27日14時30分より、東京・新宿御苑前のDDTプロレス事務所にて記者会見がおこなわれ、ヤス・ウラノの退団が発表された。ウラノは5・28後楽園大会をもってフリーとなる。会見にはウラノ、高木三四郎社長、鶴見亜門GMが出席。
ウラノは今年でデビュー17年になるにあたり「終わりが見えてきたというか、終わりを意識しながら、プロレスをすることも増えてきて。今までやり残したこととか、やりたい経験であるとか、人にはわからない部分だとは思うんですけど、そういったことがあるということで契約更改のさいに高木社長に相談して、DDTの試合数を少し減らして、何試合か外でやりたいと相談したら高木さんが『じゃあ、いっそフリーになっちゃえばいいじゃん』って感じで。あ、そういう決断もありだなと。多少のどうなるかわからない怖さはあるんですけど、思い切って、またゼロからスタートしてみるのもいいんじゃないかと思い、決断に至りました」と経緯を説明。高木社長は「本人は残り少ないプロレス人生って言ってますけど、まだ41歳じゃないですか。自分は今年48歳になるんですけど、まったく終わりのことなんか考えたことがない。あんまりピンと来てなかったんですけど、人それぞれだと思うんで。いろんなことをやりたいというなかで、一人だけ『じゃあいいよ、好きなようにやって』というふうに…言ってあげたいところなんですけど、それだったら、思い切ってフリーになっちゃえばいいじゃんと。そしたらもっと自由なスタンスでいろんなものが見えてくるだろうし。変な話、いろんなところからオファーが来るかもしれないから。それでいろんなところを見て、もっともっと幅広くプロレス活動をして、ヤス・ウラノの理想のレスラー像を完成させてほしいなという思いが、今回は自分のほうから提案して、彼もそれを快く受けてくれました」と続けた。
今後のウラノとDDTとの関わり合いについて、高木社長は「DDTとしては正直寂しく思っちゃう方もいると思う。ただ、言ってもフリーという立場で参戦すればいいかなと思いますし、そこはやっぱり臨機応変にやっていけばいいんじゃないかなと思っています。『かわいい子には旅をさせよ』という諺がありますし。まあ、かわいい子というには年齢的にかわいい子でもなんでもないんですけど、ただやっぱり人生のなかで、自分のやりたいことを思う存分やりたいというのはあるでしょうから、それを後押ししてあげたい」とコメント。席上、フリーとして8・20両国国技館大会の参戦も発表された。続いて報道陣との質疑応答へ。
――今後とくにやりたいことは?
ウラノ 具体的でもなんでもないんですけど、いろいろな選手と試合をして、経験してみたいというか。今まで闘ったことのない相手もたくさんいるので、実際に試合してみないとわからないことも多いと思うので。そういうものも確かめたいかなというところです。
高木 海外とかいけばいいじゃん!
ウラノ 海外はちょっと…。
高木 いったほうがいいよ!
ウラノ そうですね…日本のプロレスを狭く深くいこうかなと(苦笑)。
高木 海外もおもしろいよ!
ウラノ 海外にいくというモチベーションは今はとりあえずないですね。ちょっとはいきたいですけどね、プエルトリコでデビューしたんで。
高木 「ヤス・ウラノ、デビューの地・プエルトリコに帰る」みたいなので、1コンテンツできそうな。
ウラノ (笑)ワンチューロが通訳でついてきてくれればいいかなと。2人分の飛行機代を貯めます(笑)。
――スマイルスカッシュのメンバーに話はした?
ウラノ しました。HARASHIMA君には2回に渡ってしたんですけど、1回目は『ええ~、やめてよそんなの!』みたいな。2回目は『プロレス辞めるわけじゃないしね』という感じになって、なんとかうまく説得できたかなと。高尾には気まずくて言えなかったんで、LINEで「ごめんね」って送っておきました(笑)。
高木 そりゃそうだよ。高尾が入る時にあれだけすったんもんだあって、辞める時はあっさりLINEで(苦笑)。
亜門 彰人が脱退した時もあんだけ納得いかないってゴネておいて自分は…。
ヤス その前に高木さんと話していたら変わったんでしょうけどね。まあまあしょうがないですね。高尾も「迷惑かけてごめんね」と言ったら「そんなことないです!」と爽やかな返答があったので、何もわだかまりはないと思います。
――スマイルスカッシュは抜ける?
ウラノ それはちょっと話してみます。まあ5月28日までまだ日もあるので。ちょっと高尾とのタッグも楽しいなというのもあるので、そこも続けていけたらいいなって。
――所属として思い出に残ってることは?
亜門 2007年に所属になったんですかね?
ウラノ たぶん2007年7月からDDTに上がるようになって、ちょうと10年。
亜門 最初DDT TEC所属だった時期もありましたよね。
ウラノ あれは(マッスル)坂井君に冗談で付けられたんですね(苦笑)。TECの仕事なんか、テープを運ぶぐらいだったんで(笑)。
高木 でも野球でいうところのフリーエージェントみたいなものかなと。FA制度があるわけじゃないんですけど、10年という期間いろいろ頑張ってもらって、広く外を見てみたいということとか、ふり幅を広くしたいということに関しては、すごくいいことだと思うので。辞めるわけじゃないので、どこかで絶対にまた会うこともあるだろうし。たぶんちょこちょこ会うと思うんですけど(笑)、悔いのないプロレス人生を歩んでほしいですよね。
――闘いたい相手は地方のインディーなども広めに視野に入れて?
ウラノ そうですね。それはオファーしていただければ、今までも沖縄にも呼んでいただいたりもしたし。師匠の一人でもある畠中(浩旭)さんの団体(アジアンプロレス・プロモーション)にもいってたりしたんで。それに関してはどこというのはなく。
――5・28後楽園ではスマイルスカッシュで組みたい?
ウラノ 希望としてはスマイルスカッシュとして終わりたいので。わからないですけどね。GMが意地悪なので。
亜門 それは検討して組む方向でいきたいと思います。
ウラノ 嫌がらせをされたんで…。
亜門 した覚えない! あなたに嫌がらせされてばっかりのGM人生な気がします。
――プロレス人生でやり残したこととはベルト?
ウラノ ベルトという意識はとくになくて、単純にいろんな選手とやりたいという。それとDDTでやり残したのとは違うんですけど、1995年度生まれというのがDDTに多くてですね。竹下(幸之介)、上野(勇希)、吉村(直巳)、島谷(常寛)、欠場している梅田(公太)。1995年というのは自分が大学に入学した年なんですけど、その年に生まれた人間がこれだけ揃ってる団体の未来と、試合をしたい。それが5年後になるのか10年後になるのかわからないですけど、彼らとまたその時にでも闘いたいという気持ちがモチベーションの一つにはあります。DDTから離れるけど、DDTとある意味闘っていきたい。何人かに話をしたんですよ、辞めることを。アントーニオ本多は、もう湿っぽくなってましたね。やっぱり仲がいいので。竹下にも言ったんですけど…竹下は、わりと慕ってくれてたと思うんです。なんか「寂しくなりますね」って。「でもDDT変わっていきますね」って、ちょっとワクワクしたような言い方をしていて、すごいな、コイツはと。自分も楽しみです、どうなるのか。
――自分で団体を旗揚げとかは?
ウラノ まあ、それもあるかもしれない(苦笑)。
高木 ソクラテスとかいう団体を旗揚げするんじゃない?(笑)。レッスル・ソクラテスとか。プロレスを哲学的に考えようとか。俺も協力するよ、それ。やるんだったら。
ウラノ そういうの後押しするのは高木さんの趣味ですからね(苦笑)。