――2014年の両国からの1年7ヵ月間に絞ると、急激に木高イサミという相手との関係性が濃いものになりましたね。 HARASHIMA(以下、H) 言われてみれば、こんなにビッグマッチのメインをやるようになるとは思っていなかったですね。クルーザーゲームで僕が初めて“HARASHIMA”のリングネームで試合をやった時に、イサミもM.C.33(エムシーサミー)っていうリングネームでDDTブランドに上がったんです。その時は向こうがマスクマンでこっちが素顔と、普段とは逆だったという。 ――あれは2005年6月21日のclub ATOMでした。それが両国のメインにつながったと思うといい話です。 H 薄い接点はあって、それが10年かけてここまで膨らんだことになります。まあ、本当にこうなるなんて想像もしていなかった。今日も(両国での)会見で隣に座っていましたけど…あ、北斗の拳でたとえていたの、僕わかりませんでした。 ――イサミ選手は漫画やほかのジャンルからよく引っ張ってきますよね。 H 僕も北斗の拳は見ていましたけど、あそこまでマニアックには見ていなかったですから。僕は何かに影響されてそれにたとえたりとかしないし。技の名前が多少、妖怪から引っ張ってきているぐらいです。 ――イサミ選手とは真逆ですよね。この数ヵ月、HARASHIMA選手が無差別級のベルトを手放している間にDDTはいくつもの大きな変化がありました。坂口征夫選手、イサミ選手の戴冠、DNA勢をはじめとする若い世代の台頭、そして何よりも飯伏幸太選手の独立とありましたが、全体的にどう映っていましたか。 H 新しい力が伸びてきていることに関しては、自分の楽しみが増えるという意味で嬉しいですよね。個人が伸びることによってDDT全体の底上げがちゃんとできているなって。自分たちと比べちゃいますよね。僕があれぐらいの頃は勝手にやれっていう感じで、教えるシステムがなかった。 ――技術的なものを教えてくれる人がいなくて、どうやって成長していけたんですか。 H 基本は自分で考えるしかない。聞けば教えてはくれますけど、それが人によって違ったりするんです。 ――ああ、DNAを起ち上げた時に高木社長が「そうならないように一人のコーチを立てて、その言うことだけを聞かせるようにした」と言っていました。 H そういう土壌がなかったから、試合で組んだり闘ったりした人から教わっていましたね、当時は。自分で動くしかなかった。まだ僕は学プロで基本的な技術を教わっていたんで、そこに自分で肉づけしていく感じでしたね。だから今の若い選手たちの成長が僕らの時代と比べて早いのは当然だし、それによってDDTが面白くなっていっているから、団体としてこれでいいんだって。 ――一方、大きな出来事として飯伏選手の退団がありました。 H 僕はもしもそのまま辞めていたら怒っていました。 ※続きは両国大会公式パンフレットにて。