8・18日本武道館大会まで残り2ヵ月を切った。今回から、なぜ俺たちが武道館大会をやろうとしたのかを執筆していきたい。
実は、初めて両国大会を開催した2009年に、マグナムTOKYOさんと会食する機会があったんだ。ざっくばらんに話をしているとマグナムさんから「次、何を考えているんですか?」と聞かれたから「両国をもう一年やろうかなと思っているんです」と答えたんだ。するとマグナムさんは「違う会場でやると、目先が変わっておもしろいですよ。有明コロシアムなんかどうですか?」と言っていたんだけど、その時はそこまで深く考えていなかったな。
そして2回目の両国大会を無事成功させた2010年。今度は当時のスポンサーさんから「さいたまスーパーアリーナをやりませんか?」というお話をいただいたんだ。ちょうどその年の3月に行なわれた『戦国武将祭』で、実際にさいたまスーパーアリーナでプロレスをやったんだけど、それがすごくよかったんだよ。まるでWWEのビッグショーのようで、バックステージの雰囲気もいいし、飯伏とも「これはいいな!」なんて話していて。どうやら、それがスポンサーさんの耳に入ったみたいで「さいたまスーパーアリーナでやるんだったら、バックアップしますよ」というありがたい申し出をいただいて、2011年夏の開催を目指して会場を押さえようと動いたんだ。
でも、さいたまスーパーアリーナは1年先まで予約で埋まっていて断念。3年目の夏も両国大会を行なうことになったんだけど、じゃあ、次の4年目も両国なのかと考えた時に「これはパターン化しているな」と少し怖い部分があったんだよ。2012年はDDT15周年という節目の年というのもあったし、両国からステップアップしたいという気持ちもあったし、マグナムさんから言われた「違う会場でやると、目先が変わっておもしろいですよ」という助言も思い出して、「だったら武道館をやるしかないのかな」と考えるようになったんだ。
そもそも、俺様にはDDT武道館大会を「どうしてもやりたい」とか「やらなきゃいけない」という気持ちはなかった。それはマッスル坂井が以前から「マッスル武道館大会をやる」と言っていたし、俺様がそれに乗っかってDDT武道館大会を開催するなんて言ったらおかしな話になるし、坂井に申し訳ないと思ったんだよ。でも、坂井が2010年10月の後楽園で引退して、マッスルの意志を継ぐ人間は誰もいなくなった。だからDDTが武道館大会をやってもバチは当たらないだろうと思ったんだ。
マッスルだって、武道館大会開催に向けて動いたこともあったんだけど、日本武道館はテレビやラジオ、新聞といった後援メディアがないと興行が打てないから、結局できなかったんだよね。DDTで武道館大会をやると決めたって、後援メディアを持っていないから「どうしようか」って困っていたんだけど、そこへ救世主のように現われたのがニッポン放送の三島通義さんだったんだ。(この項つづく)



