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第8回 Road to 武道館④

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    • 経営学の観点から言うと、今回の武道館大会は国をあげての一大事業であるオリンピックや万博のように、一つの大きな目標に、みんなで力を合わせて突き進むことに匹敵する。俺たちも後楽園ホール、両国国技館とつねに大きな目標を掲げて、全社員、スタッフの意思統一を図ってきたからね。そうすることで、みんなのモチベーションも上がるだろうし。

      あとはステータスかな。日本武道館は日本を代表するエンターテインメントのアリーナとして、東京ドームと同じ価値とステータスがある。当然のことながら、そのステータスに伴う対価は大きくて、両国国技館の1.5~2倍はあるから。俺様は経営者として、なんとしてでも成功させないといけない。それに2012年、日本武道館でプロレス興行を行なうのはDDTだけだから、プロレスでの武道館興行の火は絶やしてはいけないんだ。

      15年かけて武道館大会開催まできたけど、もし、俺たちにある程度のポジションがあって、ある程度の資金力があって、ある程度の組織力があれば、こんなに時間はかからなかったと思うんだ。旗揚げ当時の俺たちは本当に底辺中の底辺だった。それ以前には屋台村プロレスに上がっていたけど、「俺たちはスラム街でドブネズミを食って成長してきたぜ」ならぬ「俺たちは屋台村のカタ焼きそばを食べて成長してきたぜ」だったから。言うなれば、「見た目が邦彦、ばってん多摩川、小橋太っ太が日比谷ラジオシティーでプロレス団体を旗揚げしました」というレベルと変わらなかった。

      俺たちどインディー団体にとって、まずFMW、みちのくプロレス、大日本プロレスというインディー団体の壁が厚かった。それに当時は“アントニオ猪木”、“ジャイアント馬場”という血筋が重要視されていて、俺様はジョージ高野さん、鶴見五郎さんから教わったとはいえ、あるマスコミの重鎮の方から「鶴見さんと、高野さんに教わっていたの? でも新日本、全日本出身じゃないよね。それだったら(マスコミに)取り上げられないよ」と言われたこともあった。

      こういった血筋に対するコンプレックス、ジェラシーはすごくあったよ。これはほかの人たちには絶対わからない。マスコミの重鎮の方から言われたことはすごく悔しかったし、その序列を絶対に崩してやろうと思った。このコンプレックスやジェラシーがなければ、DDTはここまで大きくなっていない。

      本来なら2、3年でいけたところを、回り道に回り道を通って15年もかかったけど、俺たちは誰も文句の言えないところまできたんだ。一回目の両国大会でガラっと評価が変わったし、今回の武道館大会が終われば、さらに新たな評価へとつながって、本当の意味で序列を変えることができる。だから、武道館大会はDDT全選手、全スタッフ、そしてお客さん、みんなで創り上げる“ドラマティック・ドリーム”なのだ。(この項終わり)

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