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25回 社長レスラーと団体オーナー①

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    • プロレスって力道山先生の頃から紐解いていくと、基本は社長レスラーの歴史だと言える。いわゆる“トップレスラー”“エースレスラー”と言われていた人が社長兼オーナーを務めていたことが多い。なぜかと言うと、プロレスには一座的な要素が強く、一座という特性を持っている以上、トップレスラーやエースレスラーが社長やオーナーを務めていたほうがチケットを売るにせよ、所属レスラーを統率するにせよ、何事においてもやりやすいからだ。マッスル坂井の名言で「プロレスラーはプロレスラーの言うことしか聞かない」というのがある。もちろん、レスラーではないオーナーや社長の意見にきちんと従っている事例もあるから一概には言えないけど、社長レスラーの存在が「プロレスラーはプロレスラーの言うことしか聞かない」という風潮を根付かせたのは事実だろう。

      複数の関係者に話を聞くと、過去に成功した団体の経営はひじょうに“どんぶり”だったのではないかと推測できる。きちんと中期、長期的な戦略に則って経営をしているとはどうも言い難いんだ。それでも成功を収めたのはプロレス自体が地上波も付くほどの人気コンテンツだったから。安定したスポンサー収入も得られていたし、余程のことがない限り崩れなかった。もちろん突出した経営力、プロデュース力を持っている人も内部にいたから、そういう人たちに支えられながら、一番人気があり、知名度のある社長レスラーが運営や経営をしてきたのだろう。しかしながら、この社長レスラーを生んだ座長システムは10年前にすでに破たんしたと思っている。

      今は不況だし、週末になれば首都圏だけで10興行以上が行なわれていて、タイトルマッチだけではお客さんも入りにくい状況だ。また、競合するエンターテインメントジャンルが増えたこともあって、プロレス自体が社会にも取り上げられなくなり、テレビの影響力もなくなり、観客動員も減ってしまった。それにスーパースターのエースレスラーが単純に年を取ってしまったというのもある。みんなスーパースターに憧れてこの業界に入ってきたわけで、スーパースターには右に動けと言ったら右に動かせるぐらいの力があったんだけど、そんなスーパースターが年を取って現役生活を退くと、その統率力にも陰りが見えてしまう。

      この座長システムは後楽園ホール規模までなら興行を運営できるけど、後楽園ホール以上のキャパシティで興行を打ち、さらに全国展開していくとなるとマンパワー的に限界が出てくる。「プロレスは首都圏だけではなく地方でやりましょう」「1000人以上の会場でやれば団体として認めます」なんて簡単に言う専門誌の編集長もいるけど、首都圏で後楽園ホール規模の会場で興行を行い、そこから札幌、名古屋、大阪、福岡の4大都市、さらに仙台、京都、神戸、広島といった100万人都市まで興行をやるには、DDTで言えば社員20人を雇って、さらにその中の10人が営業職につけば簡単にできるんだろうけど、そこまでの社員数を抱えられる財力があるかと言えば難しい。全国規模で展開しているチェーン店や広告代理店と手を組むなり合併するなりすれば、もっと楽にできてしまうんだろうけどね。(この項つづく)

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