11・25後楽園でポイズン澤田JULIEの引退が決定した。明日の新木場大会でPSJ&蛇が井満也&マサ高マムシwith米山蛇織vs松崎和彦&NOSAWA論外&諸橋晴也の6人タッグマッチ、そして引退試合はPSJ&多咬刺&Xvs妻木洋夫&遠藤哲哉&竹下幸之介が組まれる。澤田さんはDDTを草創期から支えてもらった選手で、DDTの方向性を位置づける重要なキーパーソンだった。ポイズン澤田JULIEがいなければ、DDTのファンタジー路線は確立されなかったし、この路線はプロレス界にも大きな影響を与えたと思っている。
そもそも旗揚げ当初、1997年のDDTはファンタジーからほど遠い団体だった。スーパー宇宙パワーと仮面シューター・スーパーライダーに、俺、NOSAWA、MIKAMIがぶつかっていっては死ぬほど首を極められ、死ぬほど関節を極められるという“サディスティックプロレス”だった。それもそのはず、宇宙パワーの木村浩一郎さんとスーパーライダーさんは格闘技系出身だし、当時の俺様、NOSAWA、MIKAMIはキャリアのないどインディーレスラー。決してプロレスの巧いわけではない選手たちがやれることなんて限られていた。
このサディスティックプロレス路線も俺様やMIKAMI、佐々木貴を主人公に2年間ぐらい続くんだけど、プロレスキャリアのある折原昌夫さんがDDTにやって来たことで、流れを少し変えることができた。折原さんの加入で、ようやくプロレスを確立することができたんだ。そして、ファンの方から送ってもらった一本のビデオテープが、大きな転機をもたらすことになる。
「海の向こうではこういうことをやっています」という、そのビデオテープの中に収められていたのはアメリカ・WWF(現WWE)の映像。オーナーのビンス・マクマホンと人気選手の“ストーンコールド”スティーブ・オースチンが抗争を繰り広げていたんだ。
もともと俺様はアメリカンプロレスよりも硬派なプロレスのほうが好きだった。天龍源一郎さんとランディ・サベージの一騎打ちを見た時に、ショー的なアメプロのスタイルをそれなりにおもしろがってはいたんだけど、大げさな感じもしていたし、それをバチバチと叩き潰す天龍さんのほうがカッコ良かった。だから、ショー的なスタイルは俺様の目指す位置にまったく入っていなかった。
それがWWFの華やかな世界観と、会場に設置されたスクリーンを使ってバックステージの様子までリアルタイムに流してしまう手法、ストーンコールドの入場でガラスの砕ける音がヒットしただけで、会場のファンが熱狂する映像を見て衝撃を受けた。俺様はDDTもこういう風に変わらなきゃダメだと思ったんだよ。
その矢先、今度はCS局の「シティテレビ中野」で中継が決まった。映像の協力が得られたこともあって、1995年5月に当時、女子プロ団体のネオ・レディース社長だった篠泰樹さんが団体を買収しようと動き、本隊がそれを阻止しようと篠さん率いるネオDDT軍と対決するストーリーがスタート。こうしてDDTはエンターテインメント路線へと舵を切ったんだ。
初めてのエンタメ路線は何もかも手探り状態。いろいろと邪魔が入ったこともあったし、俺様もスタート段階では、まだ完全に針が振り切れるような状況ではなかった。そうこうしているうちに、ある“事件”が起きてしまったんだ。(この項つづく)



