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【ドラマティック・ドリーム・コラム】正解は1年後、ふるさとの鏡にうつるKONOSUKE TAKESHITAの背中は何を語るか。5月17日松井レフェリー興行

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  • 昨年5月の松井レフェリー興行前のKONOSUKE TAKESHITAのインタビューは、大げさでなく全世界から大きな反響を呼ぶことになった。というのも、TAKESHITAが「自分はアメリカに来てから、プロレスをやる楽しみを捨てた」と発言したからだった。

    【ドラマティック・ドリーム・コラム】世界から大阪へ、そしてまた世界へ。5月19日松井レフェリー30周年記念大会(三田佐代子)
    https://www.ddtpro.jp/news/67e356b10910e40002cb09a1

    あの発言によって何か影響があったか、と恐る恐る尋ねると「海外にも英語で翻訳されて広がったりもしたので、自分もけっこう注目される立場になってきたのかなと思いました」と1年ぶりに話を聞くTAKESHITAは笑う。こんなに日本語を喋るのは久しぶりです、と言いながら。

    1年前はその実力をいかんなく発揮する場に恵まれなかったTAKESHITAだったが、その後の活躍はすさまじいものだった。松井レフェリー興行で鈴木みのると壮絶なシングルマッチを行った後、AEWでジョン・モクスリー戦、夏には新日本プロレスのG1クライマックス参戦。リコシェ、オスプレイとの3wayでAEWインターナショナルのベルト奪取、新日本ドームでの鷹木戦、石井戦にAEWでケニー戦。アメリカと日本、AEWとDDTと新日本プロレス、太平洋を行ったり来たりしながら記憶に残る試合を積み重ねた。2025年からは史上初の、AEWとDDTと新日本プロレスの3団体所属プロレスラーになったのは知っての通りだ。この1年を「よく頑張った1年だと思います」と振り返る。

    「この1年ずっと集中力が途切れなかったのが良かったです。4月は1ヶ月で9試合したんですね。もちろんもっと試合数が多い人もいると思うんですけれど、そのうち5試合はシングルで、新日本両国から始まってAEWのオーエン・ハートカップがあり、1週間で棚橋さんとやって3日後にオスプレイとやって2日後にMAOとシングルやって、みたいなのは自分にしか出来ないこと。一番3団体所属を実感する一週間でした」

    ようやく世界がKONOSUKE TAKESHITAのための打順を用意してくれた。そしてそこで確実にTAKESHITAは結果とインパクトを残し、それが更なるチャンスを生み出している。これこそがTAKESHITA選手のやりたかったことですか、と尋ねると、「やりたかったこと、というか、自分にしか出来ないことです」と答えてくれた。

    「これからのプロレス界も考えて、自分が何かひとつ改革を起こしたい。例を挙げるならベタですけれど、やっぱり大谷翔平選手です。二刀流で、しかもメジャーで、ホームラン王になるなんて、そんなの漫画でもあり得ないっていうことがいま現実に起こってるわけじゃないですか。そういうふうに自分も常識を覆していきたい。僕がそれを当たり前にしていきたいんです。道を開くことが僕にしかできないと思っているだけであって、後に続く人はきっといるはずだと信じてる。日米両方で頑張る選手がいまは僕ひとりですけれど、それが2人になり、4人になりっていうふうに増えていくと、もっと日本のプロレス界のレベルが上がるんじゃないかと思ってます」

    ひとつの団体でトップを取るだけでなく、いくつもの団体に所属していることの良さとしては、「それぞれのスタイルをミックスできること」と竹下は言う。

    「AEWとDDTと新日本プロレスのスタイルって、3つとも違うんですよ。僕の最近の楽しみ、研究材料としては、それぞれに合わせることも出来るんだけど、敢えて新日本プロレスでAEWスタイルを試してみたり、AEWで新日本プロレス、DDTでAEWスタイル、その化学反応を見せてるつもりです。プロレスってひとつの興行で何試合もあるわけで、そこで自分の色分けをする、僕はだいたい逆張りが好きなので」

    大谷翔平を意識するか、というのは聞いてみたいと最初から思っていたのだが、やはり、という感じだった。「一番意識してます、世界の誰よりも意識してます」と笑顔で答えてくれた。大谷翔平はさすがに日本の球団とメジャーリーグの両方に所属して行き来することは出来ないけれど、KONOSUKE TAKESHITAならそれをやってのける。

    さて、そんな中で迎える、今年の松井レフェリー興行だ。今年のTAKESHITAのカードは上野勇希と組んで、ディック東郷&佐々木大輔組のタッグマッチとなった。世界を飛び回る今のTAKESHITAにとって、年に一度の松井さん興行とはどういう位置づけなのだろうか。

    「年に一度の自分の答え合わせみたいな。正解は1年後みたいな、そういう感覚はあるんです。この1年やってきたこと、自分は進化できてるのかなっていう」

    その答え合わせの仕方を、最高に素敵な表現で表してくれた。

    「久しぶりに実家に帰って、自分の部屋の鏡で自分を見るみたいな感じなんです。どれだけ自分の身体が大きくなってるか、子供の頃から見てた鏡で確認する。やっぱり自分はDDT生まれDDT育ちなので、そこで成長を感じられると思っています」

    今回のカードについては、敢えて深いテーマを考えずに、単純に面白いプロレスを、おもろいプロレスを目指してる上野と一緒にできたらいいなと思ってる、と答えてくれた。あれだけの超過密スケジュールの中でもWRESTLE UNIVERSEでDDTの試合は全大会一試合も欠かさずに見ている、というTAKESHITAは、今のDDTの最大の強みをとにかく若い選手が多いところだ、と言う。

    「自分も17歳でデビューして、今月に30になります。家族だと思ってるDDTにも新しい家族が増えて、末っ子だと思ってた自分にも弟が増えて。兄として弟たちに何が残せるかっていったら試合を残すしかない。本当は1人1人とシングルできたら伝えられることが凄くあるんですけれど、帰ってこられる時間が限られているのでまずはTAKESHITAのプロレスを目の前で見せて、感じ取ってもらう。それが僕が後輩たちに出来る数少ないことなので、それは考えて試合をしています」

    ディック東郷とは実はあまり対戦経験のないTAKESHITAだが、「アメリカ行っても試合に臨む上で、テストの前に最後にもう1回教科書を見直すみたいな、そういう感じで今も東郷さんの試合は見ます」という。それはみちのくプロレスの90年代、海援隊時代のディック東郷の試合であり、大阪プロレス初期の試合であり、FEC(ファー・イースト・コネクション)の頃の試合だという。

    「僕の中の教科書的な人は何人かいるんですけれど、東郷さんはそのうちの1人です。ファイトスタイルも体格も全然違うんですけれど、これが同じなんですよ。違うけど、同じなんです」

    KONOSUKE TAKESHITAとディック東郷は、違うけど、同じ。今もってそこは変わらないんだそうだ。更に、佐々木大輔は僕を目覚めさせてくれた人だ、という。

    「初めてKO-D無差別のベルトを巻いた時の相手も佐々木さんですし、両国でもメインでやりましたし。先生というよりその先というか、お前はもっとやれるんだぞ、お前はただの青年じゃなくてバケモノだぞっというのを試合を通して伝えられたなって思います」

    KONOSUKE TAKESHITAのいないDDTを先頭に立って引っ張ってきた上野勇希とタッグを組むのも久しぶりだ。対戦ではなく、同じコーナーに立つことで、彼が何と戦ってきたのか、どう進化してきたのかを見てみたいんだという。

    プロレス楽しくなりましたか、と尋ねたら少し考えながらこう返してくれた。

    「うーん、楽しいという感じではまだないかな。もうちょっとなんだろうな、楽しいとは違う、やりがいみたいなもの。」

    1年前には、自分がどれだけ準備していても機会が与えられない厳しさを教えてくれたTAKESHITAが、今年は期待に応えるやりがいと喜びを教えてくれた。そしてTAKESHITAにとってプロレス界の親でもある松井レフェリーが、とっておきのカードを用意してくれて大阪で待っている。更に大きくなった背中は、果たしてふるさとの鏡に、そして家族であるDDTのメンバーと松井さんの瞳に、どのように映るだろうか。

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