引退試合当日、東郷さんはいつものように現われました。前夜に一人、チェ・ゲバラがボリビアに潜伏した際に利用したホテルの同じ部屋に宿泊し、海外を転戦する中で、将来のことを考えても結論の出ないまま、引退を迎えることになり、マリッジブルーならぬ、“引退ブルー”になっていたそうです。しかし、会場入りした時の表情からはそういうことがあったことさえもわかりませんでした。
会場には多くのお客さんが詰めかけ、日本からもこの日のためにファンの方が駆けつけました。引退試合は東郷さん、アントーニオ、ウラノ氏、僕の日本人カルテットが、アルコン・ドラド&アハイユ&アポカリシス&ゲレーロ・アヤ組とイリミネーションマッチで対戦しました。
最後の最後まで、僕は師匠と組んでのいつもの試合でしたし、東郷さんもこれで引退という空気を感じさせない、気合いの入ったファイトを見せました。すべてを出し切ろうとした東郷さんの代名詞であるダイビング・セントーンもアポカリシスを沈めたものの、アハイユには一度返され、2度目はかわされてしまうと、450°スプラッシュで敗れたのでした。
最終局面の東郷さんとアハイユの一騎打ちは「師匠は本当に引退するのだろうか」と思ってしまうほどの激闘で、僕は3カウントの入る瞬間まで見入ってしまいました。試合終盤からずっと泣いていたアハイユがフォールした時です。カバーされた東郷さんが号泣していたのです。「あ、終わったのか……」。そう思うと、僕も涙がこみ上げてきました。気づけばカメラを回していたワンチューロも、周りのみんなも全員泣いていました。
僕はあんなに泣いている師匠の姿をこれまで見たことがありません。いつも感情に左右されることなく、いつも通りの気迫あふれるファイトをしていた東郷さんが初めて見せた素の感情。それもほんのわずかの出来事で、引退セレモニーが終わって、僕らの作った騎馬に乗って控室へと戻ってきたあとは、いつも通りの東郷さんでした。
東郷さんは最後の最後までプロフェッショナルなレスラーでした。リング上が完璧すぎる師匠と8年に渡って接してきたことで、「プロとはこういうものだ」というのを吸収できたと思います。ただ、あの3カウントを取られた瞬間だけは、プロレスラー・ディック東郷ではなく、僕らにも見せてこなかった人間・佐藤茂樹だったのではないでしょうか。
自分の力だけで世界を切り開いてきた東郷さんは遠い存在で、僕なんてまだまだ足元にも及びませんが、プロフェッショナルなレスラーになるべく、南米ツアーをいつか実現させたいと思います。東郷さん……いや、佐藤さん、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。(了)



