、そういうものを見せたいという気持ちはあったんですが、まだそれを形にできる能力がなかった。アメリカに来てこの世界で昇りつめるにはどうしたらいいのか、今まで通りの自分じゃ無理だとなって、試合も組まれない時期を迎えた時、考えに考えた結果それが形になってきました。
    ――日本とは違う相手に囲まれる環境によって、発想の幅が広がったのが大きかったのではと思います。
    TAKESHITA そうですね。試合になったら自分ができることを出し尽くすしかないんで、その準備の段階っていうところですね。試合を前にして思いついたことを自分の中で噛み砕いて、試合で吐き出す作業です。それには毎週、大きな会場でやれている環境も大きい。それは今後の財産になると思っていますし。大きい会場の最後部にまで伝わるプロレスは、そういう環境に体を置かなければできない。それこそ今度、新日本プロレスの東京ドーム大会に出ますけど、あれよりも大きな会場を経験しているので、ドームだからといって何か特別なことをしなきゃという気持ちにはならないんです。だからメンタルの上で、すごく強くなっていると思いますね。
    ――頭と肉体を常にフル稼働させて、それこそオスプレイやリコシェといった相手と対戦する時は“置いていかれない”ようにするわけですから、とてつもないことです。それができてこその信用ですし。
    TAKESHITA 身体能力だけでいったら自分よりすごい選手もいるし、自分よりデカい選手もいる。自分よりテクニカルな選手もいっぱいいるわけで、その中で自分が置いていかれないために何を見せるのかというところで、本当にいけるかどうかが決まるというのは感じてきました。今でも、できるかどうかやる前は不安です。
    ――ここまで昇りながら不安は感じるものなんですか。
    TAKESHITA 毎回です。それは、ここまで来たことによって「TAKESHITAは今日もすごい試合をやるだろう」というフィルターがかかった状態で見られている。自分でハードルをどんどん上げていって、そのハードルに圧し潰されそうになる。試合の善し悪しを、自分が勝手に定めたハードルを越えられたかどうかで決めてしまうという非常に孤独な闘いをこの半年は強いられている感覚でした。お客さんがすごく盛り上がって、高く評価をされるベストな試合をやっていても、ハードルを高めに設定しているばかりに自分自身は満足できない、納得できないということが増えました。AEWでベルトを獲ったのはもちろん嬉しいですけど、そうなったら充たされるだろうなと思っていたらホッとするだけで、あとはそういう気持ちの方がまさっちゃうんです。本当、そこに尽きるんですよ。だからスタイルを次の段階に変えないと、自分で自分を殺してしまう気がしていて。

    鷹木信悟と対戦することで設定して
    いる高いハードルを越えられるか

    ――アメリカは道場がないので、日々の肉体的なトレーニングはジムでやっていると思われますが、プロレス頭やセンス、発想を高めるのは実戦の中で培っている状況ですか。
    TAKESHITA そこは日本にいた時もほとんど道場にはいっていなくて、それこそデビューする前の高校1年生の夏休み期間だけでしたから。ジムでの練習がほとんどだったので、こっちに来ても環境的な変化はあまりないです。
    ――オフの日はどんなことをして過ごしているんですか。
    TAKESHITA 前は家から出ない日がほとんどだったんですけど、最近はけっこう外に出てキャンプにいったりしています。フロリダは自然が多いんで。まあ、何年アメリカにいられるかなんてわからないから旅行も兼ねていろんな都市にも足を伸ばしています。今、このアメリカに住んでプロレスができている環境って、すごくありがたいことだと思うんです。ちょうど最近、プロレスの神様に感謝したところだったんですけど。なので、せっかく今ここにいるならこの環境をしっかり充実したものにしようという気持ちはけっこうあって、それでアメリカを見て回っていますね。
    ――いる間にいけるだけいって見聞を広めた方がいいですよ。まだいつまでアメリカにいるというのは自分の中で定めていないんですか。
    TAKESHITA うーん、やっぱりそういうのは考えますよ。ただ、いつが区切りというのは設定していないし、永住することになるのかなって思うこともあります。
    ――永住してもいい?
    TAKESHITA 好きですけど、日本への浮気じゃないけどどこでもドアが現代にあれば間違いなく日本に住んでいますね。すぐこっちに飛んで来られるなら日本に住んでいます。でも、アメリカに住んで生活するというのはプロレスに限らず一般社会でもなかなかできることではない経験なんで。
    ――文化の違いでストレスを感じることはないんですか。
    TAKESHITA ないですないです。
    ――それはよかったですね。
    TAKESHITA 特に問題はないですけど…SNSやYouTubeで日本のコンテンツを見ている時に、銭湯いきたいなとか、居酒屋いきたいとはなりますね。
    ――映画館にはいっているんですか。
    TAKESHITA いきます。相変わらず独学の英語ですけど、困ることはなくなってきたぐらいなので、英語の台詞でも見ています。
    ――さて、2025年の活動は日本からスタートしますが、まずはWRESTLE KINGDOMからお話いただきましょうか。
    TAKESHITA プロレスファンの頃に見にいったこともあったし、いつかは出てみたいとも思っていました。ただ、僕の中ですごく特別な興行だというところはあまり関係なくて、先ほども言ったハードルという点で鷹木信悟という相手と闘うことで高いところに設定してしまっている。そこを越えられるかどうかの一点です、頭の中は。僕がプロレスラーに対しすごいと思うポイントの一つとして、誰とやってもどんな状況でも面白い試合ができるスキルというのがあるんですけど、鷹木選手はそこに関して一流じゃないですか。だからこそ、自分の中のハードルが上がっている。
    ――ファン時代に見ていた選手ですよね。
    TAKESHITA もちろん。DRAGONGATE見にいっていましたから。正直、新日本所属になってからは追えていないので、僕の中のイメージはあの頃の鷹木選手です。DRAGONGATE所属ながら、けっこう他団体にも出ていて、それを見るのが楽しみだった。
    ――飯伏幸太選手と同じく2004年デビュー世代の選手です。
    TAKESHITA キャリア的には全然上ですよね。ただ、僕は17歳でデビューしてずっと上の世代に向かっていくキャリアを送ってきたんで、そこは変わらない。
    ――この時点でAEWインターナショナルのベルトを保持していれば、AEWのタイトルマッチを日本でやれることになります。
    TAKESHITA それに関しては嬉しいんですけど、感覚的にはAEWを背負ってだとか、DDTの代表として新日本に乗り込むとか、そういうのは心の片隅に少しはあってもKONOSUKE TAKESHITAとして勝負するタイミングだと思っています。
    ――前回の東京ドーム出場が路上プロレス(2021年10月31日)というのも、今となってはいいふり幅を生み出しています。
    TAKESHITA 武藤敬司さんの引退興行でDDT提供試合として同世代の選手たちが東京ドームに出た時、僕はアメリカに来ていて出なかった。今回が本来の形としては初めてですけど、日本武道館でデビューして「武道館の次は東京ドームだ」って頭の中で想像はしつつも、実現するまで12年かかったかーっていう感じです。
    ――それも、1・4で勝ってNEVER無差別級のベルトを奪取すると翌日の1・5にも出場することになります。
    TAKESHITA これは過去のインタビューでも言ったことがあると思うんですけど、NEVER無差別級のタイトルマッチといったら僕の中では後楽園でやった田中将斗vs石井智宏戦(2013年2月3日)で、プロレスファンとしての自分に及ぼした影響が本当にすごいというか、あの試合を見た興奮、感動と衝撃は、あれを超えるものが今のところないぐらいなんです。
    ――今なお語り継がれる伝説の一戦です。
    TAKESHITA 石井選手とは1回しか試合で絡んだことはないんですけど(2023年6月25日、AEW×NJPW FORBIDDEN DOORの10人タッグマッチで対戦)、見て盗む、見て学ぶ、見て吸収するっていう部分で実は石井智宏のプロレスも竹下幸之介の中にあると思っていて。僕は田中将斗選手と2回シングルマッチをやっていて、その1発目が同じ後楽園(2020年3月20日、田中のKO-D無差別級王座に挑戦し敗れる)ということで、自分が衝撃を受けた試合と頭の中でリンクするものがあったんです。それで今回、もう一方の石井智宏とシングルマッチが実現すれば、また一つ僕のプロレス人生に石井智宏の色をつけて彩り豊かになる。
    ――ちゃんとつながっているんですね。
    TAKESHITA それだけ印象に残るものって、やっぱり何かにつながっていくからこそ残るんだと思います。

    AEW** **で昇っても日本に来る理由
    DDT** **の中で闘いたい相手は…

    ――東京ドームの前日、DDT1・3後楽園からKONOSUKE TAKESHITAの2025年がスタートするわけですが、秋山準と組み納谷幸男&飯野雄貴と対戦します。外から見ている現在のDDTは、どのように映っているのでしょう。
    TAKESHITA 僕がアメリカにいったあとにデビューした選手たちの活躍が目立っていますよ。たとえば正田、須見、あとは試合数こそ限られているものの武知海青。両国でデビューする桜庭大翔もそうだけど、僕がまだプロレスについて話したことがない世代が出てきていて、そういう人たちがすごく下から押し上げている印象があって、そういう世代ともどんどんやってみたいというところで11月にアメリカで夢虹とやったんです。ガンプロの中村宗達ともどこかで交わりたいと思いますし、その若い子たちに突き上げられているのがまさに納谷や飯野たちの世代で、下に抜かされるかどうかの瀬戸際にいる人たちと映っています。
    ――そうなんですね。
    TAKESHITA だからね、ズバリ言っちゃうと来年一年内に飯野や納谷の世代が無差別級のベルトを獲れなかった場合、もうチャンスの順番はその下の世代に来ますから。そうなったら、納谷たちの世代はKO-D無差別を獲れなかった世代になってしまう。キャリアは短くとも、やっぱり若い選手の方が勢いに関してはありますから、それをさらに追い抜くことって難しくなるですよね。納谷も飯野も、恵まれた体格による持ち前のパワーを見せたその先に何を見せたいんだ?っていうのは前々から思っていたので、1月3日はそういう現状を感じた上でどうするかを見せてほしい。
    ――ただ、納谷選手も飯野選手も絶対にパワーでKONOSUKE TAKESHITAを上回ってやると実直に来る気がします。対戦するチャンスは限られるだけに。
    TAKESHITA でも、それだけじゃ僕には勝てないんで。うん、まったく勝てないんで。このカードにはどんな意味があるのか、対戦相手の僕と秋山さんがどんな気持ちで目の前にいるのか、何を見せたいのか、お客さんには何を見てほしいのかっていうのを色濃く考えて、僕たちの前に立たないとすべて食われます。僕も深く、濃く考えていきますから。1・4があってもまずは1・3について考えて日本にいきます。東京ドームだけに気持ちがいっているなんていうことは、僕の場合はないです。
    ――いくつものテーマについて同時進行で思考を働かせる作業は、脳がタフでなければできないことです。
    TAKESHITA プロレスラーの一番大変な部分って、そこなんだと思います。リング上での体のダメージ以上に、日々考え続けなければならないシンドさ。考えなくなったら、プロレスラーとして終わる時なんで、それをわかっているからこそ考えるのが頭にしみついている。
    ――2024年の無差別級戦線は上野勇希 → 青木真也 → クリス・ブルックスと変遷しましたが、この流れはどう映っていますか。
    TAKESHITA そう言われると…タイトルマッチとして見ていなかったです。それまでのDDTって、KO-D無差別級王座が頂点にあってピラミッドが形成されていた。それが今年に入ってからはいい意味でも悪い意味でもUNIVERSAL、EXTREME、KO-Dタッグといったほかのタイトル絡みの物語が横に広がっている印象が強かった。だから、必ずしもKO-D無差別級が中心となっているという感じは薄れた一年だった気がします。
    ――それほど他のタイトルも注目される物語を描けるようになったということでもありますよね。
    TAKESHITA それが今のDDTにはフィットしているんだと思います。DDTとして目指す形はむしろそっちなんじゃないかと。
    ――上野勇希が1年間ベルト持ち続けることができなかった事実に関しては?
    TAKESHITA 僕が持っている最長保持期間とか最多防衛記録を更新するだろうなと思っていました。ただ、それをなし得られなかったことによってまた一つ僕たちの物語ができるなって。そこに関して、再び上野勇希が向かうシチュエーションが生まれるかもしれない。青木さんに関しては、挑戦さえすればいつでも獲れると思っていたので納得の結果です。青木さんが持っているプロレスはほかの選手が見せられないものなんで、そういう意味で青木さんのタイトルマッチは全部、すごく楽しく見させてもらいました。僕個人としてもああいう試合は好きですし。
    ――現王者のクリスについては?
    TAKESHITA 団体の一番大きなベルトを巻くのって、1回目の時は嬉しいと思った次の瞬間には防衛しなければという迫りくるもので必死になってしまうものなんです。ただ、人間って順応する生き物なんで2回目になるといろんなものがちゃんと見えるようになる。僕も最多防衛記録を作れたのは2度目の巻いた時だった。あの時も実は必死でしたけど、俺はDDTをこういう団体にしたい、チャンピオンとしてこういう姿勢を見せたというのが見せられるようにはなったんですね。2度目の戴冠って、そういうタイミングのものなんです。クリスも初めて無差別級を巻いた時はすごくエモーショナルな気持ちになって、防衛戦の相手とのストーリーを自分の中で描いたと思う。でも2度目となると、これといったストーリーがない相手でもそういったものを作り上げていく役割がある。今回の相手・佐々木大輔にしても、対戦経験は何度もありながら一つの物語を作り上げることはそこまでなかったと思うんです。でも、言動は真逆であってもあの二人の奥底には入場時の革ジャンとかにもあるように、ロックな部分という共通項があると僕は見ていて。お互いのそれがむき出しになったら面白いものになると思うんですよね。僕はクリスなら、そういった面白い物語をどんどん描いていけると思っているんで、DDTを自分が考えるユートピアにしていってほしい。それが2度目のチャンピオンの特権だし。
    ――このタイミングで佐々木大輔がタイトルに挑戦することに関してはどう見ていますか。
    TAKESHITA わかりますよ。佐々木大輔からすればクリスが考えるユートピアはイデオロギーとして違うとなるし、プロレスにおける正解なんてわからないのと同じように、クリスのユートピアが正解かどうかはやってみなければわからない。だから佐々木大輔が俺の考えるユートピアとは違うんだというのを主張するのは当然でしょう。納得のいく両国国技館のメインだと思います。
    ――わかりました。2025年もスケジュールが合う限り日本に来てもらえますか。
    TAKESHITA そのつもりでいます。僕が今の立場で日本に帰ってくる意味は、そこに闘ってみたい相手がいるからなんですよ。今のDDTを見ていて、俺はこいつと試合をしたいと思う選手が頭にあるんで、それが実現できるなら帰ってきます。
    ――それが誰なのかは…。
    TAKESHITA 今は秘密にしておきましょう。それが、DDTの竹下幸之介としての2025年の目標です。
    ――アメリカで、あれほどのスケールで日々活動しているわけじゃないですか。それでも、日本でモチベーションを見いだし、刺激を味わえるものなんですね。
    TAKESHITA うん、アメリカで見せるべきものと日本で見せるべきものって僕の中では違うんですよね。だから使う頭も違ってくるし、なんなら違う体を使っている感覚にもなるし、違う心を使って闘い分けているんで、日本のプロレスでしか得られないものっていうのは大いにある。日本で試合ができるのも、僕を充実させる上では欠かせないんです。
    ――改めて、2024年の締めとして最後に聴きます。AEWにおける最終目標はなんですか。
    TAKESHITA これはどこにいこうとも変わらず、世界一のプロレスラーですね。どこの国の人も、どこのプロレスファンも、世界一っていったらTAKESHITAやなって思ってもらえる存在になること。
    ――以前にも言ったかもしれないのですが、プロレスの世界一というのはオリンピックの金メダルのような形や、数値で現れるものではない分、何をもって言えるかということになりますよね。
    TAKESHITA そこは僕の中で定まっていて。さっきも話した僕の中にいるいつも高いハードルを課すもう一人の自分が「おまえが世界一のプロレスラーだよ」って言った時です。
    ――一番低いようで、一番高いハードルじゃないですか。
    TAKESHITA はい。AEWに来て、こうやってベルトを獲れた身ですけど、プロレスキャリアの中で一秒たりとも「俺は大丈夫だ」って安心できたことはないんです。考えることがより増えて、一瞬たりとも油断はできない。
    ――一年の間にジェリコ、鈴木みのる、田中将斗、オスプレイ、リコシェに勝った人間であっても、世界一ではないと。
    TAKESHITA いや、まだまだでしょう。AEWの中でもトップ・オブ・トップではないんですから。だからこそ、WRESTLE KINGDOMで試合をすることが武器になってくる。ほかのアメリカの選手たちやAEWのトップ選手たちが経験できていないことができるわけですから。大谷翔平選手の二刀流のように、そんなことは漫画でもあり得ないよっていうことをやるプロレスラーになるのが、2025年の目標です。誰もやっていないことを可能にするプロレスラー。
    ――誰もやっていないことを来年は見せてくれるんですね。
    TAKESHITA 見せられると思います。楽しみにしていてください。

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